赤也の情報によると、室町鶴沙は最近何かに悩んでいるらしい。その理由は定かではないが、およそ丸井絡みで間違いは無いだろう。何故なら、今日の練習で丸井の様子もいつもとは違っていたからだ。
「告白を連続で失敗した確立、百二十パーセント」
俺の呟きに、柳生、ジャッカル、仁王が同時に二度頷いた。
先日、幸村の言葉がきっかけで急きょ室町へ想いを伝えることになった丸井だったが、翌日には肩を落としている姿を目撃している。その後で、勿論丸井には気付かれないように室町と接触し、丸井の呼び出しの理由は何だったのかと尋ねれば「よくわからなかったけど、オススメの小説を教えて欲しいって言われたの。女子に人気の本を読んでみたいけど、部活の人には知られたくないからって」とのこと。しかしそう言った後で俺がテニス部であることを思い出し「丸井君には言わないでね」と念を押された。俺はデータを取るだけだ。仁王のように、面白がってそれを他人に吹聴するようなことはしない。
とまあ、そういった理由から、数日経った今でも丸井の好意は室町には伝わっていないのだ。
「……最近丸井君から話しかけられることが増えて嬉しいんだけど……なんだかよそよそしくって、さみしいなあって」
これは赤也に聞き出させたことだ。室町は、丸井と会話の機会が増えて喜んでいる半面、その態度に距離があるということで悩んでいるのだった。
本来ならテニス部に無関係な者のデータなど無意味と感じるかもしれないが、あながちそうでもない。これを早急に解決しなくては、丸井のコンディションが最悪なまま大会に臨むこととなってしまいかねないのだから。
「ふむ、どうするべきか……」
「ここはやっぱり、ブン太に室町の好意を伝えればいいんじゃないか? 両想いだとわかれば、フラれるという心配もないだろ」
「いやいや、甘いぜよジャッカル。室町はハッキリ好きだと言ったわけじゃない。ただ友達としてという意味も考えられるんじゃないかのう」
「……そこは、二人を一番近い位置で見てるお前に聞くが。どうなんだ? 実際」
「完全に脈アリ」
仁王の言葉にジャッカルは「お前なあ」と溜息を吐いた。仁王の場合は二人の距離感を完全に楽しんでいるわけで、ジャッカルは相方として純粋に心配なのだろう。
「他人の恋路を邪魔する者は何とやら……紳士的にそれはタブーですが、私個人としては、とても気になりますね」
「そっちが本音じゃろ」
そわそわと落ち着かない様子の柳生に、仁王はやはり楽しそうだ。テニスに青春を賭けた我々ではあるが、健全な男子中学生として、恋愛ごとが嫌いな者はいない筈。当事者の丸井には悪いが、正直俺も気になって仕方がない。
「柳君、ちょっといい?」
「……? 室町か。珍しいな、俺に何か用か」
放課後、部活へ行こうとしていた俺を室町が呼び止めた。周囲を気にしていたので「丸井はいないぞ」と告げたところ、彼女はとても驚いた様子で「え!? ああ、うん。そう……なんだ」と呟いた。ホッとしたような、ガッカリしたような、何とも言えない表情を浮かべている。
「じつは、ね……教えてほしいことが、あって」
柳君ってデータ集めが趣味なんだよね? と室町。一体赤也は俺のことをどんな風に伝えているのだろうか。
「趣味と言うわけではないが……テニス部、テニス選手のデータなら本校他校問わず揃っている」
俺のデータに何か用か。などと、解りきったことを尋ねてみる。俺の予想通り室町は「丸井君のことなんだけど」と言ったが、俺は今回ばかりは口に出すのを止めた。
「ま、丸井君に、好きな人とか……そういうの、わかる?」
「……ふむ。丸井は友好関係は広いからな。他校で言えば、氷帝の芥川あたりが――」
「そ、そうじゃなくって、あの」
俺も意地が悪い。室町鶴沙の考えも全て見通しているのに、二人の観察が楽しすぎて止められない。
異性で、好きなやつ。それはお前だと本当のことを教えてやってもいいが、それでは面白味に欠けてしまう。
俺は室町の言葉を待った。流石に俺相手でも――いや、俺だからか? 恋愛話は緊張するらしい。耳まで赤くしながら、彼女は言った。
「す、好きだから……知りたいの。おしえてください!」
主語が抜けているぞと教えてやろうとした瞬間、俺は見てしまった。
部活へ行く途中、近道にと植木を突っ切ろうとした丸井が、目を見開いたまま硬直していたのを。
「……え?」
「……丸井、君?」
人気は他になかった。だからこそ余計に、室町から見ればこの状況はあり得なかったのだろうと思う。だが俺は、毎回部活に遅れそうになると丸井がこの場所を通っていくのは把握済みであり、その場に居合わせた丸井が俺と室町を見てどう思うのかも、必然的に予想できる。
「わ、悪い、覗くつもりじゃなかったんだけどよ……」
「えっ、あの、丸井く……」
「やべ、俺部活に遅刻するから行くわ! 柳も早く来いよ!」
「ああ、わかった」
訂正する余地など与えず、丸井は部活の時よりも本気の走りを見せていた。無論俺から訂正してやることもない。これは二人の問題なのだから。
……それにしてもこんなベタな展開になるとは、仕組んだ側としても思い通りに行き過ぎて怖いくらいだ。丸井と室町には悪いが、これもいいデータのため、もうひと働きしてもらうとしようか。
「はあああああぁ……」
「どうしたんだ? ブン太のやつ」
「さあな」
ジャッカルが相方の様子を気にかけたが、俺は全くの無関心を装っていた。丸井からも先ほどのことに関しては触れては来ないので、少々拍子抜けだ。
室町が俺に告白したと思っているらしい丸井。あの後、室町から誤解を解いておいてほしいと頼まれたが、面倒だときっぱりと断った。それに俺が先ほどの告白は誤解だと丸井に伝えたところで、ならば室町の好きな相手は誰だという話になる。それを最初から説明するのも更に面倒であるし、最も肝心なことを俺から伝えて良いのかと尋ねれば、室町は泣きそうな顔で首を振った。
それにしても、データノートを見るフリをしている俺の方をチラチラと伺う丸井がさっきから鬱陶しい。
「……何だ?」
「い、いや、なんでもねぇ……」
そう言って視線を外してから、再び溜息を吐く。明らかに落ち込む丸井と心なしか楽しそうな(らしい)俺を他レギュラー達が見ていた。が、誰も詳細を知ろうとしないのは、相手が俺だからだろう。ただ一人を覗いて。
「丸井、随分と落ち込んでいるね。とうとうフラれたのかい?」
「……ッ!!」
空気を読んでか読まずにか、誰も口にしなかった疑問を発したのは部長である幸村だった。丸井の顔は、見ずとも分かる。
「お、俺、先上がるわ」
居た堪れなくなった丸井は、その場から逃げるように部室を後にした。
「だから、違うの。話を聞いて……!」
「何が。柳ならまだ部室だぜ」
「もう、丸井君!」
丸井が出てから約五分後に俺も帰宅のため部室を出てきたが、聞こえてきた口論の声に足を止めた。野次馬、としか呼べない状況に居合わせたのは、俺だけではなく赤也とジャッカルもだった。俺達は顔を見合わせ、物音を立てないように声の方へと近づいた。
二人の様子から察するに、帰宅部である室町は俺達テニス部の練習が終わるのをずっと待っていたのだろう。そうして誤解を解くために、丸井を待ち伏せていたのだ。だが、自分のことで精一杯な二人はまるで分かっていない。何故丸井が俺と室町の仲を誤解して不機嫌なのか。何故室町は丸井に俺との仲を誤解されて弁明しようと必死なのか。その理由に互いに気付いていれば、話し合いなど不要であるというのに。
丸井が室町に背を向けてこっちに来ようとする。慌てるジャッカルと赤也だったが、室町が丸井の腕を掴んで止めたことで、俺達の存在はバレずに済んだ。
「私が好きなのは、柳君でも他の誰でもなくて、丸井君なんだから!!」
「またそん、な……え?」
室町の口から飛び出た言葉は、丸井の思考回路を一時停止させるものだった。告白を聞いた丸井も、意図しない形でそれを口にしてしまった室町も、互いに目を見開いて固まっていた。
「……私が柳君をとか、何でそんな風に思うの?」
それはそうだ。室町は初めから丸井しか見ていないのだから。
「じゃあ……えっと、マジで?」
「私、丸井君に嘘なんかついたことない。本気、だよ」
室町の本気を感じ取った丸井の顔が、みるみる赤くなっていく。それは興奮と、情けなさが綯い交ぜになったような。
「……俺、やっぱ情けねぇ……」
「……丸井君?」
丸井は後悔に打ちひしがれている。もっと早く、自分の気持ちに素直になっていれば、あんなに悩む必要はなかったのだ。それ以前に、室町を悲しませることもなかっただろう。
「駄目だろぃ。ここは、ビシッ! と……なあ?」
「えっと……?」
「室町」
「は、はい」
暫く独り言を言っていたかと思えば、丸井は姿勢を正して室町を見た。緊張が走る。
丸井の口が、意を決したように開いて――
「俺と、つ、つきあって、くだし……あ。ください」
「……」
肝心なところでヘタレなのは相変わらずな丸井に、俺達見物者は大きな溜息を吐いた。
それでも室町はそれはもう嬉しそうに、返事をするのだった。
「……はいっ」
桃色の空間の中で俺は携帯を開き、メールを打つ。やれやれ、だ。