テニス部は今日も真田の怒号で練習が始まる。
委員会もないのに最近遅れてくるブン太に「一体何をしていたんだ」と真田が問い詰めたが、いつものように平謝りでそれを通り抜けるブン太は毎度のことながらすごいとある意味感心してしまう。自然とランニングの輪に加わり隣を並走し出すブン太に、真田と同じく「何していたんだ?」と問うが、やはりブン太は「ちょっとな、野暮用」とだけ言って、具体内容は教えてはくれなかった。
遅れてきたとは言っても物の五分。ブン太にしては早い方だ。ランニングを終え、二人一組になって柔軟を始めた矢先、赤也がギャラリーを見てあっと声を上げた。誰か知り合いが居たようだ。
「せんぱーい!!」
そう手を振る赤也に、俺に背を押されて前屈していたブン太が勢いよく顔を上げた。危うく頭がぶつかりそうになって抗議するが、やつは全く聞いていない様子で、赤也に名前を呼ばれたという女を見ていた。
というのは、ブン太や仁王と同じクラスののことを指しているらしい。目立つのがそんなに得意では無さそうだが、赤也に大声で呼ばれた彼女は苦笑いを浮かべながら小さく手を振った。
「初めてじゃないっすか!? 見にきてくれるの!」
「え? あ、うん。そうかな……友達待ってるついでに、寄ってみただけなんだけど……」
まるで犬のように尻尾を振りながらフェンスへと駆けていく赤也には戸惑いを浮かべている。ああ、そんなに近づくと、ほら。
「……赤也。途中で練習を抜けるとはいい度胸だな」
「ゲゲッ、真田副部長!?」
「来い、貴様は基礎練三倍だ!」
「ちょっ、勘弁してくださいって!!」
首根っこを掴まれて、ずるずると引き戻される赤也に、柳や仁王はやれやれと顔を見合わせてはため息を吐く。それはいつもの光景だった。だが、赤也との様子を見ていたブン太は面白くなさそうに、無意識に唇を尖らせていた。多分これは、嫉妬なのだろう。
「……お前も行けばいいんじゃないのか?」
「は? ジャッカル、お前何言ってんの」
「と話がしたいんだろ?」
「ばっ……そんなんじゃねぇしっ! ……さあ、交代だ交代!!」
急に立ち上がり、ブン太は俺の背後に回って背中を思い切り押してきた。
「いっ、いてぇ!!」
「あ、悪いジャッカル」
そんな俺たちのやりとりをが見ていたなんて、きっとブン太は気づいていないんだろうけど。
結局、約束をしていた友人とやらは別の用事が入ってしまい時間を持て余したは最後までテニス部の練習を見ていた。
「いやー、真田副部長は相変わらずきっついぜ……」
「そりゃ赤也、お前が悪いぜよ」
「部活サボってたわけじゃねっすよ! ね、先輩」
「え? ええ……そうよね。頑張ってたよ、うん」
帰り際、家が近いことから「一緒に帰りましょう!!」と赤也に押し切られたは、俺たちテニス部と並んで帰路と歩いていた。仁王と赤也にの隣を占領されて、他の連中から一歩引いて歩くブン太は至極面白くなさそうで、恨めしそうに前を見ていた。いつもなら、もっと積極的に間に割って入るくらいするだろうに。それだけ本気ということだろうか。
赤也はただ単純にを慕っているだけなのだろうが、きっと仁王はブン太の気持ちに気づいている。同じクラスなのだから当たり前だ。それを理解していながら、わざとの隣を歩いているのだから本当に質が悪い。
「あ、それじゃ私この辺で……」
「また明日っす!」
「あ……っ」
が挨拶を残して、赤也がその後を追いかけていく。何か言いたげに口を開いたブン太は、俺たち他の部員を横目に伸ばしかけた手を引っ込めて呻いた。
「……また、明日」
わかりやすいやつだ。「腹が減った」と俺に縋ってくる時と、同じ顔をしている。恋愛と空腹を一緒にするのもどうかと思うが、それほど、ブン太にとっては大事であるということだ。という存在は。
それからはテニス部の練習をちょくちょく覗きに来るようになった。委員会があるときは来れないが、基本帰宅部なので、何か用事がない限りはひっそりとフェンスの脇に佇んで誰かを見ていた。明らかに目的がわかっているのだが、可哀想なことに、それは二人の鈍感な男のせいで本人に伝わらないようだったけれど。
「、もう来んな」
「え……」
「気が散るんだよ。邪魔」
当たるのはそこじゃないだろう。俺を含め、他の三年レギュラー陣は誰もが思ったことだろう。だが、天然な赤也と、赤也を見に来ていると思い込んでいるブン太のせいで、は嫉妬を顕にしたブン太からそんな言葉を浴びせられてしまった。
「私、邪魔したつもりは……」
「そっちにその気がなくても、あんたがいることで赤也が集中しねーし、俺たちの指揮も乱れるんだよッ」
赤也が「そんな言い方しなくても」と食ってかかるが、ブン太に鋭く睨みつけられて、赤也は押し黙った。
「……わかった、ごめん……もう、来ないね」
それだけを搾り出すような声で告げると、しょんぼりと肩を落として、は背を向けて歩いて行ってしまった。自分の失言に気づいたブン太が咄嗟に顔を上げた時にはもう遅い。
「あ……」
本当ははお前を見ていたんだよなんて、言えたらどんなに楽だろうか。しかしそれは、本人たちが気づかねばならないことである。
「……明日、ちゃんと謝れよ」
「うん……」
ぽんとブン太の肩を叩けば、珍しく素直に頭を垂れた。空気を読まない真田の「解散ッ」の声を聞きながら、の去っていった方向とブン太の背中を交互に見て、赤也がハッと呟いた。
「……もしかして、原因俺っすか?」
遅ぇよ、馬鹿。
口には出さない代わりに、俺は赤也に溜息を吐いた。