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     うわさ好きな連中が、まことしやかに囁く。が援助交際をしているとか、中学の時に不純異性交友で問題になって知り合いのいないこの学校を選んだとか。俺の知るは、間違ってもそんなことはしない。俺の好きな人は。

    「でも、青八木はあの人のこと何も知らないだろ」
    「……その通りだ」

     それは俺の願望でしかない。綺麗で、上品で、控えめな、俺の中の。中学の頃に何があって彼女が殻に閉じこもるようになってしまったのか、総北高校に来た本当の理由も、俺は解っていない。俺はまだ、そこまでの領域に立ち入ることを許されてはいないから。

    「もしさ、噂が本当だとしたら? 青八木が想うが、偽物だとしたら。好きじゃなくなるのか?」
    「!! それは……」

     即答できない自分が悔しい。何があっても彼女が好きだと思うのに、もしも俺が見てきた全てが嘘なら、俺が好きになったがどこにもいないなら。この想いはどこへ向くのか。そんなの、考えたってわかるはずもないのに。

    「今は、関係ない。噂の真偽がはっきりしてから考える」
    「そりゃそうだ」

     さすが青八木、と純太が俺の肩を叩いた。
     先日見たの笑顔が脳裏に浮かんで、そして消える。今、考えるべきは他にあると。

    「……悪い。部活に行こう」
    「ん、ああ」

     耳にした噂の全てが嘘であってほしいと願いながら、俺は純太と自転車競技部の部室へと向かった。
     家計の助けにと高校に入ってアルバイトを始めたらしい。金に困って援助交際をしているとか、そんな話がどこからか飛び込んできた。どうして今更、彼女の話題が浮上するのか。いつも目立たない、ひっそりと本を読むだけのあの子が。

    「あれ」

     部室へと向かう途中で、純太が足を止めて声を上げた。一体どうしたんだと俺が問う前に、

    「さんじゃね」

     そう言って遠くに見える彼女の背中を指差した。

    「何してんだろ、あんなとこで」

     バス通学のは、帰るなら正門に向かうはず。だがしかし、此処は正門からは離れた校舎の裏。彼女が向かおうとしているのは体育館倉庫のある辺りだ。

    「純太。部活、少し遅れる」
    「おー」

     一言そう断りを入れてから、静かに彼女の後を追う。悪趣味だと思われるかも知れない。気づかれて、嫌われるかも知れない。それでも追わずにはいられなかった。少しでもという人間のことを、知りたくて。

    「あの噂ってさ、本当?」
    「え」

     聞こえたのは、他の男と、彼女の戸惑いの声。

    「金払えば、付き合ってくれるって」

     厭らしい笑みを浮かべながら、へと近づく。急に距離を詰められたは泣きそうな顔をしていた。男が手を伸ばして、彼女の肩に手を置いた。その瞬間、と目が合う。助けを求められた気がして、俺は

    「何を、している」

     静かに、ただ静かに声をかけた。

    「あっ、青八木……!?」

     クラスメイト、だっただろうか。見覚えのある顔だ。しかしそんなこと気にしている場合ではなく、ただ早くその手をどけろと言わんばかりに睨みつければ、そいつは慌てた様子を見せた。何でもない、と言いながら早々に立ち去って行く。

    「大丈夫か」
    「あ、りがと、う」

     眉を下げ、戸惑いながらも礼を口にする。身体が震えているのがわかって、それ以外に何と声をかけて良いのかがわからなかった。純太なら、こういう時に良い慰め方がわかるだろうか。しかし、今この状況で少し待っていろとは言えない。目の前の彼女は今、俺の前で、泣いているのだから。

    「噂のこと、青八木君も知ってた?」
    「……偶然耳に入っただけだ」

     震える声で、口に手を当てながら俺に質問を投げかけたが、続けて聞いてくる。

    「……信じて、る?」
    「!」

     ぞわぞわと身体が粟立つ。俺は純太のようにあまりたくさんのことを考えられないから、彼女にとって何が正解なのかはわからない。ただ、肯定は絶対に正しいとも言えず、かと言って無条件に否定することも今の俺には出来ない。

    「信じたくない、とは思っている」

     それが正直な気持ちだ。

    「……そっか」

     が鼻をすすって、涙を拭う。そしてわずかに微笑んだ。

    「ほんとじゃないよ、私、そんなことしてない」

     本当ではないけれど、嘘とも言い切れない。そんなはっきりしない言い方に何だかモヤモヤする。それでも問い詰めることはできないから、俺は何も言えずに立ち尽くすだけだった。

    「そう、か」

     それ以上のことを聞いて良いものかわからずに、それだけを呟く。ふと、が笑った気がした。

    「ありがとう、気遣ってくれて。青八木君、やっぱり優しい人ね」
    「……」

     そんなことは、ない。誰にでも優しいわけではないし、下心がないとも言えない。しかし、正直にお前にだけだなどとは言えるはずもなく。

    「聞いても、いいか。嫌なら無理には言わなくていい」

     どうして、あんな噂が立つようになってしまったのか。今更、という思いが拭えない。

    「他の学校に行った子たちから、広まったみたい。どうしてかは、わからないけど」
    「!!」

     俺のせいだ。純太に相談して、のことを調べたりなんかしたから。

    「中3のときに、帰り道で、襲われたの」

     彼女の口から告げられる、衝撃的な真実。言葉の意味を理解するのにやや暫く時間がかかったが、言葉のニュアンス的に最悪の事態には至らなかったようだ。

    「相手は好きな先輩で、その人と一緒に居たくて決めた志望校を変えてここに来たの。家の都合で部活にも入らないことにしたから、目立たないように過ごそうって決めていたんだけど」

     変な脚色されて、悪目立ちしてしまったというわけか。

    「……すまなかった」
    「? どうして青八木君が謝るの?」

     変なの、とは笑う。理由を話せば絶対に軽蔑される。嫌われてしまう。そんなのは嫌で、情けなくてずるい俺は、本当のことを話さずにただ謝罪の言葉を口にする。

    「私、最近ちょっと楽しかったよ。青八木君が話しかけてくれて」
    「……男嫌いだって、聞いた」
    「最初は少し怖かったけど、でも、青八木君は平気だよ」

     ダメだ。そんな風に言われたら、期待してしまう。もう少し近づいてもいいのかと、思ってしまう。そんな風に、笑いかけられたら。

    「……え?」

     糸が切れたみたいに、衝動を抑えられなくなった。気づけば勝手に身体が動いていて、自分が何をしたか理解したときには、目の前には呆然とするの姿があって。

    「……ッ!!?」

     柔らかな唇の余韻に浸る間も無く、弾かれたように距離をとる。何がもう少し近づいても、だ。近づきすぎるだろ。

    「すっ、すまな……い」

     何と弁明すればいい? 謝罪のために顔を上げれば、呆けたままの彼女の頬を雫が伝った。

     好きな子を、泣かせた。

    「……ご、めんなさい……」

     静かに呟いたは、涙を拭うと俺の脇を通り過ぎて正門へと向かった。

     せっかく、優しいと信用してくれていた彼女のトラウマを俺自身で蘇らせてしまうなんて。最低で、最悪だ。

    to be continued...





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