「築永さんって部活入ってたっけ?」
「えっ……ううん、入ってない、けど」
先週席替えをした。俺は廊下側の後ろ、ドア付近という微妙な位置で、純太は窓側から二列目の後ろから三番目。築永はその隣の窓側の席で、よく外を見ている。純太は俺のかわりに築永へ話しかけて、きっかけを作ろうとしているようだった。だが、築永は不審な眼差しを純太に向ける。
「自転車部とかどう? マネージャー超募集中」
1年の女子マネもいるんだけどさ、とさり気なく男だけではないことをアピールしていたが、築永は「ごめんなさい」と即答だった。
「アルバイト、してるから」
謝罪の後に続いたのは拒絶ではなく、思いのほかちゃんとした理由だった。しかし、アルバイトをしていたとはかなり意外だ。それには純太も同意見だったようで、目を丸くしていた。
「へぇ! 意外だなぁ。何してんの?」
「接客業……一応」
行ってみたい。築永に接客されたい。そんな俺の念を受け取った純太が「バイト先どこ?」と聞くと、築永は赤いような青いような顔をして、慌てて手と首を振った。こんなに動く築永を見たのは初めてだ。
「は、恥ずかしいからダメ、絶対教えられない……」
接客業ならそのうち彼女の働く店に出会えるだろうか。作られた営業スマイルでも、その微笑みが自分に向けられたなら、どれほど幸せだろう。
「じゃあさ、築永さんにいろいろ聞いてみたいんだけど」
本題はこちらだろうか。純太が築永にいろいろなことを質問して、その話術にかかった築永は戸惑いつつも自分の情報をどんどん漏らしていった。
純太が耳にした「築永陽は男嫌い」という噂の出所は定かではない。未だかつて、彼女が同じ中学出身だという友人と話しているところを俺は見たことがないから。中学じゃなくてもいい。小学校でも、塾や習い事でも。高校以前の築永を知る人物はこの学校にはいないのだ。
「新情報、持ってきてやったぜ」
とある日の昼休み、純太がそう言って目の前の椅子を引いて座る。最近俺は純太に頭が上がらず、自販機で買ったばかりの紅茶飲料を献上した。
「やっぱり総北に築永と同中のやつはいないみたいだな」
それはどこ情報か。携帯をいじりながらそう呟いた純太が俺に見せたのは、とある会話画面。
「他の高校に行ったやつらにさ、聞いてみたんだよ。そしたら中学の時の築永を知ってるやつが同じ学校にいたらしくて、代わりに話聞いてもらったんだ」
「……」
だから、先日築永に半ば強引に出身中学を聞き出したのか。流石、手嶋純太は策士である。
食い入るように液晶を覗き込む俺を横目に、純太は冷えたミルクティに口をつけた。
それは他校のやつとのやり取り。本は当時から好きだったらしいが、今の彼女からは想像出来ない姿がそこには記されていて、俺は衝撃を受けた。陸上部所属で面倒見が良くて、仲の良い男の先輩がいた。陰で付き合っているのではという噂もあったが、その真偽はわからない。男嫌いという疑念は晴れたものの、築永に好きなやつがいるなら、それはそれで絶望的な気もする。
「なんで築永は、陸上部に入らなかったんだろう……」
「それがわかんないんだよなー。最初の志望校も別のとこだったのに、突然変えてウチに来たらしいしな」
「……」
中学の彼女に何かがあったのは明白だった。それでも簡単に諦められるほど俺は彼女を軽視してはいないし、こんな大切な時期に浮ついた話なんてしない。だからこそ、焦る。一体どんな、男嫌いになるような出来事が築永の身に起きたのか。俺の見ていた築永が本当の姿じゃないなら。俺は、彼女にどんな声をかければ良いのだろう。
「分かったのはこれくらいだけど、逆に道のりが遠のいたな」
「全くだ……」
ただでさえ恋愛初心者な俺なのに、意中の相手は一筋縄ではいかないみたいだ。
諦めるしかないのだろうか。
「よう、早いな青八木」
放課後、掃除も無くて早めに部室に着いた俺を見つけて田所さんが声をかけてくれた。部室の扉の前で一言二言会話を交わすと、俺の後ろの人物を見て田所さんが声を上げる。
「お、築永! 気をつけて帰れよ」
「!?」
田所さんの口から出た名前に俺は勢いよく振り返った。それは今、俺の思考の大半を占めている人物の名前だったから。
彼女は少し驚いた様子だったけれど、田所さんの姿を確認すると安堵したのか会釈をし、帰って行った。
「……あの、田所さんは築永と知り合いなんですか」
「おう、そういや青八木と手嶋は同じクラスだったか。あいつ俺ん家のパン屋でバイトしてるからな」
「…………えっ!?」
その発言には流石に俺も驚きを隠せない。まさかバイト先が尊敬する田所さんの家だったなんて。
「小さい店だし普段はアルバイトなんて募集してねーんだけどよ、前に求人誌睨んでるの見つけちまってな」
田所さんは世話焼きな人で、困ってる人をほっとかない。そんな田所さんには俺も幾度となく救われているし、築永もそうなのかと思ったら親近感が湧いた。
「なんだ、気になるのか?」
「いっ、いえ……!」
詮索するような視線に慌てて首を振った。世話焼きなのは良いことだけれど、こればかりはそっとしておいて欲しい。
「ま、頑張れよ」
「……」
見透かされている。自転車も恋も何ひとつ上手くいかない俺の焦燥、戸惑い。全く、この人には本当に敵わない。
「……パン屋、か」
またひとつ、彼女についての知識を得られた。そのうち行ってみようか。田所さんの家のパンは本当に美味いし、尊敬する先輩に会いに来た。そうだ、純太も連れて行こう。そうすればきっと不自然ではないはずだから。
まだ部員が皆揃っていないから、先に着替えて自主練でもと思ったが、田所さんに止められてしまった。
「こういう時のお前はトバしすぎるからな、今はやめとけ」
「……はい」
田所さんの言う通りだ。
純太と田所さんのおかげで少しは改善された俺の短所も、恐らく今は意味がない。本当に情けないと思う。恋に浮かれて、自分を制御できる気がしないなんて。