「どうしたら、いいと思う」
「……そうは言われてもなぁ」
顔の広い純太に打ち明けたのは、恥を捨てた結果だった。
「だろ? 悪いけど、俺もあの子のことはよくわかんないんだよ」
「……そうか」
好きな人がいる。誰かにそれを話したのは勿論初めてのことで、いつも一緒にいる手嶋純太でさえ気付いてはいなかっただろう。その人と深い関わりを持っていたかと言うと別にそうではないし、誰かに勘づかれるほど目で追うような素振りをしたことも無かったはずだ。だから部活終わりに純太の家に上がったとき、藁にも縋る思いで打ち明けたのだ。何か、彼女のことを知ってはいないか、と。
という総北高校の女生徒は、いつも目立たない席で一人で過ごしている。友達は俺と同じで少ないようだがいじめられているわけではないし、話しかけられれば普通に応じる。俺も幾度か言葉を交わしたことはあるがそれは業務連絡のようなもので、あくまで必要事項のみだった。
俺が彼女に惹かれたのは、昼休みに中庭で本を読んでいたを綺麗だと思ったから。校舎の中からその姿が見える度、そう思った。木漏れ日が彼女を照らして、ページを捲る指が綺麗で、活字を追う目が優しくて。彼女の教室の前を通るとき、廊下で見かけたとき。俺とはまた違った意味で喋らない彼女の、時折聞こえる声に全神経を集中させた。あまり高くは無い、落ち着いたアルトの声が心地良い。
更衣室なんかで時折される、女子で誰が可愛いか、なんていう話にも彼女の名前が上がることは少なかった。俺は別にそこまで容姿や体型などを重要視してはいなかったが、それでも彼女を可愛いというやつは確かに居た。しかし、皆一様には暗いと言う。俺はそうは思わない。何故なら、あんなに綺麗な仕草で本を読む人を彼女以外に俺は見たことが無いからだ。そういう点で敵がいないのは安心なのだけど、しかし俺自身そういったことには疎いという自覚があるので、彼女の存在を認識する以外の行動がとれずに一年が過ぎてしまったのだった。そこで、ある程度の知識があると思われる純太に相談するに至ったのだ。
「悪いな、来年のことだって考えないといけないのに」
「何言ってんだよ、水臭いな。部活も大事だけど、恋愛だって同じことだぞ!」
純太はそう言って俺の背中を少し強めに叩いた。二年目のインターハイが終え、優勝を手にした俺達が目指すのは来年の二連覇だ。純太が次期主将で、俺も副将としてやらなければならないことは山ほどあったが、部活とは関係ないところでも頭を悩ませているのだった。今を逃したらきっと俺は、いつまで経っても気持ちを伝えられないと思ったから。
「でもガードが固いんだよな、は」
「……ガード?」
「俺もさ、去年委員会で一緒になったから話しかけてみたんだよ」
社交性の高い純太だから出来る高等術だ。例え俺がと同じ委員になったとしても、一音も声をかけられる気がしない。
「それで、どうだったんだ」
「うーんと」
『さんっていつも本読んでるよな。その本好きなの?』
『えっと……オススメの棚にあったから』
『……そっか』
「ソッコーで会話終了した」
「……」
「世間話とかも苦手そうな感じだったな」
そもそも俺に話しかける勇気なんてない。今年同じクラスになったからと言って、彼女の視界には俺なんか映っていないだろう。元々無口で暗い性格だという自覚はあるし、他の同級生や後輩ともまともなコミュニケーションをとれない俺が、意中の相手と交流を深めるなんてまず無理な話だ。社交性の高い純太で瞬殺だったら、俺なんか無視されるのがオチだろう。
「んー、難しいなぁ」
「難しい、か」
「うん、音ゲーのエクストラくらい難しい」
「太鼓の超人の鬼くらいか」
「そうだな、鬼だわ」
あれくらい可愛い鬼なら、退治する必要もない気はするけど。なんて、関係ないことを考える。
「あの子、真面目だからいろんな先生と仲良いしよく頼み事とかされてるからさ、それとなく手伝ってみれば? 上手くいけば好感度上がるかもよ」
純太はいいやつだ。俺のために、茶化したりせずに真剣に考えてくれている。
好感度と聞くと小野田が話していたゲームを思い出すが、それは一理あるかも知れない。俺だって、このまま遠巻きに見ているだけなんて本当は嫌なんだ。
「ありがとう、純太」
少し、頑張ってみる。そう言うと、純太は嬉しそうに「健闘を祈る」と言って笑った。
数日後。昼休みに姿が見えないと思ったら、日直の仕事を頼まれていたらしいが大量のプリントを抱えて廊下を歩いていた。声をかけようか、でも、周りには沢山他の生徒もいてとてもじゃないが声をかけられる雰囲気ではない。
「……あっ」
「!」
迷いながらも彼女の行動を見守っていると、山の一番上になっていた一枚が風に吹かれてひらりと床に落ちた。たまたま近くに居た風を装って、すかさず拾う。
「……これ」
「あ、ありがとう。青八木君」
プリントを山の上に戻すと礼を言われた。初めて、名前を呼ばれた気がする。そして浮かれた俺は、調子に乗って「手伝おうか」などと口走ってしまったことを数秒後に後悔した。
「だ、大丈夫。教室すぐそこだし、そんなに重くないから」
慌てた様子のは、これ以上話しかけるなと言わんばかりの勢いで去って行く。プリントを受け取ろうと差し出した手が虚しく宙を彷徨った。「手伝おうか」。俺がこの一言を発するのにどれほどの勇気を要したのか、彼女が知る由も無い。
「……その様子じゃ、ダメだったか」
一人で教室に入ってきたと遅れて席に戻った俺を見て察しがついているのだろう純太が声を潜めて訊いてきた。俺はただ静かに頷いて、肯定する。
「といえばさ、前に聞いた噂思い出したんだけど」
プリントを教卓に置いてまた教室から出て行くを確認した純太が、周りを気にしながら続けた。俺は少しだけ耳を寄せて、その次の言葉を待つ。
「男嫌いだって話」
「……それは、」
どうしたって俺に見込みなんかないじゃないか。そう思うと一気に脱力感が押し寄せた。