09




     写真部の活動が忙しいから、と言われること数週間。部活がオフの度にさんを山に誘っているのに、彼女はあれきり一度も応じてくれない。別に付き合っているわけじゃないから、予定があるなら仕方ないし、行く行かないは当人の自由だ。それはわかっている。わかってるんだけど、やっぱり俺はあの人が好きで、一緒に山に登りたくて、仕方ない。

    「さん、明日空いてる?」
    「ごめんね、明日は部活の子と写真館に行くの」

     展示の仕方を見てくる、とさんは言う。部活動の一環としてなら仕方ないだろう。休みの日なのに大変だなと思いつつ、だけど俺はもう随分と山へ行っていない。行くときは、さんを連れて行きたいと思っているから。

    「じゃあ、いつなら、いい?」
    「……真波君」

     食い気味に俺が詰め寄ると、さんは少しだけ身を引いて、困ったような表情を浮かべた。

    「最近、少し変よ」

     彼女のその瞳は、軽蔑か。それはそうだ。以前彼女と山を登った二回のうち一回はさん本人が登ってみたいと言ってきて、次に行ったのは気分転換にと俺が半ば無理やり連れ出したからだ。こんな風に、誘ったりしなかった。

    「……そうだね。俺、なんか最近おかしいや」

     疲れてるのかも。少し頭冷やすね、ごめん。そうやって曖昧に笑って誤魔化した。確かにこんなの俺らしくないや。委員長にも怒られちゃうかな。
     急ぎすぎたのかもしれない。俺、結構来るもの拒まずでいろんな女の子から声かけられたりはしたけど、そういえば自分から関わろうとしたことはなかった気がする。お隣同士で世話焼きの委員長も、俺が何か言う前に来て助けてくれるしさ、自分から行動を起こさなくても、周りが何とかしてくれるって、きっと心のどこかで思っていたんだ。
     週が明けて、さんに話しかけようと機会を伺ったけど、休み時間の度に教室を飛び出してばたばたしているようだったし、だから覗いても会えないし。俺を避けているとかじゃなくて、本気で忙しそうだった。まあ、実際避けられているのかもしれないけど。
     委員長はきっと俺がさんに抱く思いに気づいているから話を聞いてもらおうかとも思ったけど、多分委員長はさん側だから何だか話せなかった。もう何日も、さんとまともに会話できてない。

    「どうしよう……東堂さん――は、話し出すと面倒だし。荒北さん――に女の子の話は意味ないか。福富さん、泉田さんは――この時期にこんなことで悩んでるなんて怒こられちゃうかなぁ」



    「それで、俺のとこに来たのか……」

     箱学男子寮の新開さん部屋を訪ねると、新開さんは珍しいな、と少しだけ驚いて、だけど快く部屋に招き入れてくれた。

    「うん。新開さんなら女の子にそこそこ詳しいだろうし、面倒くさくないし」
    「おめさん、それは尽八のことかい」
    「で、何かアドバイスありませんか? 俺、さんと仲良くなりたいです。いや、っていうか彼女になって欲しいんですけどどうしたらいいと思いますか?」
    「直球だな」

     東堂さんのことについては完全にスルーした俺に、新開さんは呆れたような、けれどどこか楽しそうな笑みを浮かべた。

    「あの真波がなあ。恋か……」
    「何しみじみしてるんですかー、俺は本気ですよ」
    「わかってるさ」

     新開さんは顎に手を当てて、「そうだなあ」と呟いた。

    「何もしなくていいんじゃないか?」
    「えー?」

     もっと押せといわれると思ったのに、拍子抜けで残念な声が出た。直線鬼がそんなんでいいんですか。文句を言うと、新開さんが苦笑する。そういう直線じゃないぜ、と。

    「ちゃん忙しいんだろ? 真波のことも、怒ってはいないと思うし、今無理に話しかけたらその方がこじれるんじゃないか?」
    「……でも俺、さんと話がしたいんだ」
    「それはおめさんの都合だろ? 真波」

     頭ではわかっている。俺の全部を受け止めてくれた優しいあの子が、あの時の俺のように真剣に取り組んでいること。そもそもこの時のためにさんは俺に声をかけたようなものなんだから、俺なんかより写真の方が大事だって最初からわかってる。だけど、心はそうは言ってない。今まで直感で、自分の気持ちに正直に生きすぎたから、俺はこの想いを持て余しているんだ。どう抑えればいいのか、わからない。

    「今までのツケが回ってきたのかなあ」
    「……おめさん、まさか反省したのか? 尽八が泣いて喜びそうだな」
    「あ、いえ。部活のことは全然悪かったとは思ってませんよ」

     けろりと言ってのけると、新開さんはパワーバーを喉に詰まらせた。ごほっと咽込んで、水を一気に呷った。

    「話しかけるのもダメかな?」
    「口実があればいいんじゃないか?」
    「口実……かぁ」

     そんなの、あるはずがない。俺達はクラスが違うし、山に誘う以外で俺がさんに話しかけることってあまりなかったから。それ以外でとなると、何があるだろう。うん、ないや。

    「……ダメだあ、新開さーん」
    「やれやれ」

     甘える俺の声に、新開さんはぽんぽんと俺の頭を撫でた。なんだか安心する。そういや新開さん、弟いるって言ってたっけ。

    「三日間、我慢しろよ」
    「……三日?」

     そう、三日。
     新開さんはそれだけ言うと、俺を部屋から追い出した。三日後、何があるのかは教えてはくれなかったけど。



     俺にとって三日も何のアクションも起こせないのは辛い。廊下ですれ違う度、俺に一瞥もくれずに去っていくさんに溜息しか出てこない。気づいてすらいないって、そりゃないんじゃない? 俺、すごい悲しい。

    「真波君!」
    「……え?」

     新開さんに言われた三日という日が過ぎた頃、移動教室で廊下を歩いていたらさんから声をかけられた。彼女も次の授業へ向かう途中だったらしくすれ違うだけだったけれど、久しぶりに声をかけられて俺は間抜けな声を出した。

    「ありがとう! ……じゃあね!」

     それだけ言って早足に歩いて行ってしまうさんに、俺は答える暇もなかった。何が? え、何?

    「……なんだったんだろう、あれ」
    「山岳、もしかして見ていないの?」

     俺とさんの会話を端で聞いていた委員長が、不思議そうに尋ねて来た。

    「委員長、見てないって何を?」
    「……――」

     委員長の言葉に俺は、次の授業のことなんて気にせずに走った。後ろから、山岳! と委員長の声がしたけれど、今こんなところで俺に教えた委員長が悪いと思う。
     気づくわけないって。そんなところに飾ってたらさ。

     一年の教室とは真逆の階段下の廊下、一番左端。なんで俺がいつも通らないような場所にしたんだろうって思ったけど、きっと一年生だからこの辺のスペースが妥当なのかもしれない。
     俺は足を止めて、真正面からその写真を見る。校内の写真展示が今日からだなんて知らなかった。いや、多分教えてもらっていたけど俺が忘れてただけだ。さんが必死に選んで、決めた一枚。
     インターハイで、坂道君と走っているときの、俺。

    「……、」

     声が出てこない。一瞬だけ呼吸も止まって、ひゅっと息が苦しくなった。
     そこに映るのは確かに自分自身なのに、まるで別人のようだ。客観的に自分の姿を眺めて、これがさんから見た俺なんだなと思うとドキドキした。

     タイトル「山岳」。俺の名前と、クライマーである山をかけてのことなんだろうか。さんに名前で呼ばれてると思うと何だか照れくさくなるけれど、とても嬉しい。投票期間は今日から一ヶ月。一人一枚ともらった投票用紙なんかきっとどこかにいってしまっているだろうから、あとで先生にもらっておかなきゃ。

     授業をサボって一時間たっぷりと展示された写真を眺めていた俺は、授業終了のチャイムと同時に走り出す。彼女のクラスの授業、なんだったっけ。



    「さんっ!」
    「ま、真波君……?」

     理科室から出てきたさんをつかまえて、俺は肩で息をする。結局移動教室全部回っちゃったよ。途中で会った委員長にはすごい睨まれたけど、今日だけだから許してって言って逃げてきた。

    「どうしたの、そんなに息切らして」
    「、さん、俺、」

     呼吸を整えながら、だけどもう早く伝えたくて。膝に手を当てたまま、顔を上げて早口に言う。

    「さんが好きなんだけど、どうしたら彼女になってくれる?」

     ざわ、ざわ。理科室前、授業が終わって他の生徒達が出てくる中での公開告白にみんなの視線が集中する。さんといえば、ぽかんと呆けていて、かと思えば一瞬にして顔を真っ赤にして「ちょっと来て!!」俺の手を引いて廊下を走った。俺、今日何回走るんだろ。



    「何、今の……」
    「何って、そのままなんだけど」

     階段の踊り場で、さんはずるずると壁にもたれかかりながら座り込んだ。両手で顔を隠しながら「しんじられない」と呟く彼女は耳まで赤い。

    「いつから?」
    「……インターハイの後、かな。気づいたのは。でもきっと、一緒に山を登ってくれたときから好きだったよ」
    「私も」
    「え?」
    「……私も、インターハイの後から真波君が好きって気づいた」

     今度は俺が呆ける番だった。俺はさんに避けられていたから、どうしたら近づけるかなって本気で考えていたのに、どうやら心配は要らなかったみたいだ。

    「真波君はそういうこと、興味ない人だと思ってた」
    「どういう意味?」
    「女の子なら来るもの拒まずって感じ。東堂先輩に似てるから」

     東堂さんと同じにしないでほしいなあ。そりゃ、女の子は好きだけど。でも俺、自転車部を見に来てくれる子の誰よりも、さんが好きなんだ。

    「じゃあ、俺の彼女になってくれる?」
    「……私で、いいなら」

     屈んで視線を合わせると、さんが恥ずかしそうに頷いた。初めて見る表情に俺はドキドキして、もっと、この子のいろんな顔が見たいなあって思った。

    「教室戻ったら、きっと大騒ぎだね」
    「誰のせいだと思ってるの」

     手を繋いでさんの教室まで戻ったら、クラス中から祝福された。俺はその後自分のクラスに戻って、委員長に詰め寄られて事情を話し「おめでとう」の言葉をもらったあとに、さっきサボった授業で出されたプリントをやらされる羽目になったんだけど、今日は甘んじて受けようと思った。委員長の目が怖いし。

     次の週末、山に行こう。
     そう誘ったら、今度は快諾してくれた。

     俺は山と、さんと、自転車と。
     さんは写真と、俺と、景色と。

     自然の中で笑いあう。そんな想像するだけで幸せになれるんだから、恋って不思議だ。

    to be continued...





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