彼女が出来ました。
さんに告白した放課後、部室でそう宣言したら、新開さん以外の先輩方はぽかんと呆けて俺を見た。その後で、荒北さんには「不思議チャンに彼女なんて早えーヨオメデトネェ!」と背中に蹴りを食らった。何だかんだ優しい。俺が新開さんに相談に乗ってくれたことへの礼を告げると、東堂さんは「何故だ真波! 何故隼人に相談して俺には何の報告もないのだ!?」と地団駄を踏んだ。だって東堂さん、面倒くさいんだもの。
「彼女にうつつを抜かしている場合ではないんだぞ、真波」
「わかってますよ、泉田さん。カッコ悪いとこ見せらんないし、来年のインターハイは絶対負けませんから」
おどけたように言うと、泉田さんはそういうことじゃないんだが、と苦笑して、それ以上は何も言わなかった。
部活も恋愛も大事だからな、どちらも両立出来るよう頑張れ。ついでに勉強もしろ。
先輩方の激励を受けて、最後の台詞は聞かなかったことにして、俺は嬉しくなってその日はいつもよりたくさんペダルを回した。風が気持ちいい。
「おはようさん!」
「おはよう、真波くん……相変わらず早いのね」
待ちに待った土曜日。
まだ眠そうなさんを前に、俺は嬉しくなって自然と笑みが零れる。やっぱりパジャマなんだ。目をこすりながら、上がって待ってて、と言われて不覚にもドキッとした。前は玄関先で待っていただけなのに、付き合うっていろいろ変わるんだ。少しだけ、その人の領域に踏み込んでも許されるんだな。
居間でそわそわとさんの準備を待つ。扉の向こうで彼女が着替えているんだと思うと緊張する。いや、何をするわけでもないんだけど。やや暫くして、扉が開いてさんが出てくる。
「お待たせ。すぐ行く?」
「ん……今日はさ、街に行こうと思って」
俺がそう言うと、さんは目を丸くした。
「いや、さ……実は、東堂さんと新開さんが、初デートに山はナイ!! って」
落ち込む俺にさんは微笑んで、別に気にしないのにと言った。嬉しいけど、やっぱり初デートって大事だし、さんに喜んでほしいから、俺は心に決めたんだ。
「今日は俺、自転車に乗らない」
「えっ!?」
「だからさんも、カメラは禁止ね」
俺の言葉にさんは「え、えっ?」と困惑していた。
「山の話も写真の話もしないで。俺はさんのこと見るから、さんも今日は俺だけを見て」
俺の言いたいことがわかったらしいさんは、小さく頷いた。今日は互いのことを、もっと知る日にする。
「交通機関使うことになるけど、お金とか大丈夫?」
「うん、バイト代まだ今月は手つけてないから」
「そう。良かった」
本当は全部出してあげたいけど、学生だし俺はバイトもしてないから見栄は張れない。さんは財布を確認して、鞄にしまう。俺が、じゃあ行こうかと言うと焦ったような声で彼女が言った。
「ごめん、やっぱりもう少し待ってて!」
言うが早いか部屋に戻ってしまったさん。仕方なく俺は椅子に座り直した。
再度準備をしてきたさんを見て、俺は息を呑む。今まで山にしか行かなかったから、ジーンズとパーカーとか動きやすい服装をしていたけど、今目の前に立っている彼女は、フリルをあしらった淡い水色のブラウスに紺の膝上プリーツスカートという格好。ああ、普通のデートだとこんな可愛い彼女が見れるんだなと思って、初めて自転車以外のことで東堂さんに感謝した。
「かわいい」
素直な感想を伝えると、さんははにかんで、ありがとうと照れ笑いを浮かべた。改めて、行こうと声をかけて玄関で靴を履いて外に出る。最寄りのバス停でバスが来るのを待ちながら他愛のない話をした。家族のこととか、犬と猫はどっちが好きかとか。学校でのクラスの話はしたけど、どちらも部活の話はしなかった。
バスの中でも話は弾んで、だけど何度かさんは心配そうな表情で俺の様子を伺っていた。あまり気にしないようにはしていたけれど、多分俺も同じだ。
街について、普通の高校生みたいに買い物デートして、どこか適当な店でご飯を食べる。切り出したのは、どちらが先だったか。
「やっぱりダメだね」
「うん、俺達らしくないかも」
これはこれで楽しい。すごく楽しいんだけど、やっぱり物足りない。
山について話さない俺は俺じゃないし、カメラを提げていないさんはさんじゃない。
お互いにそれはよくわかっていて、顔を見合わせて眉を下げて笑った。こんなの俺達じゃないよねって。
「……ここからだと少し歩くけどいい?」
「途中コンビニでインスタントカメラ買ってもいい?」
ファミレスを出て、歩き出す。そういえば来る途中に良さそうな山があったんだよって言いながら彼女の手を引くと、さんは少しだけ力を込めて握り返してきて、楽しみって笑った。
そこから先は、いつも通りの俺達だ。違うのは自転車に乗っていないことと、彼女のカメラが幾分か小さいこと。
「やっぱり山はいいね」
「私は山も海も空も好き」
「俺は?」
「言わせたいの?」
高台の上から街並みを見下ろして、インスタントカメラを鞄から取り出したさんが笑う。ううん、わかってるからいいよ。俺も笑って、風景を見る。草の上に座る俺の斜め上から聞こえたシャッター音に顔を上げると、さんがカメラのレンズを俺に向けていた。
「何?」
「横顔好きだなって思って」
「横だけ?」
少しだけ口を尖らせて不満を言えば、彼女はまた楽しそうに笑う。今日はずっと笑顔でいてくれるから、俺も嬉しい。
俺のことを考えてくれて、昨日も背中を押してくれた先輩達のことを思い出す。おかげで今日は楽しかったから、帰りに何か買っていこうかな。東堂さんと新開さんは、喜んでくれるだろうか。
「真波君、自転車部は大丈夫なの?」
不意にさんがそんなことを尋ねてきた。部活の話はしないって言っていたのに、そもそももう無効だからいいのか。
インターハイで負けて、来年は絶対に勝つと約束した矢先にこんな風にのんびりとしている俺を心配しているのか、さんは少し申し訳無さそうだ。今日くらい忘れたって良いでしょ。俺だって頑張ってるんだよ。
「練習は、ちゃんとしてるんだよ。今度また見に来てよ」
「うん……」
もう情けない姿は見せない。来年は俺の為の嬉し涙を流してほしいから。
「ねえ、これからもずっと傍にいてくれる?」
女々しいって自分でもわかってるけど、でもどうしても、俺は君を失いたくなくて。だから縋るような視線を送る俺を馬鹿にしたりせずに、隣に座って寄り添ってくれた彼女が本当に愛しく思う。
「ちゃん」
「!」
「新開さんがそう呼ぶんだよ。ずるいよね、彼氏の俺より先に名前で呼ぶなんてさ」
肩に頭を預けながらそう呟く俺に、彼女――ちゃんはそうだねと同意して手を重ねてきた。
「来年もちゃんと見に行くから。今度こそ、優勝してね」
「うん」
「挫けそうになったら、私が山に連れて行ってあげるから」
えらく男前な発言に、少し笑っちゃった。これじゃどっちが彼氏かわかんないな。俺は上級生から可愛いって言われることが多いけど、やっぱり好きな子の前でくらいは格好よく居たいと思う。
「じゃあ、俺もちゃんが挫けそうになったらいろんなところに連れて行ってあげる。いろんな景色、一緒に見よう」
二人で寄り添いながら、俺達は夕日が沈むまで景色を眺めていた。
来年も、その次の年も、ずっとずっと傍に居られますように。
付き合った日から約一ヵ月後、校内写真展示の集計結果が発表された。
「入賞おめでとう」
「……三位だけどね」
それでも入賞に変わりは無い。模造紙に書かれた名前と票数に、ちゃんはまんざらでも無さそうに口元に笑みを浮かべる。
これでコンクールに出展できるらしい。また写真撮らせてね、と彼女は言った。勿論、君が望むなら俺は喜んで力になるよ。
「来年は絶対に甲子園に行く」
「そういや……今年は?」
「本戦出場したのは先輩達だけだったの。だけど今回で自信ついた。来年、私も山岳君や自転車部の人たちみたいに頑張るから」
あまり頑張りすぎて、一緒にいる時間が減るのはあまり嬉しくないけれど。でも、俺達は互いに真剣に頑張る姿に惹かれ合ったから、好きの気持ちを押し付ける前に、全力で頑張ろうと約束した。
疲れたとき、苦しいとき、息詰まったとき。君が辛くなったらすぐにとんでいくから。そのかわり、俺が挫けそうになったときは、助けてね。
「北海道でやるんだよ」
「え、俺お土産はカニがいい」
「観光じゃないから……」