07




     人が悩んでる時って、何をしたらいいのかな。
     さんのことは伏せて委員長にそう聞いたら、彼女は目を見開いて愕然とした。

    「山岳が、人の心配を……!?」
    「あのさ、本当に俺のことなんだと思ってるの?」

     とにかく、力になってあげたいんだ。そう言うと委員長は真剣な顔で、質問を返してきた。

    「その人の悩みが何かは知ってるの?」
    「いや、話したくないことみたい。自分の問題だからって」
    「そう。それなら、気晴らしにでも誘ってみたら?」

     気晴らしか。確かに、最近のさんは自転車部にも来ないし、校内で写真を撮る姿も見かけない。そもそも、いつも首に提げているカメラがその存在を消していた。

    「……うん、わかった。委員長ありがとね」
    「え? ううん、頑張って」

     放課後、部活前。俺は、帰ろうとしていたさんを校門前で捕まえた。話しかけたら彼女はとても驚いていたけど、今度は戸惑いながらも視線を合わせてくれた。

    「さん、今度の日曜日空いてる?」
    「え? ……う、うん」
    「山に行こうよ。また、自転車でさ」

     俺、インターハイ以来山へは行っていないんだ。そう告げるとさんは辛そうな顔をして、それから了承してくれた。あれ、思い出させちゃったかな。なるべく明るく言ったつもりだったけど、何で俺よりもさんの方が辛そうなんだろう。

    「じゃあ、俺、家まで迎えに行くから」
    「え? 場所教えてくれたら、私……」
    「迎えに行くから!」

     有無を言わせず力いっぱいそう言って、俺は手を振りながら部室へと向かった。さんは呆然と立ち尽くしていたけど、気付かないふりをした。日曜日、楽しみだ。



    「おはよう、さん!」
    「……おはよう、真波君」

     日曜日。そう言えば俺、時間とか決めてなかったなあと思ったけどさんのメールアドレスも知らなくて、更に言えば委員長に聞こうと部屋の窓から呼んだがどうやら不在らしくて。まあいっかと彼女の家に向かったが、玄関に出てきたさんは寝起きの姿だった。少し寝癖がついていて、可愛いなあって思ったけど、すぐに「支度してくるから待ってて!」と言って引っ込んでしまった。もう少し見たかったな。

    「なんでこんなに早いの……」
    「俺、いつもはもっと早くから自転車乗ってるよ? それに平日ならもう学校始まってる時間だし」
    「真波君と一緒にしないでよ」

     俺は別に寝坊して遅刻するわけじゃない。山が俺を呼んでいるから遅刻するんだ。なんて前に委員長に言ったら、とても怒られた。
     ちゃんと身なりを整えてきたさんは、俺に寝起きでしかもパジャマ姿を見られたことをとても悔いているようだった。両親が仕事だったかららしいけど、それでも来客に対してそのままの姿で出る人なんだなとか思ったら、少し和んだ。いつもの彼女は、委員長とは違う意味でしっかりしている人だと思っていたから。

    「カメラ、持ってきたんだね」
    「うん、一応……ね」

     それどころじゃないかもしれないけど、とさんは言った。どういう意味? って俺が聞くと、「真波君についていったら、疲れてカメラどころじゃなくなりそうだから」と言われた。でも、今日行くのは前回とは違う。

    「きっと、今日は大丈夫だよ」

     いつも俺が登っている坂とは違って少し、緩やかな道。俺は少し物足りないけど、それでもさんの気分転換になればと思ったから。

    「一緒に登ってくれる?」
    「そのつもりで、誘ってくれたんでしょう? 嫌だったら断ってるよ」
    「あはは、それもそうだね」

     俺は嬉しくなって、ママチャリのカゴに入れようとしたさんのリュックを奪って背負った。多分リュックの中には、スポーツドリンクが二本とカメラのフィルム。前に山を登ったときに俺が彼女にあげたドリンクを思い出して、おかしさがこみ上げてくる。

    「返して、真波君。私の自転車カゴあるし、重いでしょ」
    「いーの。俺がしたいだけだから」

     ママチャリに跨ったさんが困ったように言いながら俺の後をついてくる。その一生懸命さが可愛い。真剣にカメラを覗き込む姿もそうだけど、一緒に自転車に乗ってくれるさんが好きだ。
     最近気付いたこの気持ちを、伝えるにはまだ時間が足りないように思う。普段の俺は、よく思ったことを口にして怒られてばかりだけど、俺の今の気持ちを、本音を言葉にしたら。怒られはしないだろうけど、最悪俺の前から彼女はいなくなってしまうような気がする。言葉を伝えるのが億劫になる日がくるとは思わなかった。先輩たち相手にだって、こんな緊張はしたことがない。

    「はあっ……やっと着いた」
    「あはは、さんすごい息上がってるね」
    「もう、どこが前の坂より緩やかなの」
    「えー?」

     そう言った後すぐにさんが手を差し出してきて、ワンテンポ遅れて俺はリュックサックのことを差しているのだと理解して、その中からスポーツドリンクを出して渡した。喋るのも辛いらしいさんは、ドリンクを一気に呷り、中身が半分になった。

    「……はー」
    「生き返った?」
    「うん、すこしだけ」
    「すこしなんだ」

     坂を上るとき、足がきつくて体中の骨が軋むくらいペダルを回せば、俺は生きてるって感じがする。だけど同じ感覚をさんに求めるわけじゃなくて、少しでもさんに山の魅力をわかって欲しいと思うんだ。

    「でも、前よりは疲れてないでしょ? 二回目だし」
    「うーん……きついことには変わりないんだけど。でも確かに、余裕はある……かな」

     喉を潤して少し余裕が出てきたらしいさんは、今度こそ俺から荷物を取り返すと中からカメラを取り出した。そこからは、真剣な顔でフレームに景色をおさめていく。その横顔を俺は黙って見つめていた。何か悩んでいるみたいだけど、少しは気分転換になったかな。無心でペダルを回して、好きなことに没頭して。そうすれば俺は、嫌なことを忘れられると思った。それが忘れちゃいけないことだとしても、ずっと悩んでいてもきっと答えなんか見つからないでしょ。

    「ねえ、さん」
    「んー?」

     好きだよ。
     心の中で呟いて、俺は遠くの空を見た。

    「綺麗な景色だね」
    「……うん」
    「その写真、現像したら俺にもちょうだいね」

     俺、きっと大切にするからさ。
     今度はそう口にすると、さんはカメラから顔を離して俺の顔を見た。

    「うん。真波君、ありがとう」

     さんは薄く微笑んで、すぐにまたカメラを覗き込む。その顔は、きっと俺が今日誘った理由はバレているんだろう。委員長に聞いたのかな。名前は出していないのにな。まあ、最近の流れじゃ解るか。

    「どういたしまして。……また、いつでも連れてきてあげる」

     だから、あまり根詰めないで。一人で苦しまないで。
     俺みたいに部活で上手くいかないのだとしても、他の事情であっても、さんの悲しむ顔は俺、見たくないんだ。
     君がそうやって笑ってくれるなら、俺は何でもするからさ。

    to be continued...





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