あれもダメ、これもダメ。
現像した写真を見比べて、コンクールに出展する作品を選びながらため息しか出てこなかった。自転車部がインターハイを目前に頑張っているように、写真部だっていつも好き勝手写真を撮っているわけではない。校内の展示以外にも、小さな写真コンクールや、写真選手権大会――写真甲子園だってあるのだから。私はそれに出展して、なるべく良い成績を残したい。いや、優勝したい。真波くんの背中を撮り続けて、私はそう思ったのだ。
「明日かあ」
「うん、そうだよ」
カシャリ。夕陽に向けてシャッターを押しながら呟いたら、上から声が降ってきた。カメラのレンズに垂れた髪が映る。
「なあに、真波君。練習してたんじゃないの」
「そうなんだけどさあ、なんでさん空撮ってんの? 自転車部じゃなくて」
「だって、邪魔しちゃ悪いでしょう。気が散るかなって……」
「えー」
つまらなさそうにむくれた真波君が、私の手からカメラを奪う。返してと伸ばした手は虚しく宙を切るだけだった。両手でカメラを抱えた真波君は、「うわ、結構重いねコレ」と言って何の躊躇いもなくシャッターを押した。レンズを私に向けて。
「なにするの」
「ん、写真撮るのって難しいんだね。ぶれちゃった」
「フィルムの無駄遣いやめてよね。自前なんだよ」
「えーごめんね」
「……思ってもないのに謝られても仕方なくない?」
「あはは」
真波君は相変わらずだ。私の気持ちなんかちっともわかっていないだろう。その上わかろうともしないんだ、彼はきっと。
カメラを取り返してフィルム数を確認する私の頭上で、真波君が穏やかな声色で告げる。
「言ったよね、俺。さんが楽しそうって言ってくれたから、前より山を登るのが楽しいって」
「……聞いたよ」
「もっと撮ってよ。俺が、生きてるって証をさ」
きつい坂を登っているとき。苦しいはずのそれに、真波くんは生を実感するという。その感覚は私にはわからないんだけど、だからこそロードに乗る時の真波君の姿に惹かれるのだろうか。
明日、いよいよインターハイが開幕する。用事があって初日からの見学はできないけれど、レースは三日間催される。箱根学園は絶対に途中で負けたりはしないと真波君も先輩たちも言っていたから、私はそれを信じて三日目の最終レースに賭けるのだ。
「撮ってるよ」
真波君が真剣に坂を登っている姿が好きで、真波君が私を見ていないとしても、私は写真を撮り続ける。あなたが生を感じる瞬間に、私も命を感じるのだ。
「ねぇ真波君、このあと予定ある?」
「え? んー、今日は明日に備えて早く休めって言われたから、別に」
「そう」
少し付き合って。カメラを鞄に詰めて、鞄を肩にかけなおした私に、真波君はいいよと快諾してくれた。あえて言うけれど、別にいやらしい意味は無い。
「さん、今日自転車なんだ」
「そうなの。お母さんのママチャリなんだけど」
いつも徒歩通学で、色々な景色を見て歩くのだけど、今日は何だか違った気分で、お母さんの許可を得て自転車に乗ってきたのだ。本当は自転車通学するには申請が必要なのだけれど、箱根学園には生徒もたくさん在籍しているのだし一日くらいバレやしないだろう。バレたところで別に困りもしないけれど。
ただ、いつもと違う景色が見れるんじゃないかって、そう期待した。
「一緒に坂、登って欲しいなあって」
疲れているのにごめん。そう言おうと真波君を振り返ったら、彼はとてもいい笑顔で私を見ていた。
「全然いいよ! 登ろうよ、坂。さんもやっと坂の魅力に気がついたんだねっ!」
「え? うーん……」
坂っていうよりは、真波君の見ている景色を私も見てみたいと思っただけなのだけれど。
真波君はニコニコと嬉しそうにロードに跨って、さあ行こうと言った。私もママチャリのペダルに足をかけたけれど、やはりロードバイクとママチャリじゃ全然違うんだろう。真波君は少し漕いだだけで、すうっと先へ進んでしまう。置いていかれたくなくて必死に足を動かしたけれど、ママチャリのペダルは重たい。更に私は、そんなに筋力もないから。
「はぁ……っ」
「大丈夫? 休憩しようか」
「やっ……止まらないで、大丈夫だから」
そのまま私のことなんか省みずに進んで行ってしまうかと思っていた真波君は、しっかりと私のことも気遣ってくれた。彼がよく登っている坂の中でもここは緩いほうらしいので、私は必死にてっぺんを目指す。だって、知りたいのだ。私が撮りたいと願った真波君の表情。彼はあのとき、一体何を思っていたのか。
「……きつかったら言って」
真波くんはそれだけ言って、またペダルを漕いだ。私に合わせて進んでいるせいか、彼は全く息切れもしていなかった。
「っはー……やっと、ついたぁ!」
「すごいねさん。結局休まず頂上についちゃったよ」
自転車から降りた途端、私は芝生の上で大の字で寝転んだ。脇に愛車を止めて、真波君が私の隣に腰を下ろす。
「飲む?」
そう言って、新しいスポーツドリンクを差し出してくる彼に礼を口にして、上半身をやっとの思いで起こす。結局、私は坂を楽しむどころか、胃は痛いし足もパンパンで、真波くんと同じ気持ちはちっとも味わえなかった。けれど、真波君は何だか嬉しそうだ。明日からインターハイだというのに、無理やりつき合わせてしまった私を咎めもせずに。
「楽しかったよ、俺は」
「え?」
「部の先輩じゃなくて、さんと走れたこと。……クライマー以外にとって、坂は嫌われる存在だからさ」
普通の人でも、本来はそうだろう。坂が好きな人なんてきっといない。真波君と同じポジションのクライマーであったとしても、楽しいと思って登る人は少ないのではないだろうか。得意か、そうでないかの違いでしかない。好きか嫌いかの問題ではないのだ。
真波君に貰ったドリンクを一気に半分ほど飲み干して、ゆっくり息を吐く。まだ足はじんわりと熱を持っているけれど、呼吸は大分落ち着いてきた。
「さんは、何か収穫あった?」
「えっと……坂は、やっぱりキツイなって」
「そっかー」
笑いながら、だけど少し残念そうな真波くん。
「でもね、真波君が見ている世界はこんななんだなあって思ったら……なんか、すごいね」
「……さん」
私の少ない語彙では今の気持ちを言い表せられないけれど、私と同じように空を仰いだ真波君にはきっと伝わっていると思いたい。
そういえば鞄の中にカメラが入っているんだけど、今まで忘れていたくらい荷物の重さなんか気にならなかった。それに今は景色を撮る気にはなれなくて、ただただ真波君と一緒にこの空を見られたことが、私にとっての収穫だった。
「インターハイ頑張ってね、きっと優勝してね」
「うん。東堂さんや福富さんもいるんだもん。ぜったい勝つよ」
自信たっぷりに真波君が言うものだから、私は本当にそうなるんだろうなあって感じた。真波君なら、実現できると、そう思えたから。