「どうした?」
お茶を用意しながら小さく吐いた溜息に、クラピカが気づいて声をかける。
ここのところ、は何だか元気がないように思える。センリツはその理由に何となく気づいている様子があるが、尋ねても「本人に聞いてごらんなさいな」と言って教えてはくれなかった。だからそう尋ねてみたのだが、は依然として「何でもないわ、大丈夫」と首を振るだけ。そんな様子が続けば、いくら仕事の虫と言われるクラピカとて、気にならないはずがなかった。
「何でもない筈ないだろう。あの一件以来、お前が何かを隠しているのは明白だ」
「……」
あの一件、というのは、クラピカの眼が元幻影旅団員に奪われたときのことだ。敵地に着いて行くことを禁じられたは、詳しい内情を知らされてはいないが、壮絶な戦いが繰り広げられていたらしい。戻ってきたクラピカと、その数人の仲間達の姿を見てそう察した。
「何でもないって、言っているでしょう。クラピカに言ったって、どうにもならないわ……」
何でもないのではなく、自分に抱く諦め。それを感じ取って、クラピカは煮え切らない怒りをにぶつけた。
「私では役不足だと、そう言っているのか? お前の役には立たないと……!?」
茶の用意を続けるの腕を掴んで、無理やり自分の方へ振り向かせる。その瞬間、自分を見たの瞳が悲しげに歪んだことに、クラピカはハッと息を呑んだ。
「なら、私にも……っ」
「……何?」
「私にも念を教えて!」
は言った。自分だけ、戦えないのは嫌だと。あんな疎外感は、もう味わいたくないのだ。しかし、クラピカがそれを渋るのもわかっていた。自分を戦わせたくないこと、困らせてしまうことも十分に理解していたからこそ、言い出せなかったのだ。クラピカが無理に問い質そうとしなければ、きっとも口に出したりはしなかっただろう。
「……しかし、」
クラピカは目を伏せて黙った。自分から嗾けてしまった手前、はっきりと断ることは躊躇われたが、それでも歓迎してもらえない事実には「やっぱり」と呟いた。
「……もう、いいから。私だって我侭言ってるってわかってるの。だから、気にしないで……」
だから言いたくなかったのに。そんなの心の声が聞こえた気がして、クラピカは息を呑んだ。彼女はずっと、口に出さずに我慢してきたのではないか。それでも消えない悩みに一人で苦しんでいたのだ。
「それじゃ、私行くから」
「待ってくれ」
「……?」
ネオン嬢の元に茶を運ぼうとするの行動を制止して、クラピカはひとつの提案をする。
「私もセンリツも仕事があるから、素人である貴女を一から指導することは難しい」
それに、念能力を人に授けるには、ある程度の実績が必要だ。その上教員免許も要るらしいということを、は初めて知る。軽い気持ちで知りたいといった自分に後悔し始めた彼女に気づいてか気づかずにか、クラピカは携帯を取り出しながら更に続ける。
「適任者を呼ぼう」
「……卒業して初めて連絡を寄越したかと思えば、厄介ごとを師に押し付けるとはいい度胸だな?」
「厄介ごとなどではない。彼女の修行を見させてやると言っているのだ」
「相変わらずすっげーなオイ」
重々しく溜息を吐く男を、はじっと見つめた。黒髪に、無精髭を生やした青年とは言い難い中年の男。クラピカは彼を念の師匠と紹介して、また彼にはのことを自分の恋人且仕事仲間であることを告げた。その上で、の念修行に付き合えと言うのだ。拒否権など、与える気はないらしい。だがそれは、クラピカにとっても嘘偽りではなく、苦渋の決断だったに違いない。本当は、他人にを任せたくなどないのだ。
「ま、可愛い女の子なら俺も教え甲斐があるけどな。面倒くせぇ仏頂面な野郎よりも」
「手を出せば殺す」
ぎろりと睨みつけられても、師は全く動じず。それどころか、「やっとお前にも春がきたんだなー」などと能天気に笑ってみせた男に、はぽかんと呆気にとられてしまった。
「んじゃ始めるか。、だったな?」
「あ、はい。よろしくお願いします。えっと……先生」
師匠、とは何故だか呼べなかった。
誰かに教えを乞うのは久しぶりだったが、昔馬術を教えてくれた人を思い出してそう呼べば、思いのほか彼は嬉しそうに笑うのだった。
「おぉ。先生か……新鮮でいいじゃねぇか」
「貴様で十分だ」
「おまっ、やっぱり可愛くねぇな!」
仕事に戻ると言ったクラピカを見送り、また自分と離れることを快く思っていないネオンをセンリツに託したは、改めてクラピカの――新たに自分の師となった男を見た。外見は、どこにでもいそうな普通の人間なのに。その威圧感は、触れてもいないのにずっしりと肩に圧し掛かる。
「あいつの為に、強くなりたいって?」
「……」
彼曰く"可愛げのねぇ弟子"が去ってから、溜息を吐きつつ投げかけられた問いに、は返答に一瞬だけ迷った。誰かのためと問われれば、それは勿論、
「私自身のため……」
「?」
「クラピカは私を置いて死ぬつもりだから。最初からそれでいいって、無理やりついてきたのは私の方で。……でも、やっぱり、置いていかれるのは辛くて」
興味がないフリで突き放して、姉を見送ることもしなかった。その結果、もう会うことすら叶わない。
「あんな思い、するくらいなら、私も戦場に行きたい」
安全な場所で祈ることしかできないよりも、しっかりと彼の最期を見届けるために。
「止められない想いなら、止めはしないわ。でも、それならあの人にだって私を止める権利は無いもの」
真っ直ぐに答えを口にしたを見据えながら、男は深く嘆息する。普段は快活な性格らしい彼の口から、今日だけで一体どれほどの幸せが逃げてゆくのだろう。
「やっぱお前ら、お似合いだよ」
男は静かに口角を上げ、笑みを浮かべた。
彼は親指を立てて、についてくるよう指示する。それから新弟子が確かに頷いたことを確認すると森の奥へと進んでゆく。
さあ、授業を始めるか。なんて面倒そうに言いながら。