あれから五年。念願のハンターとなったクラピカは、憎き幻影旅団の撲滅を誓い、マフィアと繋がりがある組織――ノストラードファミリーの、今や組のリーダーとして成り上がった。ハンター試験で出会った数人の友と別れ、ただひたすらに仲間の瞳を追い求めたクラピカは、心身ともに疲れ果ててしまっていた。
「大丈夫?」
「……ああ、すまない」
仕事仲間で唯一クラピカが信を置いているセンリツは、彼の限界を悟りそう声をかけた。しかし椅子に腰掛けたままのクラピカはただ大丈夫とかぶりを振って、疲れきった顔を上げようとはしなかった。
「ずっと働きづめで、本当に倒れてしまうわよ」
「いいんだ、私は……自分を気にしている暇などないのだ」
「でも、」
食い下がるセンリツを、クラピカはじろりと睨みつける。出会ったばかりの頃に聴いたのと同様の心音。すさまじい怒りの音が、センリツの鼓膜へと届く。これ以上は何を言っても無駄であると、センリツは唇から漏れる溜息と共に口を閉ざした。そのかわりにと、彼女の計らいでノストラードのボスよりクラピカへ休暇を言い渡されたのは三日後のことであった。
「……余計なことを」
「もう睨みつけても怖くないわ。休みは休みよ。さあ、どこへでも行って来なさいな」
その間、ボスのことは任せて。そう言い切られては、さすがのクラピカも怒ることはできない。自分のためにしてくれたことと素直に受け入れて、休みの使い方を考えることにしたクラピカは、ふと、とある村を思い浮かべた。
クルタの村を飛び出してから、初めて訪れた――というよりは、怪我をして動けずにいた自分を助けてくれた女性と医師がいた村だ。憧れのハンターとなることも叶わずに死ぬのかと、諦めた自分に彼女は救いの手を差し伸べてくれた。それが嬉しくて、何よりも励みになったのに。
『私のことは、もう放っておいてくれ!!』
そう言って、心配する彼女の手を振りほどいて旅に出た。想いを寄せてくれて、自分もまた、淡い恋心を抱き始めていた女性。しかしそのときの自分には、仲間の瞳を奪われた悲しみと憎しみしかなくて、思ってもいないことを口走ってしまったのだ。それでも、彼女は。は、クラピカの言葉に傷つき涙を流しながらも優しい言葉を最後までかけ続けた。
『私、待ってるから!! ……いつか必ず、戻ってきて!』
待ってる。そう言った彼女の言葉を無視し続けて早五年。もう、待っているはずがない。だってきっと、自分のことなど忘れて幸せに暮らしているだろう。しかし、
「休暇……か」
急な暇を与えられて、クラピカは困惑していた。買い物も趣味も、今の自分には不要のものであると感じていたクラピカにとって、今自分がすべきことは、静養などではなく、多大な恩を仇で返し続けた彼女への、懺悔だと思ったのだ。
これはセンリツが与えてくれたチャンスだと受け止め、クラピカはかかっていたコートを羽織った。心音を聞いていたのか、同じタイミングで玄関まで見送りに来ていたセンリツに感謝の意を伝える。
「それじゃ、行ってくる。後は任せたぞ」
「ええ、行ってらっしゃいな」
センリツに見送られる中、クラピカは背筋を真っ直ぐに正して歩いた。久しくスーツではなく、彼女と出会ったときのような民族衣装をまとって。
一週間も休みを頂けるなんて、一体センリツはボスにどんな交渉をしたのだろう。無論考えるだけ恐ろしいので尋ねたりはしない。ああ見えて彼女は俺よりも大分年上らしいので、何でも見透かされているようで少し悔しくもある。
先ずは麓の町まで歩いて、市外バスに乗って飛行場のある都市まで一時間。そこで飛行船を手配した。目的の場所までは三日ほどかかる。思ったよりも長旅になるなあ、と考えながらも久しぶりに一族のことを思い出さないように色々なことを思考する。ゴン、レオリオ、キルアと出会ったハンター試験でのこと。あいつらとは大きくても小さくても本当にくだらない言い合いをして、喧嘩をして、認め合った仲間だった。心配してくれた友をの言葉も聞かずに、ただ我武者羅に突っ込んでは危険に晒した。
同じだ、と思う。危険な目にあわせたくなくってを突き放したときと、同じだ。そんな彼女は今、どこで何をしているのだろう。もしかしたら、もう既に結婚して、幸せな家庭を築いているのかもしれない。だがしかし、それでも俺は彼女に会わなくてはならなかった。もう一度きちんと話をして、謝罪をしなくては。パイロにも、母さんや父さんにも叱られてしまうだろう。もしも彼女が姉のシーラと同じようにハンターを目指すことになって、村にいなかったら、今度は彼女の行方を捜そう。仲間の瞳を探しながら、に会うための旅をしよう。そんな風に思ってしまう俺を、彼らは何と言うだろう。早く眼を探せと、怒られるだろうか。否、パイロはそんなやつじゃない。俺はパイロが好きだし、何よりも大切な友であると思っている。けれどそれと同じくらいに、俺はずっとが好きだったから。この想いを正直にぶつけよう。もやもやを抱えたままうだっていても仕方ない。俺は君がずっと好きだと、伝えよう。
伝えたいと思ったのに。
「……なん、だ? この有様は」
ようやく辿りついたその場所の様子を何と表現するのが正しいか。俺は知っていた。これは、廃墟だ。
「誰か、誰かいないのか!?」
全滅、と心で呟いて、俺は全身から血の気が引くのを感じた。五年前、クルタ族虐殺の記事を読んでとともに村を訪れて、愕然とした。あの気持ちと全く同じだ。目の前に広がる景色は、緑ひとつない荒野。村があった場所には土ぼこりが舞って、眼に沁みた。誰が立てたのかわからない墓標に視界がゆがむ。ああ、遅かったのか。
「病か賊か……解りはしない、か」
声に出して尋ねたところで答えが返ってくるはずも無い。だってこの村は全滅なのだから。
「すまない……」
胸が締め付けられる。本当は会いたくて会いたくてたまらなかった。しかし、突き放した自分が彼女に会いに来るなんて、そんな資格なんかないと諦めても居たのだ。ようやく決心をしてやってきたというのに、これではあんまりだ。神からの仕打ちは惨すぎる。
「……っ」
上着を脱いで地面に膝をつき、墓標に頭を垂れる。それが誰かもわからない。しかし、いてもたってもいられない。ただただ、己の自己満足のためだけに懺悔を繰り返す。すまない、と。
「あら?」
きつく閉じた瞼の裏。研ぎ澄まされた耳に、澄んだ女性の声が飛び込んできた。
「先客がいるなんて珍しい。お参りですか?」
「!」
優しい声。この村の事情を知る人物だろうか。そう思い顔を上げる。女性は俺の顔を見ないまま「この村は二年前、流行り病で全滅したのですよ」と話を続ける。
「この村にお知り合いでも、……」
そこまで口にして、彼女は俺の顔を見て動きを止めた。そして、少しずつ目が驚きに開かれていく。元々大きな瞳が、零れ落ちそうなほどにまるくなった。だけど、それ以前に驚きたいのはこちらのほうだ。
「く、ら……!?」
「……なのか!?」
それを発した瞬間、の瞳からは大粒の涙が流れた。少しだけ髪も伸びて大人っぽくなった彼女は、それでも五年前と変わらない優しい顔で笑った。
「なんだ、わたしのお願い。ちゃんと聞いてくれたんだ」
いつか必ず戻ってきて。
五年前の背中に投げかけられた言葉を思い出し、目頭が熱くなる。あの時と同じように嗚咽を漏らす彼女を突き放すことはもうしない。かわりに、自然と動いた腕がの身体を抱きしめていた。