彼が何かを隠しているのは解る。その"何か"の正体は依然としてわからないままなのだが、それも仕方のないことと諦めるしかないだろう。彼自身が、いつかきちんと話してくれるまで待つつもりだ。時間はあるのだから、とは自分に言い聞かせた。しかし、格闘術の訓練をするクラピカの様子を見ていると、ふと疑問に思うこともあった。その我武者羅な姿が、ハンター試験を何度も落ち、それでも必死に夢を追い続けた姉に重なったからだ。彼女は今どこで何をしているか、それすらもわからない。もしかすると何処か遠い地で命さえも失っているかも知れぬのだ。考えれば考えるほどに、一般人の自分にはわからないことだらけだと、は何度目になるかわからないため息を吐いた。
「、悩みか?」
「え? ううん、何でもないよ」
そんなに険しい顔をしていただろうか。外から戻ってきたクラピカが、の顔を覗きこんで心配そうに声をかけたのを、は大丈夫と笑って見せた。まさか「貴方の隠し事が気になっている」などと言うことはできない。
「鍛錬、頑張ってるなあって……そう思っただけよ」
「そうか……それなら良いのだが」
大丈夫と言う割りに浮かない顔をしている、とクラピカは思った。まだ幼い少年ではあるが、頭の回転が速く洞察力が高い彼のことだから、恩人であるのことを村の誰よりもよく見ていた。しかしだからこそ、ふとした疑問を口に出してしまったのだ。
「は、ハンターになる気はないのか?」
「……え?」
「いや、シーラのように、外の世界に対する憧憬とか、そういったものが……一緒に過ごした中で、には感じられないと思ったんだ」
女性と一つ屋根の下で暮らしているという羞恥心からか、「一緒に」という言葉がほぼ音になっていなかった。だがそんな部分を指摘することもままならず、はクラピカの発言に、緊張を解すようにふーっと細く長く息を吐いた。それからたっぷり数秒間を置いて、
「ないわけではない、けれど、私は臆病だから」
それだけ言った。
臆病? クラピカは反復して尋ねたが、それに対するの返答はなかった。かわりに、
「……私は貴方たちが羨ましいよ。思いをすぐに行動に移せるのは、素晴らしいことだわ」
「……」
そう、どこか遠い目をしたが呟いた。そんな彼女にかける言葉が見つからず、帰宅したばかりのクラピカは「また出てくる」と言って踵を返した。
「いつまでもこのまま、というわけにはいかないよな……やっぱ」
ぽつり。歩きながら、クルタの言語で誰にもわからないように呟く。彼女の優しさに甘えて、ずるずるとこのままいるわけにはいかない。親友のパイロにも「遅い」と叱られてしまうかもしれない。しかし、彼女との生活は思った以上に心地よく、暖かいものだったのだ。
「早く医者を、見つけないと。それから、」
……それから?
そう口にしてから、自分の考えに身震いする。どうして、そんなことを想像してしまったのだろう。パイロの目を治した後に、彼女を迎えに来ようだなんて。そんなの、きっと無理に決まっているのに。
「いや違う。俺が強くなればいいんじゃないか……を守れるくらいに強くなれば、」
自分を臆病だと言った彼女は、外の世界に対する夢がないわけではない。むしろ、自分と同じくらいに焦がれているに違いはないのだ。ならば、外の世界への不安を取り除いてやることができるなら、外の世界で共に過ごすことも不可能ではない。むしろ、それを望んでいるのは彼女よりも自分自身の方であることに、クラピカは気づいた瞬間に驚きを隠すことができなかった。
「は……どんな気持ちかな」
立ち止まり、ふと呟く。もしもこの胸のうちを伝えて、受け入れられれば何も問題はない。しかし、拒絶されたら。そう考えると、怖くて怖くてどうしようもなくなる。初めて外へ出たときの、あの絶望が忘れられない。優しい街の人たちが、本当の自分を知ったときに手のひらを返す様はとても滑稽で、吐き気がする。自分が少なからず好意を寄せている女性に、あの人たちのように怯えた目を向けられたら? 考えれば考えるほどに、怖くなる。
「……クラピカ」
「!」
声が聞こえて、勢いよく振り返る。そこには家にいたはずのが立っていて、優しい微笑をこちらへと向けている。
「、どうして……」
「何? 遅いから迎えに来たんだけど、いけなかった?」
「い、いや。そんなことはない」
良かった、と。は笑う。姉であるシーラよりも短い時間しか過ごしていないのに、どうしてこんな感情を抱いてしまったのだろう。自然と差し出された手をとって、夕日を背に繋いで歩く。子ども扱いされているようで顔が熱かったが、不思議と嫌ではなかった。
「きっと見つかるわよ。大丈夫」
「え?」
不意にが発した言葉の意味を呑み込めず聞き返す。彼女は「お友達の目を治せる医者よ」と答えた。どうやらは、クラピカの元気がないのは、医者が中々見つからないせいだと思っているらしい。まあ、あながち間違いではないのだが。
「あせっても仕方ない……のは、わかっている。紹介してくれる約束だしな」
「ちょうどクラピカが来る前日に、診療で出かけているらしいから……少なくとも来週までは戻って来ないだろうし」
この大陸には、少数部族や小さな集落が密集してできている。そのため、医者の数が少ないのだ。こうして診療へと他の村へ赴くことも珍しいことではない。だから、クラピカはこの村に滞在して、医者が戻ってくるのを待つしかできなかった。その待ち時間が多くなるのと比例して、必然的にとの時間も多くなる。したがって、彼女の様々な面が見えてくるのだ。
「……もうすぐ、ね」
「……」
「医者が見つかったら、行ってしまうんでしょう?」
「……、ああ」
躊躇はしない。それが、パイロとの約束だったからだ。こんなにも早く医者が見つかるとは思ってもいなかったが、見つかったのならすぐにでも彼の足と目を治してやりたいと思っていたのだから。寂しそうに「そっか」と呟いたの声も、クラピカは聞こえないふりをした。辛いのは自分だけではないのかと、小さな期待を抱いて。
彼女と出会って、四週間と三日。村を飛び出してから、五週間が経過していた。