アルミンの夢は、壁の外に続く広い世界を見ることだと言った。彼と一緒に居たエレンという少年もまた、その夢に感化されて共に目指していると言うのだ。しかし、彼らの幼馴染であるミカサという少女は現実を見据えた上でそれは無理だと言う。夢は夢であって、現実になりうることは決してないのだと。でも、本当にそうだろうか。巨人がいつ、どこからきたのか誰にもわからないように。いつか突然消える日が来るかもしれないのだ。未来は誰にもわからない。それなら、ずっと昔の世界の訪れがこの先に待っているとするならば、きっとアルミンやエレンたちの夢は叶うのだ。何年、何十年先かも、まだわからないけれど。
「そのときわたしは、一緒にいられるのかな……」
薄い木を削ってつくられた紙に、同じように木を削って出来た筆を滑らせる。一人でする室内遊びは絵描きくらいしかないのだし、と思い友人たちの幸せな未来を思い描いてみる。そこに自分の姿を描いて、そしてすぐにかき消した。脳内からも、紙面からも。何故なら自分がそこにいる未来が、想像できない。そう思うと無性に遣る瀬無くて、悲しくて。ぽたりと雫が落ちて紙を濡らした。
「一緒に、生きていきたいのに……」
それが叶わぬ現実であることを、自分自身の体のことを、はよく理解していた。そして同時に、覚悟もしていた。
友達と、言ってくれた。会いには行けない自分のもとへ、わざわざ彼らは遊びに来てくれる。当然だと、笑って。それが嬉しくて……嬉しいのに、何故だか不安は募るばかりだった。
「?」
「? なあにー?」
ドアの向こうで、母の呼ぶ声が聞こえて返事をする。
「アルミン君が来てくれたわよ」
「!! 待って、いま、出るからっ!」
母の言葉に慌てて、描きかけの絵とペンを片付ける。部屋着の上から薄いカーディガンを羽織り、玄関にいるであろうアルミンを出迎えれば彼は「おはよう」と言って優しく微笑んだ。
「エレンと、ミカサは……?」
「今日は家の手伝いがあるからって。僕だけじゃ、ダメだった?」
「そ、そんなことない……けど」
アルミンと話をするのは好きだ。エレンとミカサがいるときは賑やかな雰囲気になるが、彼と二人の時はいろいろな話をする。空想とか、希望とか、未来についての話をだ。エレンも時折はそういった話をするが、彼の場合はほとんどが近所の子とした喧嘩の話だったり、親の愚痴だったりと、子どもらしさが感じられる話題なので、手振り身振りでだいぶ脚色されたであろうそういった話を聞くのも、は嫌いではなかった。どちらも好きだが、何故彼らのことを気にしてしまうのか。その理由に、自身はまだ気づいてはいない。
部屋へ招き、母親が入れてくれたお茶を前にアルミンとが座る。はじめは、最近祖父の物忘れが多くなったことだったり、あまり雨が降らなくて作物の収穫率が悪いことなど、アルミンの世間話をは興味津々に聞いていた。外に出る機会のないにとって、アルミンからの情報は全てが新鮮なのだ。
「そういえば知ってる?」
「え?」
「明日、調査兵団が壁外に発つんだって」
目を輝かせて、アルミンが小声で言った。それはの母親に聞こえないよう、最大の配慮だった。だからも、アルミンにあわせて小声で答える。
「本当? 調査兵団って確か……」
「うん。壁の外に行って、巨人についての情報を得るのが目的なんだ。今のところ得られた情報は少ないけど、きっと今度はって、この前団長さんが演説していたのを聞いたんだ」
大人たちは調査兵団を快く思っていない。兵を無駄に死なせ、大した働きもしないくせに税金で飯ばかり食っていると言う。そして、壁の外に向かう果敢な兵士達の姿は、幼い子供たちに勇気と希望を与える。自分もいつかはと、目を輝かせる我が子を見て母親は戦慄する。それだけは見てはいけない夢だと。
「エレンは、調査兵団に入るのが夢なんだって」
「……アルミンは?」
「……」
の問いかけに、アルミンはすぐには答えなかった。少し考えて、何度か唇を開閉させて、ようやく
「……わからない」
とだけ、言った。
「憧れはあるよ。すごいなって、調査兵団が巨人について何か有力な情報を見つけてくれれば、巨人が脅威じゃなくなるかもしれないんだ。希望は捨てたくない。この壁の中なら安全だと、満足しきっている大人たちはどうかと思うし」
「……」
辛辣な少年の発言に、は眉を寄せた。その視線に気づかないフリをして、アルミンは「でも、」呟く。
「僕みたいな臆病者は、兵士になんかなれないけどね」
「……そう、かな」
情けなく笑ってみせるアルミンに、は考え込んだ。外の世界どころか、この町のことすらよく知らない自分に、何が言えるのだろうと。しかし、目の前の友人を、何とか元気付けてあげたいとも思ったのだ。
「前にも言ったよね。アルミンは頭が良いから、きっとこの世界を変えてくれるって私信じてるから」
「」
「たとえ私が、そこにいなくても……」
「!?」
口が滑って、つい本音が漏れてしまったことに気がついたときにはもう、遅い。アルミンは目を見開いて息を呑んだ。
真っ直ぐに見つめられるのが怖くて、はアルミンから視線を外した。けれどその先にあるものに、アルミンが気づいてしまう。
先ほど慌てて片付けた紙が無造作に重ねられて、テーブルの下に置いてあった。それに手を伸ばしたのは、アルミンのほうだった。
「……これ、絵?」
「あっ、だめ、それは……」
描きかけの絵を取り返そうと手を伸ばしたが、アルミンはの手をゆっくりと掴んで下ろした。その瞳はもう絵ではなく、を真っ直ぐに見つめていた。
「これ、僕たちだろ? ……なんで、は、いないの?」
「あ……だって、想像、できないから」
「何が……?」
「外の世界へ行こうって、アルミンは言ってくれたけど。エレンと、ミカサと、アルミンの傍に、巨人の消えた外の世界に、私がいる未来が、見えないの」
アルミンの瞳が悲しげに揺らぐ。わかってはいた。自分が何を言っているのか。
「な、んで、そんなこと言んだよ? 約束したじゃないか……一緒に外の世界を見ようって」
「うん、でも、」
そのただの口約束を鵜呑みに出来るほど、自分の未来を考えないほど、は幼くはなかった。
約束してくれたことは、ただ嬉しい。しかし、言葉でどうにかなるような未来ではないのだ。の先は、恐らく短い。
「……も、だよ」
「え、なに?」
「それでも、諦めを口にしたらダメだ。僕が、君と一緒に居たいって望んだんだから」
例え目に見えた未来でも、最後まで一緒に夢を見ていて欲しいと。そう願うアルミンを、は否定することはできなかった。否、したくなかった。
「ごめんね、アルミン。もう言わないよ……だから、そんな顔しないで?」
泣きそうに顔を歪ませるアルミンに、は微笑みかける。何もアルミンが泣く必要はないのに、と思いつつもは幸福だった。自分と一緒にいることを望んでくれる友達が、いることに。
友達、と脳内で繰り返して、はふと違和感を覚えた。何に対してかはわからない。しかし、友人であって欲しくないと、心のどこかで思っているようで戸惑いを浮かべる。
時間が過ぎ去って、彼が帰る頃。玄関先でアルミンを見送りながらはその違和感の正体に気がついた。
わたし、アルミンのこと、好きなんだ。
『エレンは、調査兵団に入るのが夢なんだって』
『……アルミンは?』
『…………わからない』
わからないなんてきっと嘘だ。彼は調査兵になりたいと思っているし、弱い自分に対してコンプレックスを抱いているからこそ、自分には無理だと言い聞かせているのだ。自分には外の世界を見ることなど出来ないと、が思っているのと同じように。
ならば、彼が自分にしてくれたように、自分だって彼の応援がしたい。そう思ったは、部屋の引き出しから小さな木片と工作用のナイフを取り出した。
「……よしっ」