家のベッドで寝転がると、白い木目の天井が見える。あまり新しくもないため、塗料が剥げかかって所々茶色かったり黄ばんで染みになっていたりとあまり見目いいものでもない。そんな見慣れた景色に、つい、つまらないと溜息が漏れる。
「仕方ないでしょう? 熱があるのに、お友達を呼ぶことはできないわ」
額のタオルを取り替えながら、ベッドの脇で母親が呆れたようにそう口にする。こんなことは珍しくないが、最近は熱を出して寝込むことが多くなって、アルミンやエレンと遊ぶことができなくなったのだ。
あの瞬間があまりに楽しくて、幸せな時間だったから、つい忘れてしまっていた。自分の身体のこと、彼らのような健康体ではないと。
「今朝、アルミン君が来ていたわよ。エレン君と一緒に」
不意に、思い出したように母親が言う。
「!? なんで言ってくれないの!?」
驚きのあまりベッドから飛び起きて、額に乗っていたタオルが垂れ落ちる。母親の呆れた表情も、次に飛び出す言葉もわかっている。彼らが訪ねて来たことを知った所で、一緒に遊ぶことも会話をすることもままならない状況ではどうしようもないのだ。
そう解りきったことを母の口から改めて聞かされて、興奮して少し上がった熱をかき消すようには「もういい」と布団にくるまった。
「……熱が下がったら、ちゃんとお礼も言っておきなさいね」
これ、二人からよ。
優しい声の後で扉が閉まる音が聞こえて、そっと視線を覗かせると、そこにはもう母親の姿はない。テーブルの上に、一輪挿しに添えられた花と皮を剥いた果物が器に盛られて置かれていた。
痩せた土地ではあまり作物は実らない。この果物だって乾いていてあまり美味しそうとは言えないし、実際に口へ含んでも大した甘さはなく、喉が渇いてしまう。しかし、それでも二人が小遣いを出し合って見舞いにと持ってきてくれたのだと思うとじんわりと涙が浮かぶ。花瓶に飾られた花も、以前土手で見かけて綺麗だと触れようとしたが、危険だと言って止められたものだった。
「……会いたい、なぁ」
涙のせいで甘みより塩気を含んだ果実を咀嚼しながら、は呟いた。
それからが行動に移すまでに、然程の時間も要さなかった。だが、子供である彼女にとっては永遠にも似たような遠い時間だったに違いない。それほどまでに、あの時間に依存すらしていたのだ。
母親が庭で洗濯を干している隙に、は上着を羽織って部屋着のままで飛び出した。もう限界だった。ただ、"たった一人の友達"に会いたくて、それだけのために走り続けた。彼の家がどこにあるのかも知らない。彼の時間は、彼が自分の元を訪れることで成り立っていたものだからだ。
(どこ、アルミン……どこ!?)
いくら熱が引いたからといって、突然激しく運動を行えば元通りだ。思うとおりに動いてくれない身体に、苛立ちばかり募ってゆく。どうして、と彼女が己の不運を嘆いていたとき。
「!?」
彼女の想いは、天に届いたのだった。
「どうして出てきたんだ! 熱があるのに……っ」
アルミンは困惑と焦燥感を抱いたままという少女のもとへ駆け寄った。彼は今日も見舞いの花を手に彼女の家へ向かう途中であったのだが、遥か後方によく見知った影を見つけて驚いた。まさか、外に出られる状況だとは思っていなかったのだ。一度は回復したのかと安堵したものの、それはすぐに間違いであったと気づく。彼女の格好があまりに軽装で、顔色が良くないことなど、観察力に優れた彼にはすぐにわかってしまうのだ。
傍に近寄って、まず初めに彼女の額に手を当てて熱を測る。高温ではないが、平熱とは言えない。それでもはアルミンに会えた安堵からか、力なく笑って見せた。「会いたかった」そう言って。
「今日は調子が良かったの。……本当よ?」
「でも、現に熱があるじゃないか!」
「だって……会いたかったの。会ってお礼が、言いた、くて……」
「!?」
崩れゆく少女の身体を、体力のないアルミンが支える。生憎この場所には頼りになるエレンやミカサはいない。すぐに町のいじめっ子達とケンカになるエレンは誘わず、今日は一人で少女の家に向かっていたのだから。
アルミンの力では、病弱で細い少女の身体であっても重たかった。しかし、ここで投げ出すわけにはいかない。頼りにならなくても僕だって男なんだから、と自分に言い聞かせ、少女の身体を支えながらアルミンは引き返すことを選んだ。
の家よりも、ここからではアルミンの家のほうが近いのだ。
「……?」
目覚めたとき、少女は少年のベッドの中にいた。
家の前までやっとの思いで辿りついたアルミンは、声の限りで祖父を呼び、助けを乞うた。祖父はすぐに少女を抱えてベッドに横たわらせると、アルミンから聞いたの家に事を知らせに向かった。その間、アルミンはずっとベッドで荒い呼吸を繰り返し眠るの手をしっかりと握っていた。が目が覚めるまで、ずっと。
「あ、起きた?」
優しい顔がすぐそこにある。安堵の表情を浮かべたアルミンを視界におさめたは、自分が倒れる前の状況を思い出して飛び起きた。
「!? ご、ごめんなさい……っ」
心配をかけたかったのではない。自分の身体のことをわかっていなかったわけでもない。が、それでもは自分の気持ちを抑えることが出来なかった。一度は本気で大丈夫だと思っていたのだ。
「どうして、こんな無茶を?」
「……だって、」
唇を引き結んで"それ"を堪えていたは、自分の気持ちをアルミンに伝えるため、ゆっくりと口を開いた。唇を緩めることで堪えていた雫が溢れ出るのは致し方ないことだった。
「大丈夫、って……思ったの。私だってみんなと、外に……っ」
拭っても拭っても、の涙が止まることはなかった。
それからアルミンの祖父がの母親を連れて戻ってきて、母は安堵すると共にを叱った。母を宥めようとした祖父とを庇おうとしたアルミンを止めたのは、本人だ。自分の行いと悔いて、母親に頭を下げた。その潔い行動に、母は叱るのを止め、ただ優しく彼女の身体を抱きしめた。無事で良かったと、涙を浮かべながら。
「迷惑、かけてごめんね。アルミン」
「え? ううん、全然。そりゃ、心配はしたけど……迷惑なんかじゃないよ」
母に連れられて家を後にするを見送る際、アルミンはそう言って微笑んだ。
はこれから、恐らく外に出ることを許されないだろう。何より彼女自身がそう約束をしたのだ。もう絶対に外へは出ないと。以前アルミンと出会ったときの様に調子の良いときであれば問題ないのであろうが、彼女も彼もそんな日が訪れないであろうことは知っていた。の身体が日に日に消耗しているという事実を。
「……また、うちにきてくれる?」
「うん、絶対にまた行くから。だからちゃんと休んで元気になってよ」
うん、と頷いては背を向ける。母親がぺこりと頭を下げて、歩き出す。
「お見舞い、ありがとう。とっても、嬉しかった」
母親に手を引かれて去る直前、嬉しそうにはにかみながらが振り向き様にそう言った。
本当はそれだけを、伝えたかったのだ。