エレンの家に、ミカサという少女が一緒に暮らすことになったらしい。先日話を聞いただけでアルミンはまだ直接会ってはいない。詳しい事情はまだ聞けていないが、心の傷もあるため、それが癒えるまでは一緒にいてやりたいので、しばらくは遊べないとのことだった。別にかまわない。そういうことなら仕方ないし、是非一緒に居てやれと背中を押したほどだ。エレンはわざわざアルミンの家に来て、それだけ告げて帰っていった。三日前のことだ。
「……だから、しばらくはここに来れると思う」
「本当? 嬉しいな。……でも、絶対に無理はしないでね」
無理などしていないとアルミンが首を振って否定する。ベッドの上で薄く微笑むは儚げで、先日出会った時よりもだいぶ消耗しているようだった。
出会った翌日に、早速と教えてもらったの家を訪ねたアルミンだったが、出迎えてくれた彼女は昨日の姿ではなく、弱々しく見えた。彼女の母は温和な雰囲気で、「さんの友達です」と礼儀正しく自己紹介をしたアルミンをとても嬉しそうに家に上げた。
母曰く、元気になったからと外に出て無理をしたことが祟ったのだという。本人も自業自得だと同じように情けなく微笑んだ。こんなのはすぐに治る。いつものことだと。
「今度、エレンも紹介するよ。それと、最近エレンの家に来たって言う女の子も。きっと仲良くできると思うから」
「うん。ありがとう……ところで、ねぇアルミン」
「? 何?」
「その本には、どんなお話が書かれているの?」
が少し控えめに口を開いて、アルミンは自分が抱えた本に視線を落とした。いつも少年が大切に抱えているその本の存在が、は気になってたまらない。思い切って聞いてみたものの、アルミンからの答えはやや暫く返ってこなかった。
「アルミン?」
「……ううん、ごめん。この本には、遠い世界のことが書いてあるんだ」
「とおい、世界?」
うん、と頷いて、アルミンは本を数ページめくった。やがて手を止めた彼は見開きにした本をベッドの上に置いてと自分に見えるようにした。
「この壁の外には、こんな世界が、広がっているんだ」
「……」
地図、と呼べるようなものではないが、聞いたことのない地名や名称がアルミンの口から飛び出した。文字の読めないにも、そこにある絵や図面のみで世界の広大さが伝わるほどだった。
「ねぇ、これは? 何て書いてあるの?」
「海だよ」
うみ。口にした瞬間、何故だかとても不思議なもののような気がした。それがどのようなものかも想像ができないに、アルミンは隣で微笑んだ。
「海は、この世界の大半を占める湖のことなんだ。しかも、海の成分はほぼ塩なんだって」
「塩? お塩なんて、とっても高価なものでしょう? そんなこと、あるはずないわ」
「うん。けど、本当のことなんだ。きっと壁が出来る前の人類にとっては、それは当たり前のことだったんだよ」
日常的に塩があって、道を歩けば広い海が見える。巨人に怯える暮らしを送る自分たちにとっては、想像もできないことだ。
「……素敵ね」
「だろ? だからこれは、僕の宝物なんだ」
誰に解ってほしいとも思わない。しかし、こうやって同意してくれる人も確かにいること。それだけでアルミンは嬉しかった。この日はアルミンにとって、エレンに次ぐ二人目の、秘密を共有できる仲間となった。
「アルミンは頭が良くって、羨ましい」
「? 別に、そんなに良くも無いと思うけど」
「周りに流されないで生きること、それって本当はとても大変なことだと思うの」
確かに、理解はされない。周りから見れば自分たちは異端者で、理解できないからこそ暴力でねじ伏せようとする単純明快な世である。しかし、それでも譲れない夢だからこそ、アルミンは決して折れることなく戦い続ける。はほんの少し寂しげに微笑んで、ベッドの上から動かない自分の手を眺めた。
「私は身体も弱いし、同じ地面に立つことすらままならない……なんかちょっと、悔しい」
「……」
「でも、いいの。今はこうやってアルミンが、きてくれるから」
数日前の彼との出会いに、信じてなどいない神様に感謝すらしてしまう。アルミンと出会ったことで、友達になれたことで、は新たな夢を見ることができたのだから。
「僕、もうそろそろ帰らなくちゃ。お爺ちゃんが心配するから」
「あ……そう。ごめんね、何もお構いできなくて」
本を閉じて帰り支度を始めるアルミンにが申し訳無さそうに言うと、アルミンは慌てて手を振った。そんなことない、と。
「……また、明日も来るよ」
「!」
「いいかな?」
「う、うん、勿論。私、ずっと待ってるからっ!」
お互い名残惜しい気持ちはあった。永遠に、この時間が続いていけばいいのにと思えるほどに。
「それじゃ、今日は楽しかったよ」
「うん……私も」
ベッドから降りられないと、部屋の中で挨拶を交わし別れる。本当は見送りに行きたいのに、と悲しげに揺らいだ彼女の瞳を微笑で受け止めたアルミンは、本を片手に小さく手を振った。
「また明日ね」