アルミンは一人で川沿いを歩いていた。いじめっ子たちと会わないように、なるべく争いを避けるための手段として。彼の唯一の友達のエレンは、医師である父親の診療に付き添うため、シガンシナ区外れの農村へと向かったらしい。朝一でエレンの家を訪ねたのだが、どうやら無駄足だったようだ。優しくアルミンを出迎えてそう教えてくれたエレンの母に礼を告げてから歩き出したアルミンは小さく溜息を吐く。今日はどうやって時間を潰そうか。
「あれ……?」
つまらない。大切そうに重たい本を抱え、川に落とさないように慎重に歩いていたアルミンがふと顔を上げたときだった。申し訳程度に川にかかった橋の向こうで、少年たちが誰かを取り囲んでいる。普段ならば、そこにいるのは自分だ。今日はたまたま、彼らと会わないように遠回りをしていただけであって、見知らぬ誰かはその代わりの犠牲となっただけだった。
「……っ」
アルミンは踵を返し、少年たちに背を向けた。気づかれないうちに、家に戻ってしまおう。そう考えたのだ。いつも助けてくれるエレンはいないのだし、痛い思いは極力したくないに決まっている。だが、不意に水面へ視線を落としたアルミンは、反射してそこに映る景色の中、あることに気がついて勢いよく振り返った。少年たちに囲まれ、絡まれている自分とは別の"誰か"が、気の弱そうな少女であったのだ。
「……」
立ち止まり、唇をかみ締める。逃げてしまいたい。逃げてしまおう。そう思っていたのだが、足が動いてくれない。今までは同性であるエレンに守ってもらうなど、弱い立場に甘んじていたが、か弱い少女を見捨てて逃げるなど、心優しいアルミンには絶対に出来なかった。勝てるはずがない、と思いながらも、アルミンは少年たちのもとへ駆け、少女と少年たちの間に割り込んだ。
「……や、止めなよ! 困っているじゃないか!」
「! 今日は見かけないと思ったら、自分から来るなんて馬鹿なやつだな!」
少年の一人が、嬉しそうに意地悪い笑みを浮かべる。しかし、いつもとは違う覚悟のもとに飛び出したアルミンは、頬を殴り飛ばされても泣いたりしなかった。それを見た少年たちは、面白くないと言わんばかりに次々と去ってゆく。
「……大丈夫だった?」
そう言って少女を振り返り、アルミンは微笑んだ。ずきずきと腫れた頬が痛みを訴え始めるが、自分とて一応は男。女の子の前では強がっていたい気持ちもあるのだ。しかし、少女はアルミンの問いかけには答えず、泣きそうな顔でハンカチを差し出して、アルミンの頬に添えた。
「それはこっちの台詞よ。……腫れてる」
痛かったでしょう。そう言って、綺麗なハンカチでアルミンの頬を押さえる。小さくありがとうと言ったアルミンの言葉など耳に届いていないようで、少女は「早く冷やさないと」と呟いて、川の水を求めて土手を降りようとした。そんな少女の手をアルミンは慌てて掴んだ。不思議そうに振り返る少女に、困ったように、けれどはっきりと口にする。
「そこ、足場が悪いんだ。僕たちみたいな子どもの体重でも、すぐに崩れちゃうよ」
「!」
そっと足元へ視線を落とせば、確かに土がぼろぼろと崩れ始めていて。少女は慌てて足を引っ込めた。
「気持ちは嬉しいけど、大丈夫だよ」
「……でも、わたしのせいで」
いつものことだから。そう言って、殴られた衝撃で手放してしまった本を拾い上げ、土汚れを払う。それから、少女の顔を改めてよく見て、やはり見かけない顔だと再認識する。大体、地元の子どもたちならここらの地理には詳しいし、この川沿いの土が脆いのも知っているはずだ。
「君は、よそから来たの?」
「え?」
「いや、見かけない顔だと、思ってね」
ああ。
少女が頷いて、力なく笑顔を浮かべる。
「わたし、身体が弱くて……あまり外へ出してもらえないの」
今日はいつもより調子が良く少しだけ外出を許可されたのだが、道なりに歩いていたところで先ほどの少年たちに絡まれたのだそうだ。なるほど、とアルミンは納得して、改めて自己紹介をする。
「僕はアルミン。よろしく」
「! わ、わたし、っていうの。……ねぇ、アルミン」
アルミンが差し出した手にぱちくりと目を見開いたは、ゆっくりとその手を両手で握り締め、一生分の頼みごとをするかのような真剣な眼差しをアルミンへと向けた。
「お願い、わたしとお友達になって! わたし、知りあいとかいなくて……ずっと、一人ぼっちだから」
ずっと寂しかったんだなと、アルミンはと言う少女をかわいそうに思った。それだけの感情で、そんなことならと笑顔で頷いたのだ。
「勿論いいよ! 頼りにはならないかもしれないけど……僕の友達もいるから、外に出るときはいつでも呼んでよ」
エレンもそこまで強くはないけれど、弱くも無い。負けん気だけは人一倍強い彼のことだから、きっとのことは何としてでも守ってくれるに違いない。
突然の頼みごとを快諾してくれたアルミンに、は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうっ」