副隊長であるイオスが、調査内容をしたためた文を投函したのが今朝のこと。以前までなら手紙が聖王都、帝国間を行き来するのに数日要するのが当たり前だったが、今日、召喚獣による暮らしの発展の影響は、案外身近なところにもあるのだとは実感していた。朝方投函した文に対する返事が、夕刻には宿に届いていたのだ。
「本部からです」
上司二人が留守にしていたため、宿屋の主人から手紙を受け取っていたは隊長ルヴァイドへと封書を差し出した。ルヴァイドは薄く微笑んで彼女の頭を優しく撫でると、封を切って中から数枚の紙を取り出した。
「……!」
それまで穏やかだったルヴァイドの表情が、突如堅いものへと変わる。傍らでその様子を見ていたイオスは「どうしたのですか」と口を開き、無言のルヴァイドから手渡された文に目を通す。イオスの顔が強ばるのと同時に、ルヴァイドがとアルバへと告げる。
「紅き手袋に不穏な動きがあるという、報告だ」
「え……っ!」
見習いの二人が息を呑む。文を読み終えたイオスは丁寧にそれを畳んで封に戻すと、溜め息混じりに呟いた。
「まさか、ただの視察のつもりがこんなことになるとは……」
「元来視察とは予期せぬことが起こるものだ。仕方あるまい」
「……そう、ですね」
ルヴァイドとイオスが危惧しているのは、何も紅き手袋という暗殺集団が怖いのではない。共に連れてきた未来の騎士たちが、それらと合間見えることに不安を覚えるのだ。
ルヴァイドもイオスも、腕にはそれなりの自信がある。しかし未熟な二人をいきなり実戦に出すのは、やはり危険であるというのが共通の思いだ。相手は仁義を重んじる騎士ではなく、どんな非道をも厭わない暗殺者である。若い彼らの未来を奪わせるわけには行かないと、二人は重々しい空気を放っていた。その中で、
「急ぎましょう、帝都に」
少女のそれほど大きくはない声が、響いて聞こえた。
「……?」
隣のアルバが彼女の横顔を見れば、いつもの天真爛漫で楽天的な少女ではなく、それは闘志を燃やす戦士の顔だった。
「私たちは本部へは戻りません。一緒に行きます、連れて行って下さい」
ルヴァイドとイオスが、自分たちを置いて二人だけで帝国へ行かんとしていることを、は見抜いていた。イオスは困ったように、そして判断を委ねるようにルヴァイドを見た。
「紅き手袋は、お前達には危険過ぎる相手だ」
「それでも、このまま引き返したくない……私は、逃げたくないんです」
紅き手袋。その名前は、故郷の島で嫌と言うほど耳にした。この世界について学んだ青空教室の歴史の授業で必ず出て来た、無色の派閥と対になることが多い組織の名前。彼女の母親もまた、実験動物として捕獲されんとしていたことを、は両親から聞いて知っていた。昔から小さな集落で暮らしてきた島民の、平穏を願ってきた皆を、絶望へと突き落としたあの日の惨劇を。
「危険だって、わかってるから……無茶は、しません。だから」
お願いします、と頭を下げるの隣で、慌ててアルバも同じように頭を垂れた。
「お、おいらからも、お願いしますっ!」
は、「私たち」と言った。当たり前のように共に行こうと言ってくれていることが、アルバは堪らなく嬉しく感じていた。堅く握られた二人の拳が小刻みに震えていて、それを見つめていたルヴァイドは暫し思考したのち、口を開いた。
「……単独での戦闘はしないと誓え。お前達には未来がある」
ルヴァイドは、そう念を押す。その言葉を聞いた二人は一度顔を上げ、「ありがとうございます!!」と更に深く頭を下げるのだった。
脇でイオスが、上司の決断と少年少女の嬉しそうな顔に、重々しい溜め息を吐いていた。
「そうと決まれば、急がなければなりませんね」
「……そうだな」
「明朝出発するから、各自今日中に荷物をまとめておくように」
日暮れが近い今、下手に行動するのは得策ではない。そのことを十分に理解している騎士見習い達は、イオスの言葉に力強く頷いた。
「」
先に戻って行ったアルバの後を追って部屋に戻ろうとしたを、ルヴァイドが呼び止めた。個人的にルヴァイドに呼ばれることがあまりないは、どことなく緊張した面持ちで不思議そうに隊長を見上げた。
「お前は、自分が自由騎士の一員であることを忘れるな」
「? ……はい」
ルヴァイドが放った言葉の意味を、同年代に比べて聡明なであっても完璧には理解できなかった。何をそんな当たり前なことを、と心の中で呟く。そして今度こそ部屋に戻った少女の背中を、心配そうにイオスが見送った。
「……大丈夫、でしょうか」
「……」
同意を求めるようなイオスの言葉に、ルヴァイドは腹心を一瞥すると再び、今し方彼女が歩いて行った通路――既にその姿はなかったが――を見据えた。
沈黙の正体は、肯定でも否定でもない。ただ、こればかりは彼女、自身に委ねるしかないのである。
という少女が、自分を差別していた派閥の召喚師以上に、無色や紅き手袋、密猟者連中に対する敵意が大きなものであることを、ルヴァイドとイオスは彼女を連れてきた仲間から聞いていた。だからこそ彼女の胸中を案じているのだ。昔の自分たちのように、周囲も自身も顧みずに突っ走ってしまわないだろうか。その結果、取り返しのつかないことになるのではないかと。
「信じるしかあるまい。過去の俺達にあの者達が手を差し伸べてくれたように、あれには俺達がいるのだから」
この胸のざわつきが、杞憂で終われば良い。イオスは願ながら目を閉じた。この旅が、どうか無事に終わりますように。