もうそろそろ、しっかりしないと。
鏡に映った自分の姿を見て、そう渇を入れる。大丈夫、まだ、頑張れる。
「、準備できたか?」
控えめなノックの後に、待ち合わせの人物は扉の向こうから声をかけた。うん、今行く。そう返事をすると、声の主は了承の意を告げて離れる。階段を下りて行ったのだろう、徐々に遠のいていく足音を聞きながら、コートの襟を正す。
「……アルバ君!」
急いで身支度を終えてが玄関へと向うと、アルバは背筋を真っ直ぐにしてそこに立っていた。声をかけると微笑んで、お早うと挨拶してくれる。
「ごめんね、遅くなって」
「え? 全然、大丈夫だよ。女の子の身支度は時間がかかるものだって、教えられたし」
「えっと……」
一体誰から? という野暮なことはさすがに聞くのを憚られて、は話を逸らすように辺りを見回した。
「シャムロックさま達は?」
「団長もレイドもまだ来てないよ」
今日は特別な日だ。別に準備と言っても世の女の子達のようにのんびりとお洒落をしていたわけではない。
「それにしても、気合入ってるなあ」
「それを言うならアルバ君だって。夜眠れなくて何度も水飲みに出てきてたの、知ってるんだから」
「うわ……格好悪いなぁ」
の言葉にアルバは頭を掻きながら、紅くなった顔で俯いた。
「どうして? 格好悪いなんてこと、あるわけないのに。アルバ君はいつも一生懸命で、かっこいいよ」
「……それはそれで、面と向かって言われると恥ずかしいな」
今日、自由騎士見習いであるアルバとが初めて任務に同行する。そろそろ実戦で活躍したいと言う少年少女の願いを受けていた騎士団長シャムロックからようやく許可が下りたのだ。
任務の内容は、先日捕らえられた盗賊団の残党の討伐である。頭は既に聖王国騎士団によって牢に入れられている為、見習いである少年達の実力でも問題はないとシャムロックは踏んだが、念のため元々の任務の請負人であるレイドに加え、自身が同行することを前提とした。
「盗賊って、要はコソ泥でしょ? ろくな仕事にも就かないで、人のもので生活するなんて、ずるいよね――って、どうしたの? アルバ君」
「い、いや、なんでもないよ。はは……」
「……二人とも、待たせたな」
自分を育ててくれた仲間の一人が、そのコソ泥であるということは黙っていよう。そう心に誓ったアルバと何も知らないのもとに、共に任務に当たる上司がやって来た。
「え、あれ? ……なんで??」
「ルヴァイド隊長に……イオス副隊長?」
やって来たのは、聞かされていたのとは全く違う人物だった。
「ああ、急きょ事情が変わってね。お前達は僕らと来ることになったんだ」
特務隊長と副隊長を任されているルヴァイドとイオスの登場に困惑するアルバと。
イオスの説明によると、つい先ほど聖王国の騎士団から盗賊団の頭が脱獄したという情報が入ったらしい。手下達と合流する前に捕まえなくてはならない上、最悪もし既に合流しているのなら、見習いである二人を戦いに出すのは危険であるということで、急きょルヴァイド達の旅に同行させるという話になったとのことだ。そしてそれは、つまり。
「じゃあ……戦えないんですか?」
「……」
「そういうことになるな」
「えぇー……」
明らかに残念そうな表情を浮かべるとアルバに、イオスとの話を黙って聞いていたルヴァイドが声をかける。
「今回の視察は、帝国だ」
「帝国?」
「それって、かなり長い旅になるんじゃ……」
「ああ。お前達は、聖王国から出たことがあるか」
「ないです」
「あ、ありません」
正直にルヴァイドの話に耳を傾ける二人に対し、上司達は小さく笑みを浮かべる。本来ならば大所帯で旅をするのは目立ってしまうので好ましくないのだが、それでもこの二人を連れて行くだけのメリットがあった。
「自分の目で耳で見聞きしたことは、将来必ず役に立つだろう」
「帝国の文化は特異だから、きっと驚くよ」
若い、未来ある二人に、広い世界を見せたい。そういった思いもあって、ルヴァイドは己の任務に同行を許したのだ。
「それに、戦いが全くないという保障もないからな」
「あ……」
きっと長旅になるだろう。アルバがサイジェントから首都ゼラムへ来たときよりも、が海を渡って名もなき島からこの地に来たときよりも。
ずっとずっと、長い旅になるだろう。
「戦いの機会は、きっとある。勿論ない方が我々としては良いのだがな……」
しかし二人の少年少女にとっては、実戦で役に立ちたいと常に思いを馳せていた彼らにとっては、それはとても必要なことだった。
「どうする? 嫌なら今回は辞退しても――」
「い、行きます! おいら達も連れて行ってください!」
「よろしくおねがいします!」
意地の悪いイオスの問いかけに、アルバとは勢い良く頭を下げる。
「のんびりしている暇はないからな。行くぞ」
「旅支度なんてしてないですよ! 少し時間ください!」
「お、おいらも……」
「仕方ないな、早くするんだぞ」
「はあーい」
自室へと急ぐ二人を見送って、イオスが嘆息する。それから隣で表情を変えずに立っている上司を見て、
「珍しいですね」
「何がだ」
「ルヴァイド様が、自分からあの二人を同行させると、シャムロックに申し出るなんて」
「……おかしいか?」
「いいえ。ですが少し不安要素もあります」
まだ、あの二人を実戦に出すのは早い。
そこかしこから聞こえてくる反対の声に、イオス自信も賛同していた。未来ある彼らだからこそ、ゆっくり育てていきたいと、そう思ったのだ。自分の直属の上司であるルヴァイドもそうであると疑わなかったのだが、どうやら彼は自分とは違うらしい。
「まあ、決まってしまったものは仕方ないですけど……レイド殿にも頼まれましたし」
「そうだな」
荷物をまとめて戻ってきた二人の少年少女を出迎えて、四人となった騎士達は聖王国を出るべく門を潜った。
これから何が起こるのか、長い長い旅の果てに得られるものの大きさも、知らぬまま。