「嬉しそうだね、」
「え!? ……はい。ヒトに優しくされたのは久しぶりだったから」
利き手じゃない方の人差し指に指輪を嵌めたは、微笑みながらシャムロックの言葉に答える。普段は細いチェーンに指輪を通してネックレスのように首から下げているが、非番の日はこうして自分の指先を眺めてはうっとりとしている。先日の豊漁祭以降ずっとこの調子なので、この指輪をプレゼントしたアルバは周りの騎士達からとても冷やかされた。しかしそれ以上に、感謝もされたのだった。
「仲良くは出来そうかい?」
「……ミニスちゃんも、アルバくんはいいひとだって言ってたし、メイトルパのニオイも、少しだけどするから」
故郷の孤児院で様々な世界の人物たちと暮らしてきたというアルバは、四界とこのリィンバウム全ての魔力を感じさせる。彼自身の魔力はとても微弱でしかないため、強く感じることはない。それでも、彼の存在そのものが故郷の島のように思えて仕方がない。最初こそ怖がりはしたものの、彼が自分を傷つけないとわかったことで、は少しずつアルバへと心を開いていったのである。
「少しずつでいい。この騎士団に君を傷つける者はいないから、安心しなさい」
「はい……わたし、頑張って強くなります」
そもそもが故郷を離れて聖王都へとやって来たのは、先に旅立った兄や姉たちのように、外の世界をこの目で見るためだった。これから先の未来、島の人たちを守っていくための力を得るためだった。そのための第一歩が自由騎士としての役割ならば、それを全うしなくてはならない。はそう強く感じていた。
しかし他にないのだろうか。強くなって自由騎士団の――この国の民たちのために戦うこと以外に、自分に出来ることが。アルバや見習いの騎士達は毎日懸命に剣を振るい稽古に励んでいる。自分も、合間を見つけては訓練場で武術の自主訓練や召喚術について知り合いの召喚師の元で学んではいるが、それだけでは何か物足りないと感じていた。
何か、何かないだろうかと。考えたところで答えなんか出るはずもないので、は久しぶりに自らの足で外へと趣いた。
「ちゃんなら、いるだけでいいのよぉ。自由騎士団の紅一点! 疲れた騎士たちの癒し……なあんて。にゃははは♪」
「そういうのじゃなくて……あのね、真剣にきいてください」
王都ゼラムの一角に店を構える占い師のメイメイは、迷える子羊を前にして笑い飛ばす。傍らには空の一升瓶が三本ほどあって、もうかなり酔っているようだ。
「思い上がりだってわかってはいるんだけど……でも、わたしにも何か出来ることがあればいいなって」
メイメイはなんでも知っている。の恩師が「困ったことがあれば彼女を頼りなさい」と言っていたので、はよくこの店を訪れていた。困っているいないにかかわらず、この場所は落ち着くのだ。昔から知っているみたいに、ホッとする。
「出来ることなら、沢山あるじゃないの」
「え?」
「貴女は気づいていないだけ。貴女があの島で学んできたことに、無意味なことなんてないわ。よく、考えてごらんなさいな」
そう言ってメイメイは、酔いなんて感じさせない微笑みを浮かべた。
「私に、できること……」
街にやってきて、は自ら行動を起こすことは無かった。人種だけではなく価値観の相違、島では当たり前だったことが、こちらではそう捉えられることのほうが少ないのだから当然だった。
メイメイはひとしきり笑ったあとで机に突っ伏して熟睡してしまった為、の相談はそこで終わってしまった。薄着の彼女へと毛布をかけて、店を出る。
騎士団の本部へと戻ると、何やら厨房で音が聞こえてくる。は派閥から此方へ異動してきてからというもの、出されたものしか口にしておらず、そもそもこの男所帯の騎士団で誰が食事を用意しているのかさえ知らずにいたのだ。
そっと覗き込むと、そこに居たのは自分とそう変わらない年齢の、騎士見習いの少年。先日ようやく少しだけ心を開くことができた、アルバだった。
「なに、やってるの……?」
の問い掛けに、アルバは驚いたように一度入口を見て、すぐにまた手元に視線を戻した。声をかけるのはまずかっただろうかと思ったではあったが、作業を再開した彼が「それがさ……」と静かに言葉を口にしたのを聞いて、無視されたわけではないと安堵する。
「買い置きのパンが切れたって報告があって、副隊長に買い出しに行けって言われたんだけど……」
言われた、けど? がオウム返しに尋ねると、アルバは少し照れくさそうに笑って、
「おいら孤児院で貧乏暮らしだったから、パンを買う習慣ってないんだ。だから、作ろうと思ってさ」
「……パンを、つくる?」
「そう」
ほら、とアルバが手にとったのは、先程まで捏ねていたらしいパンの生地。その手際の良さに、は感動すら覚える。
「……一緒に」
「え?」
「わ、わたしも、一緒にやりたい……」
の両親は島一番の料理人夫婦で、趣味でお料理教室を開いているほどだった。そのためは物心がついた頃には包丁を手にしていたし、成長するにつれて自然と料理のレパートリーも増えていったのだ。
の申し出にアルバは嬉しそうに頷いて、隣を少し空けてくれた。近くに寄って、彼の手元をじっと見つめる。
発酵中の生地に濡れた布をかけて休ませてから、新しい生地を作る。その半分をアルバはに託し、コツを伝授していく。こうして見れば、大所帯の食糧確保は本当に大変だと実感する。
「いつも、は、誰が……つくるの?」
「うーん。おいらはパン作りは家の手伝いで覚えただけなんだけど、他はあまり作れないしなぁ。比較的料理ができる人が、交替でやってるみたいだ」
「……」
「?」
どうかしたのか? アルバが尋ねるが、は考え込んだまま動かなかった。やがて、真剣な声で告げる。
「今日のごはん、わたしが作っていいかなぁ」
「……本当にこの量を、ひとりで作ったのか?」
目の前に用意された料理を見て、イオスは感嘆の声を上げる。
それらを生み出した少女は、満足そうに嘆息し、微笑んでいる。久しぶりに包丁を持って、食材に触れて、思い出したのだ。自分の出来ることを。
「……私の父さまが、『食べ物は人の体を作る』ってよく言っていました。それで、あの」
「驚いたな」
シャムロックが、の言葉を遮って呟いた。
「トリスさんも人が悪いですね。こんな優秀な人材を、放っておくなんて」
「シャムロックさま……?」
「正直、食事の面では我々は疎くてね。調理の人間を雇おうかとも考えていたんだが、やはり新設の騎士団では金銭面の問題も……ああ、すまない」
「現実的な話で悪いけど、まあ、それだけ困っていたんだよ」
自由騎士団という、民のための騎士という夢を掲げる騎士団の団長からは到底聞きたくない言葉が聞こえた気がしたが、次いでイオスがに言った。つまるところ、自分は認められたのだと。
「それじゃあ、明日も作っていいですか?」
「ああ、勿論」
「あさっても、しあさっても、その次も、ずっと?」
「助かるよ」
シャムロックの頷きに、の笑みはずっと深くなる。
父と母が、島の皆の健康のためにやり続けたことが、今度は、騎士団の皆のサポートが自分にできる。これ以上ない喜びだった。
「良かったな、」
「……うん! あ……あのね、アルバくん」
「ん?」
「また、パンのつくり方、教えてくれる?」
自分はまだまだ発展途上で、作れる料理の種類も両親ほど多くない。これからもっといろいろなことを勉強して、吸収して、自分を磨いていくために。
「ああ、いいぜ。そのかわり、もおいらの稽古に付き合ってくれよ」
「うんっ」