十三になったばかりのアルバは、先日故郷の家族達と別れて聖王都にやって来た。幼い頃からの剣の師であるレイドと共に、この国で自由騎士になるために、訪れたのだった。
初めてやってきて感じたことは、人数はまだ多くは無いものの、誰もが弱き民を守りたいという強い思いを抱いていた、心優しき騎士達だということだ。その凛々しい姿を見て、アルバは「いつかは自分も」と、密かに心に誓っていた。その、矢先のことであった。
「彼女も今日から我々の仲間だよ。仲良く頼むよ」
自分も自由騎士団の一員となってから日が浅い中、温厚な騎士団長が告げた言葉の意味に、ふと、目を丸くする。
騎士団に、女の子が? アルバは首を傾げたが、彼女が普通の――人間の女の子ではないことをすぐに理解した。
明るい髪の間から見える長い耳と、衣服の隙間から覗く丸みを帯びた、人にはない尻尾。「召喚獣?」と口をついて出てしまうのも、無理は無い。だが、それが失言だと気づくのには、アルバはまだ幼かった。
「ッ!」
「!?」
涙を浮かべながら、鋭く睨まれたアルバは当然困惑する。初対面の相手に、明らかな敵意を向けられたのだ。
「わたしはっ、召喚獣じゃ……バケモノなんかじゃ、ないっ!!」
そう語彙を荒くして、部屋を出て行ってしまう少女を追いかける者はいなかった。彼女を紹介してくれた団長は、やれやれと頭を掻きながら「先に言っておくんだったね」と、自分の失敗をアルバに詫びたのである。
「彼女は今、心にとても大きな傷を負っている。それこそ、人間が信じられないくらいに」
「……あの子は、何ですか?」
アルバはようやく、それだけを尋ねた。
団長のシャムロックは、先日彼女を託してきた恩人の言葉を思い返しながら説明した。彼女がメイトルパの亜人と、リィンバウムの人間との間に生まれた半獣の少女であることを。
それを聞いたアルバとレイドは、故郷であるサイジェントで以前敵対していたチームの、鬼人との混血であるという少年のことを即座に思い出した。人のようで、人とは違う。それ故に恐れられて、傷ついてしまう。本当は誰よりも、優しいはずなのに。
「生まれ持った才と努力で武術に長けているが、同時に召喚術の素質もあってね」
それが発覚したのは、シャムロックが恩人と口にするその人――トリスの召喚石に、が触れたときだった。眩しいほどの輝きを放って、そこに刻まれた、誓約された幻獣界メイトルパの住人が姿を現したのである。その時は確かに召喚が成立していたのだが、呪文も手順も関係なしに召喚獣を呼んで見せたことに、トリスとその仲間たちは危険性を察知した。彼女の育った島では学校という場所があり、本来はそこで学ぶのが最善であるが、は外の世界への憧れから、ヒトに交じって学ぶことを選んだ。その為、彼女はこれまで蒼の派閥で召喚術について学んでいたのだ。
「この世界の人間から見れば、彼女はれっきとした召喚獣だからね。更に召喚師は高慢な連中が多いと聞くから……認められないのも、無理はないのでしょう」
「……確かに、な」
隣のレイドが、シャムロックの言葉に頷いた。きっと彼の脳内には、故郷である紡績都市サイジェントに君臨していた三人の召喚師の姿があるのだろう。今ではだいぶ落ち着いてはいるが、昔はかなり好き勝手やっていたと聞く。
つまりは、そんな連中の中で半年も過ごしてきて、肩身の狭い思いをずっとしてきたという半獣の少女は、この世界の人間に、絶望してしまったのである。派閥という、小さな世界の中だけで。
「彼女の、の力は我々にとっても大きい。何せ、ここには専門的な召喚術の知識を持つ人物がいないのですから」
召喚術の知識と才能を持ち、故郷で暮らす仲間のもとで学んだ武術を使い、様々な知識を持っている彼女の存在が、まだ暗中模索状態であるこの自由騎士団には必要だった。
「貴方達なら、きっと彼女の心を開くことも可能でしょう」
よろしくお願いします、とシャムロックはアルバに微笑んで見せた。彼は確信していたのである。今よりもずっと幼い頃から、様々な世界の人達と暮らしていたアルバという少年にとって、召喚獣と人間との線引きは曖昧なものだった。だが、アルバにはわからなかった。あんなにも人間を恐れている少女の心に触れるのは、躊躇ってしまう。可哀想に思えて仕方が無かったのだ。
「」
副隊長のイオスは、訓練場から戻ると、少女の独特のシルエットを見つけてそう声をかけた。背後からそう呼ばれて、びくりと身体が震える彼女は、泣いているようにも見えた。
「そういえば、今日から入団するとシャムロックが言っていたな……だが、どうした? こんなところで」
「……イオス、さま」
顔を上げたは、その瞳に大粒の涙を湛えながら、必死に何かに耐えていた。
派閥に身を置いていたではあったが、トリスの仲間たちのことは一通り紹介されて知っている。今は皆別々の場所でそれぞれの目的のために動いているが、共に戦った絆は消えはしないのだと、トリスは言っていた。
ここより少し遠い場所にある、一度は焼失してしまったレルムという村の再建場所で、優しい初老の男――アグラバインと孫娘のアメル、そして双子のロッカとリューグと言う男に会って、町を案内されながらケーキ屋で働く二人の女性――ルゥとパッフェルに会った。パッフェルとは、故郷へ訪れた人間の一人だったので知っている。それ以上に彼女は、島の歴史に関係する人物でもあった。
冒険者をしているというフォルテとケイナは、の故郷から戻るとすぐに旅に出てしまったが、その前に騎士団を見に行くと言っていた。この国に、どうして騎士団が二種あるのか。は解らなかったが、案内を兼ねてトリスが教えてくれたのである。国家を守る騎士団のほかに、仕える主を持たず、民を守るための騎士たちがいると。それがこの自由騎士団で、そこに所属する団長のシャムロック、隊長のルヴァイド、そして副隊長イオスが、傀儡戦争でトリス達と共に戦った仲間なのだと、紹介されたのだ。そして彼らは誰一人、を恐れることはなかった。これまでにそういった連中を見てきたからだろうか。レルムの村で手伝いに駆けずり回っていた、ユエルという自分とは違う種の亜人と出会ったが、彼女も仲間だと言っていたのを思い出す。
は少し安堵していたのだ。派閥から騎士団への異動となったことで、自分のこの現状が、少しは変わるのではと。だが、それでも人の視線が恐ろしいと感じるようになってしまったにとって、信用できる人物はこの団の中では三人の騎士のみである。それ以外の団員は恐ろしくてたまらないのだと、身体が震え、声をかけたイオスにそう瞳で訴えていた。
「大丈夫だ。もう、誰もお前を傷つけたりはしないよ」
ただそれだけを言って、イオスはの頭を優しく撫でた。
この騎士団の中でが最も信用しているのはイオスだった。彼と相性の良いメイトルパは、の母方の故郷なのだ。騎士であるイオス自身は召喚術はあまり好まないし、強い魔力を有しているわけではない。だが、優しくて温かいものだと彼女は感じていた。メイトルパそのものを知らないにとって、その微弱に漂う魔力が、泣きそうなほどに安心できたのだ。
「大丈夫だよ」
縋るように抱きついてくる少女の身体を抱きしめて、再びそう声をかける。
時々聞こえる小さな嗚咽にイオスは、未だ渦巻く、この世界の闇を感じずにはいられなかった。