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     ――全てのニンゲンが恐ろしいってわけじゃないだろう? キミは、俺が怖いかい? ……うん、そうじゃないよね。だから、もう少しキミが大きくなったら。視野を広く、自分の目で、耳で、確かめてみてごらん。……この島の未来を担うのは、キミ達なのだから。

     懐かしい夢を見た。実際は数年前の記憶なのだけれど、もっと、ずっと遠い過去の話のような気さえしてくる。自分にそう教えてくれたあの人は、今もあの場所を外敵から守ってくれているのだろうか。
     身体を起こして、サイドテーブルに置いてある時計を見る。時刻は、予定より半刻以上も早かった。それでも寝直す気にはなれず、ゆっくりとベッドから降りる。ふーっと深く息を吐いてから、顔を上げて、吐き出した倍の空気を吸い込んだ。そうすれば頭がすっきりするのだと、以前故郷の仲間に聞いたことがあったのだけれど、すっきりした頭とは裏腹に、心はどんよりと沈んだままだった。

    「……行かなくちゃ」

     支給された服に袖を通して、身支度を整える。白と紫を基調とした見習いの制服は、自分をこの場所へと連れてきてくれた女性が好んで着ていたものとよく似ていた。彼女は、まだまだ自分は一人前ではないから、と言って笑っていたが、二年程前に起きた傀儡戦争(先日歴史の授業で習った)で、悪魔の軍勢を相手に戦った英雄であるというのだ。そんな風には見えなくて、本人に尋ねれば「成り行きだよ、あたしは友達を助けたかっただけだもの」と言って、やはり困ったように笑うだけだった。彼女の笑顔はやさしくて、あたたかい。そう思うと同時に、彼女に連れられてやってきたこの場所で、彼女と同じ空気を持つ人に出会えないことが、ひどく物悲しい気持ちにさせる。
     止まりがちになる手を、足を動かして、今日も本部の扉をくぐる。



     人とは、ニンゲンだ。
     ニンゲンとは、この世界――リィンバウムにおける最も多い種である。そして人は、自分とは違うものを、異形の者を総称してこう呼ぶ。

    「バケモノ」と。

     ここに――蒼の派閥へ来てから、そう呼ばれることが多かった。
     誰も目を合わせない。歩いていたら水をかけられる。実技訓練では、召喚の爆発に巻き込まれたりもした。
     毎日雑巾のようにボロボロになって、その度に周りから発せられる言葉に心が凍り付いていく。

    「どうして、召喚獣が」
    「ケモノのくせに」
    「人間様に服従していればいいものを」

     面と向かって言わないあたり、皆恐れているのだろう、化け物を。
     杖を握る手に力が入る。誰も助けてはくれない。苦しくて、怖い。ニンゲンが、怖くてたまらなかった。

    「ちゃん」
    「あ、トリスさん。こんにちは」

     トリス、という女性が、をこの派閥へ連れてきた張本人である。だが、彼女自身がを追い詰めているわけではない。恐らくありのままの事実を話せば、トリスは身を挺してでも自分を守ってくれるに違いない。けれども、それは本人が望んでいることではなかった。

    「あれ……元気、ない? どうかした?」
    「……いえ。何でもないですよ。試験が近くて、ちょっと緊張してるだけです」
    「あはは。そういえば、あたしもそんな時期があったなぁ。あたしは特に落ちこぼれだったから、余計にね?」

     あはは、と笑い飛ばして、心の中で大丈夫と言い聞かせる。逃げ出すことは、絶対に許されなかった。
     故郷の島でトリスに出会い、必死に頼み込んで連れ出してもらえたにとって、何より大切なのは"自分の目と耳で見聞きすること"であった。いつかの教えを守ろうと、必死だった。それ以上に、自分がこの場所から逃げ出してしまうことは、召喚獣の血を引いていながら召喚術を行使できるの素質と危険性を察して派閥の上層部へと掛け合ってくれたトリスの顔に泥を塗ることにもなってしまうのだ。

    「じゃあ、わたしも頑張りますね。トリスさんみたいに」

     過去、トリス自身が迫害に近い扱いを受けていたと以前に聞いた。成り上がりと蔑まれ、任務と言う体で厄介払いを受けて、それでも諦めなかった彼女を、は心から尊敬していた。
     だから自分も、と。そう思ったのだ。……思ったのに。



    「……っ、は……」

     呼吸をするのがやっとだった。獣人の血を引いている自分は、常人よりはるかに強い力を持っているから。恐れられるのは理解できる。しかし、はこの力を人前で使うことは決してなかった。それなのに。

    「化け物!! こんなヤツが同じ召喚師なんて……!」

     半壊した訓練室で、一人の見習い召喚師が叫んだ。

     実技訓練の最中、召喚術の集中砲火を浴びたは、己の身を守るためにその力を使ってしまった。
     どれだけの覚悟で自分がいたとしても、相手には伝わらない。トリスは成り上がりでも人間だったが、はそうではないのだ。
     ニンゲンとは違う、化け物。
     更に、召喚術ではなく物理的な攻撃を加えてしまったことで、騒ぎは収拾がつかなくなっていた。

     ああ、もう、わたしはここにいてはいけないんだ。

    「……ッ!!」

     騒ぎを聞いて駆けつけたトリスは、ボロボロのの身体を優しく抱きしめた。

    「ごめん……ごめんね、あたし、気づいてあげられなかった!」
    「トリス、さ……」
    「あの人はもういないから、大丈夫って……思ってたんだけど……」

     あの人とは、トリスを成り上がり呼ばわりしたと言う、元幹部の男のことだろう。
     しかし、決して彼だけではないのだ。自分と違うものを恐れるのは、当たり前のことだ。それが人間、いや、生き物なのだから。
     頭では理解しているけれど、許すことなど到底できなくて。

    「……っ」

     は身体を震わせて、泣いていた。


     ――全てのニンゲンが恐ろしいってわけじゃないだろう? キミは、俺が怖いかい?

     せんせい、ごめんなさい。
     ……わたしは、ニンゲンがこわいです。



    「大丈夫、だよ。まだ、この世界を諦めないで。嫌いに、ならないで」
    「……でも、」
    「全部が全部、怖いわけじゃないよね? ……は、あたしがこわい?」

     トリスの問いかけに、は静かに首を振った。それはいつかの、師の教えにも似ていた。

    「人の全てが、怖いわけじゃないから。あなたを受け入れてくれる場所は絶対にある。……もう一度、あたしを信じてほしいの」

     半年間耐えてきた全てが無駄になっても、まだ大丈夫と言ってくれるのか。トリスの言葉には答えず、ただ俯くことしかできなかった。
     それでも彼女は繰り返し言う。大丈夫と。



     その数日後だった。
     派閥から出て行くため、自分が使っていた部屋を整理していたのもとに、トリスが一人の男を連れてきたのだ。

    「やあ、。私たちと一緒に行かないか」

     その男に、は見覚えがあった。
     聖王都にやってきたときに、確かに会っていたのだ。

    「君の力を、力なき人々のために使って欲しい。……自由騎士団の、一員として」

     そう言って騎士の男は――シャムロックは、の手を優しくとった。

    to be continued...





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