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    「お前も飲むか?」
    「馬鹿? ふざけないで」

     蓋の開いた缶ビールを差し出されて呆れ返る。盗みが成功した祝いの酒など、飲むわけがない。クロロは小さく笑いながら、手を引っ込めて自分で口をつけた。

    「どうやってマフィアの目を誤魔化したの?」
    「死体のフェイクだ。コルトピが作った」
    「……! そう」

     上機嫌で競売品を盗ってきたクロロ達は、これまた帰り際に盗んできた酒やつまみを広げてちょっとした宴会を開いていた。これ証拠ね、と言ってシャルナークが半ば強引に見せてきたのは、趣味の悪い死体遺棄現場。それも、クロロやマチ、シズクにフランクリンといった旅団員達のもの。無論彼らはこの場にいるし、幽霊などではない。これが複製なのかと戦慄する。さらに、画像の中にはシャルナーク本人のものも映っていて、彼の神経を疑った。超すごくね? なんて、自分の死体を見ながら嬉々として口にするのだから。
     これほど精巧なコピーなら、一般人や並の念能力者に見破ることはまず不可能だろうなと思う。それはきっと、彼とて同じこと。今頃、絶望に打ちひしがれているだろうか。その背中に、慰めの言葉すらかけてやれないのがとても口惜しい。

    「どうした?」

     幻影旅団全員が揃っているこの場所から逃げられるなんて思わない。それでも、ゴンとキルアに必ずと約束した手前諦めるなど出来るはずもなかった。そして何より、格上の相手に捕まって尚立ち向かおうとするその姿勢に感心した。若いからとか、そういう言葉で片付けられるものでもない。強くて勇ましい彼らに釣り合うように、自身も変わらねばと、そう考えさせられる。

    「……」

     は少し考える素振りをした後、怪訝な顔をするクロロの手元に腕を伸ばし、持っていた缶ビールを奪った。そして男の飲みかけのそれに迷うことなく口をつけると、一気に呷る。その飲みっぷりに呆気に取られる団員達を後目に、彼女は艶やかに笑う。

    「最高に最低な気分だから、飲んで忘れることにする」
    「……それはいいな」

     そうクロロも微笑みを返し、にも酒を与えた。三本目を飲み干した頃、気分が乗ってきてワインで乾杯までした彼女に、心なしかクロロも上機嫌だ。



    「……珍しいね。自分から飲んでるなんて初めて見たよ」
    「俺もだ。俺と居るのが相当なストレスらしい」
    「わかってて、放さないんだもんなぁ」

     酔い潰れ、寝てしまったの髪を手で梳きながら、クロロは当たり前だと言わんばかりに低く笑った。その様子を眺め、シャルナークはひとり小さく息を吐く。

    「嫉妬か? シャル」
    「んー? まあ、ちょっとはね」

     そんな会話を、は微睡む意識の中で聴いていた。

     早朝、団員達は美しい歌声で目覚めた。仮宿である廃屋の3階、鳥籠の中で囀る鳥の鳴き声は相変わらず綺麗で、誰もが耳を傾けた。
     酒が残っているのだろう。以前にも、同様のことがあったから今回もそう思われた。
     ヒソカが賭けに出る、数時間前の出来事だ。

     これで暫くは気づかれないだろう。街に向かって走りながら、は次の行動を必死に考えていた。

     が歌っている最中は、誰も彼女のいる部屋には入らないというのが暗黙の了解であった。例えクロロであっても……いや、クロロなら尚更である。もしも団員の誰かが覗こうとしたものなら、即座に口を閉ざしてしまうのが目に見えているためだ。だからこそは、他の場面では使えないような能力をあえて考案したのだ。

    「……ッ」

     唇から漏れるのは小さな呼吸音のみ。胃が痙りそうなほど痛むのも顧みず、ただ足を動かした。
     彼女は、自身の声をあの場所へ置いてきたのだ。オーラの出ない身体を必死に動かす。

    (言球が留まっていられるのはせいぜい30分程度……それまでに、出来るだけ遠くに逃げないと)

     彼女の新しい能力は、声をオーラの塊に閉じ込めておくというものだった。つまるところ、スピーカーのようなものである。オーラ量をそれなりに消費するため、制約として一定の時間失声状態に加えて強制的に絶の状態になってしまうのだ。絶は気配を断つ手段でもあるため、今はかえって都合が良いとも言えるが、しかしこの状態が続けば逃げる手段を失ってしまう。その前に、確実に彼らと合流しなければならなかった。

     一方で、クラピカと再開を果たしたゴン達は、囚われている仲間の様子について語った。

    「は大丈夫だって言ってた。諦めたわけじゃないって、そう俺達に言ったんだ」
    「……そうか」

     クラピカはため息をひとつ零し、そして競売会場で見た死体を思い出しながら忌々しげに呟いた。

    「だが、彼女を捕らえていた蜘蛛の頭が死んだんだ。私が介入するまでもなく、彼女ならきっと自分で脱出するだろう。私は、仲間の眼を優先するよ」

     彼女もそう言うだろう。ゴンに諦めないと告げた強いなら、きっと。

    「うん……そうだね」

     関わって欲しくないという思いはお互い様だった。クラピカは仲間に、三人はクラピカに、そしても。旅団には関わって欲しくないと、そう願っている。
     だから自分達も手を引こうと、そう考えるに至ったのだ。
     決断した、はずだった。

     ――死体は、フェイク。

     ヒソカからそんなメールが、届くまでは。

    to be continued...





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