翌日の夜になっても、ウボォーギンは戻ってはこなかった。シャルナークは浮かない顔で「ついて行けばよかった」と悔やんでいるようだったが、クロロは至って冷静だ。
「夜明けまでに戻らなければ、予定変更だ」
しかしその翌日も、結局ウボォーギンは戻らない。いよいよ、アジト内の緊張感が増してきた。
「しかし、なんていうか……結局コレ?」
「仕方ないよ。団長も留守なんだもん」
「はぁ」
宝飾品なんて欲しくない。けれど、どんなに取ろうとしても取り払うことなど決してできない首飾りが虚しく光る。
「僕のコピー、円の役割も果たしてるから」
「知ってるよ。だから逃げないって」
シズクとコルトピに挟まれての留守番。今夜はほとんどの連中が出払うから、首輪が必要なのだ。
「もうすぐノブナガ達も帰ってくるって」
マチとノブナガ、パクノダとフィンクスが鎖野郎とやらの情報集めに行っているそうで、朝から姿が見えない。シャルナークも、どこか足のつかない場所を探してパソコンと睨めっこの最中だろう。アジトに残っているヒソカには執行猶予付きのストーカーのようにに対し接近禁止命令が下された。
「……あ、そうだ。これ貸してあげる」
「何?」
「巷で人気のミステリー小説。暇潰しに。団長から借りたんだけど、あたしもう読んだから」
純粋な好意だろう。シズクから差し出された文庫を受け取る気になれなかったのは、気分の問題ではなくて。
「……借りても、読めないよ。そんな長い文章」
言葉は大分流暢にはなったが、難しい読み書きは今も苦手だ。クラピカのように、頭が良いわけでも勉強が好きなわけでもない。
「そっか、ゴメン」
が断ると、シズクは然して気にした様子もなく、本を片手にコルトピと部屋を後にした。一瞬見えたタイトル横に前という文字が見えて、二部か三部構成の作品ということがわかる。そんなものをこんな場所でのんびり読む気にはなれないし、クロロやシズクとミステリーの内容で盛り上がりたいとも思わない。
「……」
そっと吐いた溜息は、金属が擦れる音に掻き消される。手足の枷よりは幾分かマシではあったが、それでもこれは自分から自由を奪う鎖でしかない。
コンクリートで囲まれた部屋に似合わぬ豪奢なベッドの上。廃ビルの窓から空を仰ぐと、茜色の空に烏が飛んで行くのが見えた。
「……んで、その……を」
少し、転寝していたらしい。ふと意識を戻したの耳に、どこか聞き覚えのある声が届いた。怒りを孕んだその声は次第に大きくなり、団員達の集まっているであろう部屋から自分のいる部屋まで響いてきた。
「お前らが殺した人達に、なんで分けてやれなかったんだ!!」
「……!?」
聞き覚えがある、どころではない。今となっては遠い記憶のように感じるその温かな空気の持ち主を、ずっと探していた。
「お前、調子乗りすぎね」
黒ずくめの小柄な男に抑え込まれたゴンを、ヒソカに制止されたキルアは助けに行くことすら許されなかった。このままでは、大切な友達が殺されてしまう。その瞬間。
「……やめて! フェイタン!!」
悲鳴に近い声を上げて現れた女を、キルアは信じられないといった顔で見た。フェイタンと呼ばれた男に押さえつけられて苦しげに身をよじったゴンも、同じく目を見開く。
「……!?」
「な、んで……?」
二人に、自分と旅団の関係についての後ろめたさは無論あったが、今はそれどころではなかった。今にもゴンの腕を折りそうなフェイタンを止める方が先決である。
「その子達に手を出したら、私は今ここで死ぬ」
「……お前、こいつらと知り合いなのか」
フィンクスか若干驚きを浮かべて尋ねると、は言いづらそうに「外に出た時に、ちょっと」と言葉を濁した。ヒソカがキルアの首元にトランプを突きつけているのが見えて、ハンター試験の話題はタブーであると咄嗟に判断したためである。
「止めてやれ、フェイタン。団長のいない今、こいつに死なれちゃ困る」
「……チッ」
舌打ちをしながらゴンから離れるフェイタン。同時にキルアも開放されたが、は二人に近寄ろうとはしなかった。階段上のドアの傍から離れず、事の成り行きを見守る。どうやら、鎖野郎なる人物を探す途中でマチとノブナガをこの少年達が尾行していたので、鎖野郎と何か関係があるのではと考えたようだ。しかし道中でパクノダが探りを入れた結果、潔白だという。ならば帰しても良いのではというシャルナークからの結論に彼女が安堵するのも束の間。ノブナガが、それを却下した。
「ダメだ。こいつらは、帰さない」
「え……っ」
「ボウズ、蜘蛛に入れよ」
ノブナガの言葉に、信じられないと目を瞬くと呆れる団員達。しかしゴンは眉をつりあげ「やだ」とそれを一蹴した。
「お前らの仲間になるくらいなら、死んだ方がましだ!」
それはそうだ。優しくて正義感の強いゴンが、犯罪者集団の仲間になどなるものか。事の成り行きをただ見守っていただったが、不意にキルアと目が合う。気まずさに咄嗟に視線を逸らしてしまったが、それと同時にゴンが彼女を指さし叫ぶ。
「それに、なんでがここにいるんだよ!」
「……!」
触れないでいてほしかった。どうかこのまま、去ってほしかった。けれど、前述の通り彼は正義感が強いから。決して見捨ててはくれないのだろう。
「お前、を愛称で呼ぶほど仲が良いのか?」
「はオレ達の友達だ! 理由はわからないけど、こんなとこにいていいはずない」
ゴンとキルアはが本名ではないことを初めて知ったが、そんなことはどうでもいい。それ以上に、クラピカがあれほど憎み敵視していた幻影旅団という組織に、彼と親しかった彼女が関わっているという事実が、二人の瞳に悲しく映る。一緒に帰ろう。幻影旅団のほぼフルメンバーを前にそう言ってのけるゴンは相変わらず怖いもの知らずで、無言のまま自分の前に壁を作ったシャルナークを越えて彼の手をとることは、には出来なかった。
「私は、行かない。……行けない。ここから出れば、私も君達も殺されてしまうから」
だけど本当は、涙が出そうなくらいに嬉しかった。
「なんで!?」
「……私が残るから、二人は逃がしてあげてよ」
「ねぇ!」
「いいや、帰さねぇ。団長が戻るまでこいつらはここに置いとくぜ」
「ねぇってば!!」
「本気かよ!?」
ゴンの呼びかけを無視してすすめられる会話。も、お前の意見など関係ないというように一蹴され、押し黙る。クロロが首を振らなければそれまでなのだろうが、クロロがゴンとキルアを無事に帰してくれる保証などないではないか。
「まあ、いいけど。そいつらが逃げてもアタシらは知らないよ」
「見張りはお前が一人でやれよ」
これからまた活動をするからとアジトを離れる団員達を後目に、は自身も部屋を後にしようと踵を返す。
「」
「……?」
部屋を出る前、シャルナークに呼び止められて視線を向ける。
「わかってるとは思うけど」
「……逃げないよ。あの子との話、聞いてたでしょ」
外へは出られたとしても、首輪がついている以上は逃げられないのだ。殺されるために逃げ出すなんて馬鹿なことはしない。今は、まだ。
「それよりノブナガを何とかしてほしいね。あの二人は関係ないんだから」
「あはは。それはノブナガに言いなよ。俺にも関係ないから」
笑顔で言い残し、シャルナークは今度こそアジトを出て行った。
後ろで未だに叫んでいるゴンを振り返ることなく、も部屋へ戻る。目が合えば、きっと縋ってしまいそうだから。助けてと、心の叫びをぶつけてしまいそうで、恐ろしかった。彼らを死に向かわせるようなことは、決してしたくないのだ。