目が覚めるともう奴はいなくて、溜息を吐きながらはシワだらけの服に袖を通した。
これは罰だと、クロロは言った。心底憎んでいる相手の腕に抱かれる屈辱を何度も味わって、それでも自ら死を選ぶことができない自分自身に絶望する。しかしクロロは、唇に触れたことは無い。せめてもの義理立てのつもりか、そこに何か意図があるのかはわからないけれど、それだけが救いだった。愛する人の温もりが、唇に残っているから。
「……嫌だな。どんどん、汚れていくみたいで」
自分自身の体を抱いて、はひとり涙した。
「は、置いていくの?」
「今日くらいは一人にしてやるさ。もう逃げる気も起こさんだろう」
満足気なクロロにシャルナークは何か言葉を返そうと開口して、思い直し口を噤む。仕方ないのだ。この男に見初められた彼女の運が悪かった、ただそれだけだ。しかし、他のコレクション達とは違い飼い殺されるしかないには確かに同情する。
クロロから用事を頼まれたパクノダは先にヨークシンへ向かったので、今は自分がクロロと二人きり。シャルナークは何度目かになる溜息を飲み込んで、車のハンドルを強く握った。
「迎えに来たぞ」
「珍しい……なんで?」
ホテルのチェックアウトの時間、身支度を整えるの前に現れたのは、あまり表に出てこない幻影旅団メンバーであった。
「団長命令だ」
「そう。一応気を遣ってはくれてるんだ」
包帯だらけ、口数も少なく得体のしれない人物だと最初は思っていた。しかしいつからだろうか、音楽についての話だけ、会話が続くようになったのは。
「ボノレノフ」
「?」
「どこか行きたい。近くにいいコンサート会場ない?」
話を振られたボノレノフは、少し戸惑う。無論顔には出さないが、こんな風に誘いを受けたのは初めてだからだ。
「俺は人前には出れん。それに時間もない」
「うそ、ちょっと言ってみただけ」
「……」
その沈黙の意味は同情か、それ以外の感情かはわからない。ただ単に、興味も関心もないのかもしれない。それでも、歪んだ愛情を押しつけられて永遠に縛られるよりはずっといい。
「一体クロロは何を企んでいるの?」
「さあな……俺達も詳しい話はまだ聞いていない。そのために、団員を招集している」
「……そう、なんだ」
徒歩でヨークシンに向かう最中。ボノレノフに探りを入れてみたが大した情報は得られなかった。情報を得たところで、彼らに伝える術などないのだけれど。
「オークションがあるからな、恐らくはその中の何かを狙っているのだろうとは思うが」
検討がつかない、と唸るボノレノフ。本当に何も知らされてはいないようだ。
「新しいコレクションを手に入れるなら、私のことなんて忘れてくれないかな」
「無理だろうな。団長のお前への入れ込みようは特別だ」
「はぁ……しんどい」
解ってはいたが、彼らにぼやいたところでどうにもならない。たとえ他の団員たちが自分に関心を持っていなかったとしても、団長であるクロロが諦めない限り、彼らは命令に従い続けるだろう。そこからは決して、逃げられはしないのだ。
「お、じゃねぇか! 久しぶりだなぁオイ。やっぱ捕まっちまったのか? 残念だったなぁ」
「……ウボォーギン、うるさい」
相変わらずの声の大きさに、更に失礼極まりない言葉に眉を顰める。案内された仮宿には既に幾人かの団員が集まっていて、ボノレノフと共に現れたを見て声をかけた。
「当たり前ね。団長が、コイツを手放すはずないね」
「ま、そりゃそうだろうな」
フェイタンの言葉にノブナガが同意して、ウボォーギンは更に声を上げて笑う。こんな風に彼らと対等に話が出来るのも、クロロという存在があるからだ。
「帰ってきたんだ。ヒソカと逃避行したって聞いてたけど」
「元はと言えばシズクがヒソカを見張ってなかったのが原因だろ」
「え? アタシ何もしてないよ」
何もしてないからこうなったのだ。あの時ヒソカを止めていれば、彼はを連れ出すようなことはなかっただろう。しかし、天然なシズクにはそのような意図が伝わるはずもなく、一同はそれ以上の追及は諦めた。
「さて、あとは団長とシャルか?」
「ヒソカも来てねぇぜ」
大仕事とやらのために集められた幻影旅団のメンバー。仕事の話をし始める彼らに、は困惑する。
「ねえ、枷はしないの?」
自由な手足には、以前のような鉛はつけられていない。
「団長の命令だ。仮宿の中では、自由にしていい」
「……」
「理由は、わかるよな?」
次に逃げたら、今度は殺す。二度目はないと、暗にそう言っているのだろう。
こんな狭い世界で、仮初の自由など、なんの意味があるのか。
「しんどい」
泣きたい気持ちを誤魔化すように、ため息混じりに呟いた。