気分転換にと街へ出た夜、初めて一人で酒場という場所を訪れた。以前に一度だけ、ハンター試験の情報集めに立ち寄った憶えがある。その時にクラピカと出会ったのだ。
今回は情報収集ではなく純粋に酒を飲みに来たわけだが、どうにも落ち着かなくてソワソワしてしまう。何にする? 店主からの問いかけに少し悩んだが、メニューを見ずに一番高い酒を注文した。どうせ人の金なのだから、と。
酒は弱くはないと思う。それほど飲んだ経験があるわけではないが、一族ではアルコール等の嗜好品に年齢制限はなかったので、祭りの際には何度か口にすることがあった。
出された酒を一口啜る。別段美味いとも不味いとも思わない。淡々と手酌を続けること小一時間、背後から見知らぬ中年男に声をかけられた。
「おねーぇちゃん」
一人寂しく呑んでいるように映ったのだろう。無精髭を生やした黒髪の男は断りもなくの隣の席に座り、肩に手まで回してきた。一人寂しくというのはあながち間違いではないのだが、それでも知らない誰かと楽しく飲める心境でもない。
「一人なら、ご一緒しない?」
「……いえ、お構いなく」
やんわりと断ったが、既に出来上がっている男には届いていないようだ。更に突き放すような態度で接してもヘラヘラと笑って話を続ける男に、さてどうしたものかと悩んでいると、今度は若い男の声がした。
「……やっと、見つけたぞ!!」
「ぐえっ」
焦りと呆れを孕んだその声の主は、酔っ払い男の首根っこを掴んでから引き剥がした。
「すまない。連れがとんだ無礼を……」
「あ、いえ……」
お礼を言おうと振り返りその人の顔を見た瞬間、目を瞬く。よく知った顔だったからだ。
「……クラピカ?」
「っ!? ……君だったのか」
クラピカが驚きの声を上げた下で、彼に捕まった男は楽しそうに笑う。
「おお、クラピカ。お前の知り合いだったのか。じゃあお前も一緒に飲――」
「飲まん! お前はさっさと帰って来い。修行の続きだ!」
「ケチケチすんなって」
修行。その言葉を耳にして、はへべれけ状態の男を見た。ただのだらしない中年にしか見えなかったが、よく見ればオーラをまとっている。なるほど、これがクラピカの師匠なのか、と。
「仲良いね。やっぱりそういう人と気が合うのかな?」
「どこがだっ! 私がどれだけこいつに苦労させられているか……」
「何となく想像つくけど……レオリオに似てる、から」
きっと自覚がないだけで、惹かれ合うのだろう。クラピカも小言が多いが世話焼きなタイプなので、それなりに上手くやっているのだと思う。それを告げると機嫌を損ねてしまいそうなので、口にはしないけれど。
「とにかく元気そうで安心したよ」
「それはこちらの台詞だ。もう、会うことは無いと思っていたのにな」
そう呟いたクラピカの瞳は、どこか遠くを見ているようだった。彼は、別れた時のことを思い返していた。あの時はこう言った、自分は蜘蛛から逃げると。自由を手に入れるために、逃げながら、戦う決意を示したのだ。そんな彼女がここにいるということは、試験の後で蜘蛛からの追撃は受けなかったということなのだろう。少しの安堵を顔に浮かべたクラピカに、は言いにくそうに口を開いた。
「私ね、クラピカ」
「?」
「……ううん、やっぱり何でもない」
口を開いて、やめた。
私もヨークシンに行くよ。また貴方に、ゴンやみんなに会いたいから、奴らと戦うよ。
そう言いたかったけれど、その決意を誰かに話すには荷が勝ちすぎて、直前で折れてしまいそうで。もっと自信をつけなければ、覚悟を形にしなければ意味はないと思われた。
「偶然でも、今日ここで会えてよかったよ」
「私もだ。だが、酒もほどほどにしておくんだな」
最後にすまなかったとだけ言い残し、クラピカは酔っ払いの師を担ぐと酒場を後にした。その後姿を見つめながら、
「またね」
小さく呟いた。
きっとまた会える。会いたい、そう強く願って。寂しさを紛らわせるために入った酒場で、まさか想い人に会えるなんて、自分は何て幸運なのだろう。普段は全く信じていない神に感謝までしてしまうのは、酔っている証拠だ。今夜はぐっすり眠って、明日からの修行も頑張れそうだ。
は上機嫌で勘定を払い、酒場を出た。
「風が気持ちいい」
ほろ酔いで火照った体に夜風が気持ちいい。車通りもなく舗装された道路をゆったりと歩きながら、つい、故郷の歌を口ずさむ。何も考えず、想いのままに歌うなんて、そんなのは何年ぶりだろう。
楽しい。本物の鳥になれたみたいだ。
開放的になったは、気づかなかった。背後から迫りくる、闇に。
「随分機嫌がいいな」
「……っ!」
闇に紛れ、男は立っていた。二人のお供を連れて。
「迎えに来た日にお前の歌が聞けるなんて、俺はとても運がいいな」
「クロロ……」
まさかこんな日に、やってくるなんて。いや、むしろ自分は運がいいのだ。今日、捕らえられる前に、彼に再会できたことは。
「何か、言うことはあるか?」
「……ないよ」
時間が、足りなかった。新しい能力はいくつか生み出したが、いきなり幻影旅団相手に実戦で使えるほど高精度ではない。今ここで逃げたところで、一瞬にして気絶させられて囚われるだけだ。なら、最初から無駄な抵抗はしない。抵抗しなければ、殺されることもないだろうから、そのうち機会は巡ってくるだろう。例え一生飼い殺されても、生きることを諦めないと決めたから。
「死に切れなかったのは、私の意志が弱かったせい。いいよ、また籠の中に戻ってあげる」
「殊勝な心掛けだな。いいだろう、枷はまだ、つけないでいてやる」
「今日は随分と優しいんだね」
「お前の歌が聞けたからな」
用意された車に乗り込んで、窓の外を見つめる。街から外れた明かり一つない道を通っているので、暗闇ばかりでつまらない。これからもう、光の下を歩くことはないのだろう。
「あ、ねぇ。そういえば俺の金は?」
「ないよ、使った。あれはヒソカにもらったものだから」
「げぇ」
運転席のシャルナークがミラー越しに蒼くなるのが見えてほくそ笑む。ささやかな復讐には成功したようだ。