「うん、そう、逃げられちゃったよ。油断してた。え、団長それ本気? ……いいの? 俺知らないよ」
問題ない。電話口でクロロはそう言って通話を終了した。シャルナークは無声になった携帯電話を口元に当て、やれやれと笑う。
シャルナークからかかってきた電話の内容は、思った通り。迎えに行ったはずのリセリアを逃してしまったというものだった。報告を受けたクロロは全く動じておらず、読み終えてから迎えに行くと言っていた本を閉じてから二冊目の新刊を手に取り笑みを浮かべる。
「シャル、なんだって?」
「油断していて鳥を逃がしたそうだ」
「そう。やっぱりね」
興味なさそうに待機中のマチが呟く。
「ま、アタシはどうでもいいんだけど」
「ふ……だろうな」
シャルナークも然して本気ではないのだろう。奴の情報力なら、そう簡単に逃すはずもない。わざと逃げ道を残し、追い詰めて、そうしてじわじわと逃げ場がなくなるのを待っているのだ。糸を張り巡らせて獲物を待つ、蜘蛛のように。
「……ところで」
「?」
「団員には全員に話が通っているのか?」
一息つくと、クロロは思い出したように尋ねた。
「大体はね。あとはヒソカのやつだけだけど……」
マチの唇から大きなため息が溢れる。心底面倒そうな表情に、言伝を頼んだクロロも流石に苦笑する。
「ヒソカは今どこに?」
「天空闘技場。一応あいつからも依頼されてるから、行ってくるよ」
「頼んだぞ」
団長であるクロロの頼みなら、マチが断るはずもない。嫌いなヒソカからの呼び出しも、逃げた鳥の捜索も。
「早くお前の声が聞きたいな。」
焦がれている。その声が歌を紡がなくても。自分に向けられる言葉が、憎悪にまみれたものであっても。クロロは歪んだ愛で彼女を包んでいたいのだ。
「なんだろ……寒気がする」
今日は早めに休もう。そう決めて、はオーラを鎮める。
深呼吸をひとつして、ベッドに倒れ込んだ。ごろりと寝返りを打って天井を仰ぐ。
「みんな今頃何してるのかなー……レオリオは医者の勉強、ゴンとキルアは特訓で……クラピカは仕事探し、かな?」
彼らと別れてからまだひと月ほどしか経っていないが、もうずっと前のことのような気がしている。それほどに、ハンター試験での出来事は濃密すぎた。
レオリオ、脱線しなきゃいいけど。
ゴンもキルアも、大きな怪我していないといいな。
クラピカが、良い雇い主に出会えますように。
四人の無事を祈りながら、は同時に蜘蛛の動きも気になっていた。泳がされているのは、わかっている。しかしだからこそ、自分に時間を与えたことを後悔させてやりたい。せめて一矢報いたいと、そんな風に考えていた自身に気づいて苦笑する。今までとは正反対の自分の思考に。
「明日は買い物でも行こうかな……」
やりたいこと、諦めていたこと。そんなのがありすぎて消化しきれないでいる。蜘蛛から逃れることができれば、もう何にも縛られずに生きていけるのだろうか。普通に働いて、自分で必要なものを買って、誰かと出会い恋をして。それが人並みの幸せと言うのだろう。蜘蛛とのことがなくても、女系一族のセルミアで恋愛などにうつつを抜かす者はクレイジーのレッテルを貼られる。皮肉にも村の外に出たことで、しがらみから解放されたとも言える。
馬鹿馬鹿しい。今は幻影旅団も一族も、どうでもいい。
「クラピカに、会いたい」
ただただ、そう想う。