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     膝を抱えて、は小川の前で蹲っていた。絶対にクラピカを傷つけた。彼が踏み込めないのをわかっていて、拒んだのだ。嫌われてしまっただろうか。このまま試験に落ちて、行く宛てなんかなくて蜘蛛に捕まって、そうすればもう二度と彼らには会えないだろう。復讐に全てを捧げるクラピカであっても、あの連中には敵うはずがない。自分が次に会うとしたら、彼の亡骸かもしれないのだ。思考がどんどんマイナスに傾いて、夜風の冷たさと相まって身体が震えた。

    「……?」
    「!」

     暗闇の中、名前を呼ばれて振り返る。そこに立っていたのは四次試験開始以来会っていなかったゴンだった。

    「、こんなところでどうしたの? ……泣いて、るの?」
    「ゴン……」

     ゴンは眉を潜めると、に近づき、彼女の膝の上に置かれた手に自分のを重ねた。
     気遣うような声と、手に感じる優しい温もりに、は涙を止めることが出来ず、小さな身体に縋るように抱きついた。

    「ご、んッ」
    「……うん。大丈夫だよ、俺、ここにいるから」

     ゴンはまるで赤子をあやすようにぽんぽんとの背を叩く。どちらが子供かわからないなどと茶化す者はこの場にはいない。ゴンの持つ温かな空気に、はようやく落ち着きを取り戻した。何があったの? ゴンが尋ねると、は事の顛末を掻い摘んで話した。自分のターゲットがクラピカであったこと、それを本人に知られて暴言を吐いてしまったこと、もう自分は試験を諦めること。

    「そっか……のターゲット、クラピカだったんだ」
    「うん……」

     ぎゅっと強く拳を握るに、ゴンもまた信じられない発言をした。

    「俺のターゲット、ヒソカだったんだ」
    「え……!?」

     隙を突いて一度はプレートを奪ったが、他の受験生にやられてしまったこと。その受験生はヒソカが倒したが、取り返したプレートを貸しだと言って置いていったこと。

    「……じゃあ、その頬の腫れはヒソカに?」
    「うん、そう。俺、悔しくって、どうしていいかわかんなくなって。……誰かの力になりたくて」

     レオリオ達を探してたんだ、とゴンは言った。その途中でを見つけて、そのただならぬ雰囲気に彼は足を止めたのだった。

    「じゃあ、私達は似ているね」
    「そう、だね」
    「……だけど、ゴンは私と違って、強いね」

     ゴンには、悔しさをバネにして、前に進める強さがある。全てを諦めてしまっている自分とは絶対的な違いが、そこにはあった。

    「違わないよ。だって、諦めなければいいんだよ」
    「……無理だよ、そんなの」

     蜘蛛に追われて、ヒソカに良いように遊ばれて、大切な仲間を傷つけて。
     抱えた膝に顔を埋め、これ以上涙を見せないように啜り泣くに、ゴンは声を上げた。

    「クラピカはそんなことで怒ったりしないよ! それに俺、と一緒に試験に受かりたいんだ。だから絶対、最後まで諦めちゃ駄目だよ」
    「……」

     自分も苦しいはずなのに、彼は自分を励まそうとしてくれる。そのことが嬉しくて、ふとクラピカの顔を思い浮かべる。このまま別れるのは、あまりに悲しい。

    「ゴンの、言う通りかもしれない……私、少し悲観的になりすぎてた」
    「うん」
    「クラピカとレオリオに、伝えてくれる? 二日後に会おうって」

     立ち上がり、伸びをするにゴンは驚きの声を発した。

    「え、一緒に行かないの? 俺、のことも手伝うよ!」
    「大丈夫、一人で頑張ってみるよ。ゴンは、レオリオを手伝ってあげて」

     ゴンにそれだけ伝えると、は暗い森の中へと進んだ。
     彼に頼んだ伝言は、の決意を表すものだった。合格して、彼に伝えなくてはならない言葉があるから。



    「……よし」

     空が薄ら明るくなってきた頃、は行動を開始した。今頃ゴンは二人と合流しただろうか。彼の温かな言葉を思い出して、歩く足に力が入る。

    「ん?」

     草むらの陰に何か光るものを見た。近づいてよく見れば、それは誰かのナンバープレートで、目を疑った。誰かが木に隠して、それが何かの弾みで落ちてきたのだろうか? しかし、あまり考え難い現実に、深く考えるのは止めた。天からの贈り物だと、思うようにして。
     四次試験まで残っていた受験生の人数を考えれば、ヒソカのようにターゲット以外から集める者も少なくはないだろう。そうなればプレートを所持している人物は限られてくる。ゴンやクラピカ、レオリオ、それにキルアからは奪えない。ヒソカやイルミは尚のこと論外だ。そうなるとかなり確率は低くなってくるし、今日まで残っている受験生は皆がそれなりの手練れと言えるだろう。しかし、諦めないとゴンに言ったのだ。プレートを所持している受験生を見つけて、二点分を奪う。即ち、既に六点分溜めた者であれば良い。本人とターゲットのものであれ、一点分が二枚でも、にはどちらにせよ二枚のプレートが必要なのだ。

    「……スタート地点に、行ってみよう」

     明日までプレートを守りきれば合格。そういったルールの中、プレートを集め終えた者なら少しでもゴールに近いところに居たいと思うのが人間の心理というものだ。森の奥に向いていた足をくるりと回転させて、はスタート地点を目指した。
     しばらく歩くものの、一向に人の気配はない。やはりここまでなのか、と考えが暗いほうへ傾きかけた時。

    「うお!?」
    「え……!?」

     木の上から、人が降ってきたのである。その人物はどうやら他の受験生からプレートを奪った帰りであったらしく、一枚のプレートを手にしていた。
     はその人物に覚えがあった。

    「あ、スシの人……」
    「お、お前、クモワシの!」

     お互いにその覚え方はどうかと思ったが、印象的な場面であったので顔を覚えるのにはそれで十分だった。忍者のハンゾー、と男は言う。一応はも名乗り、彼女は普段はあまり使う事のないナイフを構えた。旅団から逃げた際に、ヒソカに置き去りにされた町で適当に買ったものだったが、今はそれでも十分だった。自分には、念がある。

    「……お前、俺とやるつもりなのか」
    「諦めないって、言ったからね……貴方が強いのはわかるけど、私だって引けない」

     ハンゾーはふっと笑みを浮かべて、装束に隠した暗器を取り出した。
     動き出したのは、果たしてどちらが先だったか。

    「……っ!!」
    「はあっ!?」

     ナイフをハンゾーに向けて放ったは、それと同時にハンゾーに向かって走り出した。本来であれば女になど負けるはずは無いと思っていたハンゾーだが、彼は念を使えない。
     一瞬のことで反応が遅れたハンゾーは、飛び道具を捨てて忍刀を取り出し接近戦に切り替えた。しかし、は今し方ハンゾーの注意を反らすために投げたナイフ以外には武器を所持していなかった。だが、の本来の武器はそれではないことを、ハンゾーも知っていた。警戒はしていたが、注意だけでは防ぎ切れないそれは、彼女自身の声である。
     二次試験の時に聴いたような歌ではなく、伸びやかなファルセット。脳にまで響いてくる音にハンゾーが顔を顰める。その瞬間屈んだは彼の足を引っ掛けてバランスを崩させると、そのまま組み敷いた。

    「っ、お前、只者じゃねぇな」
    「……ニンジャでは、ないけどね」
    「悪くない体勢だが、俺も落ちるわけにはいかねぇんだよなぁ」

     の下敷きになりながら、ハンゾーは苦笑を浮かべる。とて勿論ハンゾーが嫌いなわけでは無かったが、それでもゴンと約束したのだ。この試験に、合格すると。
     が持つ念能力は人間には効果のないものだったが、彼女が持つ"セルミアの民"の力は、念とはまた違った力を秘めている。大昔の祖先が船乗りごと船を難破させたように、彼の歌声は聴くものを惑わせる。

    「もっと、聴きたい?」
    「コンサートは他でやってくれ」

     ハンゾーが呆れながらそう言い、瞬間、の隙を見つけて隠し持ったナイフを突き出した。

    「っ!」

     慌ててそれを避け、距離をとる。その時、彼女の荷袋からあぶれたプレートが飛び出す。よりも先にしたり顔でそれを拾い上げたハンゾーが、動きを止めた。

    「……あ?」
    「?」

     その番号は、先ほどが拾った197だった。

    「これは、俺のターゲットじゃねぇか!」

     なんだよ、戦う必要ねーじゃんか。そう一人呟くハンゾーの思考に、はついていけずに戸惑う。彼女に解るのは、ようやく手に入れた自分の一点が奪われたということだけ。

    「プレート、返して」
    「ああ。やるよ、三点分」
    「……え?」

     ハンゾーが言うには、こうだ。
     自分はこの197がターゲットだったが、手違いで一番違いの番号を手にしてしまった。その為、あと二点分のプレートを集めなければならなくなったのだが、がハンゾーのターゲットを持っていたことで、彼にしてみればそれだけで三点分になるのだ。今し方集めてきた三点分が、無くても。

    「だから、こっちはお前にやる」
    「い、いいの?」
    「あ? いらねぇのか?」
    「いるよ! 欲しい、けど……」

     今正に戦っていた相手に、情けをかけるなんて。ハンター試験において自分達は競争相手でしかないのに、それでいいのだろうか。そう思ったが、ハンゾーは賞賛の眼差しをへと向けた。

    「忍者ってのは義理人情を重んじるもんだ。さっきは俺の方が劣勢だったしな。お前のその目は悪くなかったぜ」

     それに、二次試験の借りもあるしな、とハンゾーは言った。あの時クモワシに狙われていた受験生達は、図らずも彼女の歌声に救われていたことは紛れも無い事実なのだ。
     ハンゾーが投げて寄越した三枚のプレートを全て受け止めて、は手にしたプレートに視線を落としてからもう一度顔を上げた。しかしハンゾーの居た場所を見ても、彼の姿はもうそこには無かった。

    「結果オーライ、なのかな……」

     彼に認められたと言う事実を受け止め、それを実力だと思うようにして、はスタート地点――船着場へと向かうのだった。

    to be continued...





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