天女の羽衣は、空を飛べるらしい。昔聞いた御伽噺にそんな神の道具が出てきた。もしもそれが実在していて、手に入れることが出来たなら。翼を失った私でも、飛べるのだろうか。何も考えず、鳥や獣のように、自由に生きられるだろうか。
「?」
「……クラピカ」
「無事だったのだな。もうプレートは手に入れたのか?」
今、一番会いたくない人に出会ってしまって、なるだけ不自然に思われないように答えた。
「ううん、まだだよ。クラピカは?」
「私は手に入れたが、レオリオがまだだ。今はレオリオと同盟を組んでいるのだがも一緒にどうだ?」
その好意が、今はとても苦しい。私のターゲットが自分だなんてまるで疑っていないよう。思慮深い彼が、そこまで私を案じてくれる。嬉しく思わないはずがないけれど、やはり考えなしにクラピカについていくのは憚られる。
「いや、いいよ。私は自分で何とかするし、レオリオのこと助けてあげなよ」
「しかし、」
「……クラピカ」
強い口調でその名を呼べば、彼はようやく「わかった、気をつけるのだぞ」と言葉を残して去って行った。うん、私はずっとこの場所にいるよ。君達が合格できるよう、祈りながら。
「……」
孤島に広がる緑。故郷の森を重ねて、歌を紡ぐ。それは祈りの歌。本来は離れた同朋に向けて無事を願ったり、死者への手向けとして歌われるが、今は仲間のために。こんな私を仲間と呼んでくれた、彼らが合格出来ますように。
歌が終わると、静かな森に戻る。茂みから動物が顔を覗かせ、去ってゆく。こんなひらけた場所にいては流石に狙い撃ちにされそうなので、少しだけ移動しようと生い茂る森の中を進んだ。
「……うん、いやいいよ。適当に三人狩るから」
そんなに遠くない場所から、覚えのある声が聞こえてきた。相手の声は聞こえないから、恐らくは電話だろう。声の主が解れば、自ずと電話の相手も予想がつく。イルミとヒソカだ。
「……離れよう」
適当に三人狩る。聞こえてきたその言葉に背筋が凍った。いよいよ、見つかれば自分も殺されるかも知れない。いや、もとより死ぬつもりで臨んだ試験なのだから生きるも死ぬも関係ない。しかし、死ぬならせめて彼らの合格くらいは見届けたいと思った。ヒソカの目の届くところに、どうかクラピカ達が居ませんように。けれど、私の願いを叶えてくれたことなどない神は、いつだって私を苦しめる。とことん、私は神様に嫌われているらしい。
日が暮れて、辺りは真っ暗な闇に包まれる。闇の中での移動はあまり宜しくはないが、それでも少しでもヒソカから離れたくて、手探りで森の中を進む。すると、木の陰から数十メートル先。クラピカとレオリオの姿が見えて、血の気が引いていく。このまま進めばきっとヒソカに見つかる。逃げるように伝えねばと足を進めたが、
「やあ」
「……ヒソカ!?」
既にヒソカは、二人の前に立ちはだかっていた。
「実は、二点分のプレートが欲しいんだ。君達のプレートをくれないか?」
戦いになれば、彼らがヒソカに敵うはずがない。いっそ出て行って、自分のプレートを渡そうか。それとも命を賭してヒソカに不意打ちでの一撃を食らわせられたら、それも良いかも知れない。しかし、クラピカはヒソカを前にしても一切怯まず、逆に条件を持ちかける。ターゲット以外の番号を所持しているため、その一点分のみであれば譲っても良いと。
「他のプレートはやれない。もしも力ずくでと言うのなら……今度は相手になろう」
「くくく……ちなみにキミの番号は?」
「404番」
それも違う、とヒソカは言った。それはそうだろう。その番号は、私の引いた紙に記されている。
「いいだろう、交渉成立。当たりかもしれないし、残りの一枚だけでいい」
好戦的なヒソカにしては珍しく、あっさりとその条件を承諾した。樹の幹にプレートを隠したクラピカとレオリオは、ヒソカを警戒しながら森の奥に姿を消した。その様を見て、安堵する。流石はクラピカだ。
「青い果実っていうのは、どうしてああも美味しそうなんだろうねェ……」
そう呟きながら、プレートを確認したヒソカはハズレだと言った。そして次の瞬間、辺りを覆いつくしそうなほどの殺気が放たれる。
「……ッ!!」
今までの比じゃないほど、ヒソカの放つ殺気が恐ろしいと感じた。周囲に潜んでいた小動物たちと一緒に、私は一目散にその場から逃げ出した。怖い、怖い、怖い。自分に向けられたものでなくても、彼の狂気は恐ろしい。その時、咄嗟に思ってしまったのだ。死ぬのが怖い、と。
「……、ふ」
暗闇でもつれる足を叱咤しながら、走り続ける。溢れる涙を止める術がわからなかった。強くなりたくて、一人で生きていける力を得たいと思ったのに。結局自分はこの程度でしかなくて、蜘蛛の存在に怯えて暮らすしかできなくて。悔しい、とても。
再びヒソカに会ったのは、それから翌々日のことだった。
「やあ、まだプレートは手に入っていないのかい?」
「……ヒソカには関係ない。放っておいてと言った」
あの狂気が嘘のように、ヒソカは笑顔で近づいてきた。一昨日のヒソカを思い出して恐怖に後ずさりをしたが、ヒソカは不思議そうに「どうして逃げるんだい」と首を傾げた。
「ヒソカから逃げない理由の方がない……」
「それもそっか。そういえばボク、旅団から逃がしてあげたお礼をまだ貰ってないんだけど」
「慈善事業なんじゃなかったの」
礼を払う必要はない。そう言ってやれば、ヒソカはそうだったね、と言いつつも更に距離を縮めてきた。
「ボクは最初からキミに興味があったんだ。それは前にも言ったっけ? とにかくキミのことはまだ殺さないから安心しなよ」
「……」
ヒソカの気まぐれは、本当にわからない。それなのに無警戒に安心などできるわけがない。一歩後退すればヒソカが二歩の距離を詰めてくる。逃げ出したいのに、蛇に睨まれたカエルのように足がすくんで動けない。とうとう目の前にヒソカが迫って、背の高い彼を見上げる形になった。
「クロロもいない今なら……キミを味見してもバレない、だろう?」
「は……?」
顎を掴まれて、ヒソカの顔が、近づく。この奇術師の行動は、本当に先が読めなくて困る。ヒソカの影が差す脳裏で、他人事のようにそんなことを考えた。