06




    「……!?」

     狂気を孕んだ自称奇術師を前に刀を構えたクラピカは、その背後で立ち尽くしている仲間を見て目を見開いた。

    「……どうして、こんなことを?」
    「暇だからさ」

     震える唇でようやく発した問いかけに、ヒソカは何てことない風に答えた。彼にとってこれは、単なる遊びでしかない。
     足元で動かない元受験生たちを一瞥すると、ヒソカは目の前の三人の受験生を見た。

    「残りは君たち三人だけだね」
    「ヒソカ!」

     彼の行動を止めようと手を伸ばしたが、ヒソカは逆にの腕を掴んで冷たい視線を向ける。

    「キミにボクを殺せるかい? ……殺せないだろう。だからキミは、ずっと囚われていたんだ」

     ヒソカが耳元で呟いた言葉に、ひやりと背筋が凍った。

    「誰から遊ぼうか?」
    「人質取っといて何が遊ぶだ! てめぇふざけんな!」
    「いやだなあ、彼は見物人さ。僕が招待したんだ」

     見捨てては行けないと声を荒げたレオリオに、ヒソカはやれやれと手を上に上げた。その証拠にから距離を取って見せる。今なら逃げられるかもしれない。本気でそんなこと思っているわけではないけれど、はクラピカへとアイコンタクトを図る。大丈夫だから逃げて、と。レオリオとクラピカの間にいる体格の良いもう一人の受験生が合図を出し、走り出す三人。

    「なるほど、好判断だ。ご褒美に十秒待ってやるよ」

     でも、残念。キミは見捨てられちゃったね。
     楽しそうに口にするヒソカに、は「そうでもないよ」と答えた。

    「だって、別に仲間じゃないからね」
    「……ふうん?」

     目を細めて、どこか見透かしたように笑みを浮かべたが、それもどうでも良いことのようにヒソカは数を口にする。無防備なその背中に、今なら掠り傷くらいつけられるだろうか。否、いくら背面からナイフを刺そうとしたところで、殺気立ったヒソカにはきっと簡単に捕まってしまうだろうという考えに至って止めた。
     クロロの元から逃げたくらいじゃ、自由になどなれないのは知っていた。だけど、いつまでもヒソカの玩具になってやるつもりもない。真剣に目標に向って試験を受けているクラピカやレオリオの邪魔をこれ以上するようなら、自分だって黙ってはいられない。ただ宛もなく試験に参加した自分と彼らは違うのだ。どうせいずれはは死ぬつもりなのだから、ここで命を使うのも悪くはない。拙いながらに能力を使えば、まあ二人が逃げられる時間くらいは稼いでやれるだろう。
     十秒経って、三人を探そうとヒソカが足を動かしたとき。また、それと同時にが懐のナイフを掴んだとき。霧の向こうに影が見えて、は目を見開いた。

    「悲しいこと言うんじゃねーよ、よぉ」
    「レオリオ……?」
    「確かに出会って日は浅いが、もう立派な仲間じゃねーか。俺はそんなやつを見捨てられるほど……薄情じゃねぇんだよッ!!」

     森の中で拾った棒切れでヒソカに挑むなんて無謀すぎる。レオリオの一撃をあっさりとかわしたヒソカは、一瞬にして彼の背後に回り手を伸ばす。

    「だめ……っ」

     殺さないで。
     がそう叫ぼうとした直前に、それはヒソカの顔面に見事命中した。

    「……!」

     釣竿だった。驚いてが釣糸の先を視線で辿れば、そこには集団の先頭を走っていたはずのゴンが立っていた。

    「ゴン……」

     優れた五感を持つゴンは、仲間の窮地に迷うことなく駆けつけたのだ。優しく強い少年だと、つくづく思う。

    「釣竿? 面白い武器だね。ちょっと見せてよ――」

     ヒソカがゴンに興味を示す。いくらゴンでも、ヒソカに敵うはずがない。ゴンに近づこうとするヒソカの背後で棒を振り翳したレオリオは、逆にヒソカに頬を殴られて気を失ってしまった。
     もう一度、釣竿を振ったゴンだったが、不意打ちでないならヒソカがやられるわけがない。釣竿をかわしたヒソカが、音も無くゴンの首を掴む。その間は、声も出せずにただ事の成り行きを見守るしか出来なかった。

     能力を使う? いやでも、ヒソカに殺気は感じられない。

     悩むに気づいてか気づかずにか、ヒソカはゴンの顔をじっと見つめると、にっこりと微笑んだ。
     レオリオもゴンも、合格だから殺さない、という。その基準はとか、彼らをどうするつもりだとか、そんな言葉をかける間もない。ヒソカはレオリオを担ぐと、ゴンに一人で戻れるかと尋ねた。わずかに震えながら頷いたゴンに満足そうな笑みを浮かべたヒソカは、今度はへ問いかける。

    「で、キミはどうするんだい?」
    「……何それ。勝手に連れてきて、そういうこと言う?」
    「だって、結局あのまま走っていたらキミも他の受験生と一緒に食われていたよ」
    「……」

     別に、食われる心配はしていなかった。自分の能力を以てすれば、自然界の動植物など敵ではないのだ。
     しかし、集団とはぐれることで進むべき道がわからなくなれば、不合格は必至だった。とどのつまり、がヒソカに助けられたことには変わりないのだ。

    「ボク、少しキミと話がしたいんだけどな」
    「……レオリオが心配だから、着いていく……それだけ」

     ゴンに目配せをして、ヒソカと一緒に行くことを行動で示す。助けたということは、きっとまだ、ヒソカは自分を殺そうとは思っていないはずだから。
     一人残されたゴンの元に、クラピカが戻ってきた。

    「ゴン、大丈夫か!」
    「……クラピカ。どうしよう、とレオリオ連れて行かれちゃった」
    「……レオリオはともかく、はヒソカと知り合いのようだった。殺される心配は、恐らくないだろう」

     とにかく自分たちも二次試験会場へ向わねばと、二人はヒソカたちからやや遅れてゴンの鼻を頼りに向うのだった。



    「本当に来るとは思っていなかったから驚いたよ」
    「嘘ばっかり。全部仕組んでいたことなんでしょう」
    「うん、まあね」

     やはり、とは隣のペテン師に嘆息する。
     レオリオを肩に担いだヒソカは、「キミもどうだい」とに問いかけたが、ヒソカに担がれて試験会場へ行くなど、考えるだけで死ぬほど恥ずかしかったので全力で拒否した。しかしヒソカの足は常人の何倍も速いので、が追いつけるわけもない。そこで彼女は、手ごろな野生動物を見つけてその背に跨ることでヒソカのスピードに着いて行くことができた。ウサギのようなダチョウのようなライオンのような、何とも形容しがたい姿をした生物。そんな珍獣の一頭を連れているからか、おかげでが襲われることはない。時折、先頭を行くヒソカに飛び掛っては返り討ちに遭う動物が可哀想に思えた。

    「それで、。キミは――」
    「名前で呼ばないで」

     。コレクションを愛でる時と同じような眼差しで名前を口にされた瞬間から、その名は捨てた。
     。大切な人達が親しみを込めて呼んだその名前だけあれば、それで良い。

    「キミはハンターを志してどうするんだい?」
    「……相変わらず変なことを聞くね。私にここを目指すように言ったのは誰?」
    「さあ、誰だったかな」

     とぼけてみせるヒソカに溜息をこぼす。
     前に少し話をした時、女性団員であるマチが「ヒソカは強ければ老若男女問わず興奮する変態」というようなことを言っていたので、弱い自分は興味の対象外だとばかり思っていたのだが、それは間違いだったらしい。

    「どうして私を逃がしたりしたの」
    「キミはあの団長が初めて傍に置くと決めた生きたコレクションだからさ、興味があったんだ。どうすればあの堅物を骨抜きにできるのか教えてくれないか?」
    「……さあね。どうしたら関心をなくしてもらえるのか、私の方が聞きたいくらいだけれど」
    「手厳しいねェ」

     そうだ、とヒソカが嬉しそうな声を上げる。

    「じゃあ、キミがボクのモノになってくれる?」
    「は?」
    「クロロがボクと遊んでくれないんだ。キミがボクの手にあれば、きっと乗ってくれると思うんだけど」
    「……貴方がクロロを殺せば考える」
    「うーん、それって悪循環」

     つまりは、永遠に無理なのだ。
     ヒソカがクロロに戦いを挑むのも、
     がクロロから解放されるのも、
     クロロが誰かに殺されることだって、想像もつかない。

    「大丈夫でしょ。私が試験中に死ねば、怒られるのはヒソカだから。きっとクロロから挑まれるよ」
    「うーん、それはどうだろうね。その前に他のメンバーに集中攻撃に遭う気がするけど」

     でも、それもいいかななどと呟くヒソカに、は冷ややかな視線を送った。やはり、こいつは変態だと。

    「あ、見えてきたよ」
    「うん。……ありがとう、もういいよ」

     目的地に着いたので動物から降り、かけた術を解くと、彼は慌てて森の奥に帰っていった。自分の力では勝てないと判断したのだろう。

    「それじゃあ、彼はこの辺に置いとくから。よいしょっと。……手間を焼かせるなぁ」
    「……自分が気絶させたんだから当然でしょう」

     自分勝手な言い分を並べるヒソカに呆れつつ、離れていくピエロの背中を見送った。
     相変わらず、考えが読めない。

    「……」

     目を覚まさないレオリオの傍に寄り添って、は腫れ上がった彼の頬にそっと手をあてた。

    『もう立派な仲間じゃねーか』

     軽薄な見た目に反して情に厚いレオリオの言葉は、確かに彼女の心に響いていた。

    「ありがとね」

    to be continued...





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