とても濃い数日間はあっという間に過ぎた。
船の船長に言われるままのルートを目指したり、路地裏の老婆にクイズを仕掛けられたり魔獣の演技に引っかかったりしながら、四人はキリコの案内の元、無事にハンター試験会場へと辿り着くことに成功したのだった。
地下へと降りていくエレベーターの中で、ゴンは暢気な声を上げる。
「どんな試験なんだろう。ね、!」
「……うん」
クラピカ以外とはあまり喋らないに対して、多少の不信感は抱きつつもレオリオは何も言わずにいた。
試験会場に近づくにつれて、の心は憂鬱になっていく。すっかり失念していたのだが、会場には恐らく奴がいるのだ。
ヒソカ。
自分を鳥籠から逃がした上に、ハンター試験という逃げ道を示した張本人。明らかに面白がっているとしても、その道を辿るしかできない自分にも嫌気が差す。
だから、あまり自分の存在を主張するような言動は控えなければならなかった。二人旅の時とは打って変わって急に物静かになったにクラピカすらも一度は困惑したが、何か理由があるのだろうとあえて詮索はしなかった。
「着いた、みたいだな」
エレベーター特有の浮遊感が無くなって、自動扉が開く。足を踏み入れてまず驚いたのは、その人数だった。
「一体何人くらいいるんだろうね?」
「君たちで406人目だよ」
ゴンの質問に答えたのは、背の低い中年の男だった。
「俺はトンパ、よろしく」
薄っぺらい笑顔の裏に、何を隠しているのかはわからない。しかし、下手な作り笑いだとは思った。トンパはゴンの質問に答え、常連受験者を軽く紹介した。その中には当然ヒソカも居て、は慌てて帽子を深く被りなおし、不審に思われないように自然を装って背の高いレオリオの背後に身を隠した。
「おっとそうだ」
お近づきのしるしに、とトンパが取り出したのは缶ジュース。要らないとつき返そうかと思ったが、その前にゴンが口に含んで「悪くなっている」と言ったことで、トンパがそれを引っ込めた。恐らくは何か薬物が入っていたのだろう。おかしいなと乾いた笑いを浮かべたトンパの顔色は随分と悪かった。
「……クラピカ、少し離れる」
「? ……大丈夫か?」
「うん」
賑わう場の中心にいれば、嫌でも目に付いてしまうだろう。あまり目立ちたくは無いは、クラピカにだけそう告げてゆっくりとその場を後にした。ゴン達からもヒソカからも遠ざかるように。
適当な場所まで歩いていると、突然つんざくようなベルの音が鳴り響く。変な形のベルを持っていたのは、試験管らしいサトツと名乗った男だった。どうやら先頭の方まで歩いてきたらしく、そのまま試験会場まで案内しますと言って歩き出したサトツの後を追いかけた。
後ろの方ではレオリオだろうか、何だか騒がしい声が聞こえてくる。しかし、今この状況では他のことを気にしていられるわけも無い。
ずっと部屋の中にいて、全力疾走などここ数年で一度でもした記憶がないのだ。更に平地から長い長い上り階段へと変わって、それはもう絶望的だった。額に浮かぶ汗が流れて目に入る。呼吸をする度に肺が押し潰されそうで苦しい。
スタートは先頭を走っていたはずだったが、そんなものが長く続くはずもなく随分と抜かされてしまった。だが不思議と、嫌ではない。胃が攣って吐きそうになり汗と涙が一緒になりながらも、それでも「生きている」と感じることが出来た。
「あれっ、だ!」
「! ……ゴン」
背後から声をかけられる。後方集団の中にいたはずだったが、いつの間にか追い上げてきたらしい。物凄い運動能力だと素直に賞賛する。
「誰?」
「クラピカやレオリオと一緒に、会場まで来たんだ。……いつの間にかいなくなってたから、心配しちゃった! 大丈夫?」
前半は隣の少年に、後半の言葉はに向けて放たれる。足を動かしながらも、それと同じくらいよく動く口に脱帽する。
「……」
こちらはそんな余裕などないのにと思いながら、は頷くことで返した。それよりも、そっちこそ誰? ゴンの隣を走る銀髪の少年にそう尋ねたかったが、口を開けば出てくるのは掠れた空気のみであったため止めておいた。
「じゃあ、俺達行くね!」
相変わらず元気な少年だ。あの能天気な声を聞いて、おかげで体力が少し回復した気さえする。それが錯覚であれ、今だけは素直に助かった。
長い階段の先にようやく光が見える。しかしそこはゴールではなく、更に過酷なマラソンの始まりだった。
「ヌメーレ湿原、通称"詐欺師の塒"。この地域に生息する動物は、狡猾で貪欲な生き物達です。騙されると死にますので、しっかりとついて来てくださいね」
そうサトツが言っていた通り、既に100人近くの受験生がコースから外れて消えていた。
「……クラピカ達、大丈夫かな……」
後ろを見ても誰の気配もしない。しかし、前方を走る人の影すらも霧で霞んでしまっていて、どこを走っているのかわからない状況だった。
まだ試験は始まったばかりだ。もう少し自由を満喫したいは、まだ死にたくはないと震える足を叱咤して走り続けた。
その矢先のことだった。
「……えっ!?」
突然何者かに腕を引っ張られ、横道に反れてしまったのだ。
「……とんでもない詐欺師がいたものね」
一瞬、狡猾な動物とやらかと思ったが、それよりもずっと性質の悪いものだった。
「やあ、。ボクのことを無視するなんて、ひどいじゃないか」
どこへ向うのかと尋ねる余裕もない。ヒソカはを半ば引きずるようにして歩きながら、武器であるトランプを取り出して歪んだ笑みを浮かべた。
「君もボクの遊びに付き合ってよ」
どうやら逃げることは出来そうにない。