声が出る、という感覚は、今よりもう少し前からあった。どうしてすぐ言わないのかと怒られてしまいそうな話だったけれど、私はただ怖かった。長いこと閉じ込めてきた自分の声という音が、ちゃんと相手に届くのか。
最初にそれを感じたのは、壁外遠征が決まって間もない頃だったと思う。一ヶ月の準備期間中、一日一日と壁外遠征の日に近づくにつれて、死へのカウントダウンが進んでいるようで恐ろしかった。そんな最中に声が戻ってくるのを感じたけれど、それを誰かに伝えることはしなかった。怖かった、本当は、声などもう一生戻ってこなくても良いなんて考えていたのだから。
私を逃がすため巨人に突撃する前、マルコが言った言葉が頭から離れない。君の声を聞いてみたかった。その言葉が呪縛となって重く圧し掛かる。迫り来る罪悪感に、出掛かっていた声は再び喉の奥に落ちていった。
あともうひとつ、理由があるとすれば。それはミカサやアルミンに対する甘えだと理解している。弱い自分でいれば、二人はずっと傍に居てくれるから。皆の足枷になりたくないと思う反面、大好きな人達に離れて行ってほしくなかった。だから、このままでいいと、思っていたのだ。けれどあの姿のエレンを見て、悲しみと怒りと不安が一気に押し寄せた。エレンに対する憤りと、現状に甘んじていた自分を恥じた。弱いままで良いはずがない。誰も何も、してはくれないのだ。エレンに頼れないなら、誰がミカサを守るというの? 守るばかりの彼女の背中を、一体誰が。
……私しか、いないじゃないか。
「み、かさ」
「!? 、あなた声が……それに何故ここへ? 作戦と違うはず……」
「わたしも、たたかう」
アルミンほど表情に表れることはなくても、私の言葉にミカサが驚いているのがわかる。ミカサの言葉に頷いてはっきりと共に戦う旨を告げた。なんとか、声は出る。
「……無茶だけは、しないで」
それだけ言うとミカサはトリガーを引いた。止めようとはしなかったミカサに心の中で感謝をして、私も後を追う。加速する装置に身を委ね、女型との距離を縮めていく。
「……」
エレンはきっと来る。それまで私に出来ることは、女型の注意を引いて、少しでも時間を稼ぐこと。ただ、それだけ。
「あ……っ!」
女型に振り切られ、体勢を崩したミカサが地面に打ち付けられる。そのまま走り去ろうとした女型が、その様子を見て一度止まった。そしてそのまま足を、持ち上げる。
「……!!」
女型は、アニは、ミカサを踏み潰そうとしている。
「い、や」
――本当に大切な人間を食われでもすりゃ、変わるんじゃねぇのか。
「……ミカサあっ!!」
以前リヴァイ兵長から告げられたその言葉を思い出して、ゾッとした。もしもアルミンが、ミカサが、エレンが、目の前で巨人に殺されたら――
「それ、だけは、せない……!」
私はそれを、絶対に許したりはしない。貴方にどんな理由があっても、私達を友人などとは思っていなくても。大好きな人を、殺させたりなんかしない。決して、奪わせやしない。
女型には硬化能力があると言っていた。そんなやつを相手にうなじなんか狙えるはずもなく、私はミカサの元へと向かった。女型を止めることが出来ないのなら、気を失ったミカサを安全な場所へ移すしかない。
「……っ!」
アニが足を下ろす瞬間、間一髪でミカサを抱き上げて瓦礫の山へと突っ込んだ。これが火事場の馬鹿力というのだろうか。正直感覚が無くなるぐらい腕が痺れているし、そもそもミカサと自分では体躯の差があり、ミカサを抱き上げるなんて本来出来るはずがない。
それでも、だ。
「わた、しが」
今まで守られてきた分、今度は私がミカサに返す番だ。もう二度と、奪わせやしない。
「ダメだ、!」
アルミンの声が聞こえたけれど、もう遅い。既に私の足は地面から離れて、壁に突き刺さったアンカーは外すことができない。女型の巨人に向かって加速していく装置に、私は悟った。まずい、と。
「……っ、ぁ」
眼前に女型の巨大な掌が迫って、私は咄嗟に身を捩って回避を試みる。私はとにかく一刻も早くこの場所から離れ、少しでも女型をミカサから離さなければならなかった。自分のことなど省みる余裕もなくて、ただただ我武者羅に突っ込んだ。その結果、直撃は免れたものの女型の指先が私の足を掠め、衝撃と風圧で壁に背中から打ち付けられる。意識が朦朧としていく中、アルミンやジャンの声を遠くで聞きながら、女型となったアニの掌が再び迫ってくるのをぼんやりと眺めていた私は、ゆっくりと眼を閉じる。
意識を手放す直前、女型とは別の、巨人の叫びを聞いた。