生きて、いるんだ。
握ったり開いたりする手指の感覚に、そう実感する。
壁外遠征より帰還してから、アルミンは抱いた仮説を確かなものへするべく、エルヴィン団長の元を訪れていた。三日後、エレンと調査兵団は中央に招集されることに決まっている。その前に、何とか打開策を考えねばならないのはわかっているが、何も出来ずにただ待機を命じられた下位の兵士達の心には不安だけが募っていく。途中からはミカサにも声がかかり、一人になった部屋では青々とした空を窓から見上げた。
「おい、いるか?」
「……!」
ノックと共に聞こえてきたのは、ジャンの声。どうぞも待っても言えないが無言のままドアを開けると、彼は「ミカサは……いないのか」とあからさまに残念そうな表情を浮かべた。わかりやすいというよりも、隠そうとはしていないのだろう。良くも悪くも真っ直ぐなのだ、彼は。しかし、この状況でただミカサに会いに来たわけでは勿論ないだろう。彼が訪ねてきたことの真意が解らないは、理由を探るためにジャンの顔を見つめた。の視線に気付いたジャンは、少し迷っている様子で目を泳がせながらぽつりぽつりと話し出す。
「アルミンのことなんだが、アイツ女型の巨人に襲われてから様子が変だろ? 今日も団長のところから戻ってねぇしよ。……お前は何か知らねぇか?」
知らない、とは首を振った。そもそも、自分は何も知らないのだ。幼馴染であるから、姉妹だからという理由で傍には居ても、考えを共有することは出来はしない。
アルミンの考えについて、その根拠を明確にするために恐らくミカサは呼ばれた。彼女はあの女型の巨人と対峙して、尚も生きている貴重な兵士であるのだから。
「でもよ、一度は捕らえたんだろ? 女型を見ている連中は、もっと他にも」
「……」
言いながら、曇っていくの顔を見たジャンは小さく「まさか」と呟いた。
アルミンやミカサ、もしくはその近しい人間――つまりは、我々百四期生にしか知りえない"何か"があるかもしれないのだ。
「……いや、そんなこと俺達にはわからねぇけどな。待つしかない、のか」
盛大に溜息を吐いたジャン。そういえば他の者達はどうなったのだろうか、と考えたが筆談具を手にするよりも先に、ジャンが図ったかのように口にした。
「コニーもサシャも、かなり参っちまってるしなあ。口にゃ出さねぇが、ライナーやベルトルトも。……ユミルはわからんが」
何事にも一生懸命なクリスタは、負傷者の手当てに当たっていると聞いている。しかし勿論彼女を含め、他の同期生達も、誰もがこの最悪な事態に憔悴しているに違いないのだ。何せ、頭が悪いことで有名なサシャとコニーの二人の口数がとても減っていて、夕食時も暗い雰囲気が部屋中に充満していたのだから。ただ、底抜けに明るいハンジ分隊長の声だけが響いていたのだが、彼も明らかに空元気であることが見て取れた。
「……あいつらのことだから、多分また何か考えがあるんだろうが……そんな顔すんなよ」
「……」
いつもそうだ。誰よりも強いミカサと、強くあろうとするエレン。アルミンは自分のことを弱いと言うけれど、こうして最前線で戦える頭脳を持っている。自分だけが取り残される。
俯くに、ジャンは気まずそうに頬を掻いた。
「きっと俺達にだって出来ることはあるはずだ。だからお前も、しっかりしろよ」
それだけ言うと、ジャンは部屋を出て行った。結局、彼が何のために此処へやって来たのかはわからない。もしかすると、心配して見に来てくれたのかもしれない。
本当にそうなのだったら、これ以上面倒かけるわけにはいかない。彼の言うとおり、何もしていない内から悩んでいる暇などないのだ。
女型の、エレンのことは、アルミンがきっとなんとかしてくれる。
彼は何でも知っているんだから。
だからきっと、大丈夫だ。
「ごめん、遅くなった」
初めて夕食を一人で摂って、部屋で待っているとミカサが戻ってきた。
話は終わったの? 調査兵団はこれからどうなってしまうの?
聞きたいことは色々あったが、そのの質問に答えるかのようにミカサがの腕を掴んで部屋の外へと連れ出した。
「来て」
ミカサの言葉足らずはいつものことで、は招集がかかっていることをすぐ理解した。話し合いに参加していない兵に作戦を説明するため、彼女は自分を呼びに来たのだ。
作戦室に入ると、そこには若干名の兵士が揃ってはいたが、百四期生の姿はジャンの他に見当たらなかった。これは一体どうしたことだろうと、ジャンもに気付いて二人は首を傾げた。他の新兵は、使わないのだろうか。だとしたら何故、自分がこの場にいるのかもにはわからない。実力の足りない自分などではなく、十番内に入っているライナーやベルトルト、サシャもコニーも、クリスタだっているのにも係わらず、どうして。理由がわからないまま、エルヴィン団長からの説明は行われた。
女型の巨人と思しき人物を特定したため、それを捕獲するための作戦だった。立案者のアルミンが団長の隣に立って、補足を交えながら話をしていた。やっぱり遠いなあ、はぼんやりとそんなことを考えた。
第三次作戦までの説明と班分けが終わった後、どの班にも名前が無かったジャンが団長に呼ばれた。彼がこの作戦に選ばれた理由は、憲兵団と共に中央へ行くことになっているエレンの替え玉としてだった。そのことはエレンも知らされていなかったらしく、二人の顔が険しくなっていく。
「なんで俺がエレンの替え玉なんですか!?」
「そうですよ! 俺、こんな馬面じゃないです!!」
「何だとてめぇ!」
掴み合いの喧嘩に発展しそうになるのをアルミンが宥めようとするが「大丈夫だよ、二人とも凶悪な顔つきは同じだから」。……それは逆効果だよとは溜息を吐く。それから、ミカサと一緒にアルミンの加勢に入ることにした。
「エレン、喧嘩している場合じゃない。これは調査兵団としての作戦だから」
「……あ、ああ。悪い」
「……」
「! ……」
ミカサがエレンの腕を掴み、正論を述べるとエレンは我に返ってジャンの胸元から手を離した。対するジャンは、静かに自分の服の裾を掴んだに対して、言葉を詰まらせた。先刻に告げた自分の言葉を思い返し、そうだったよな、と一人ごちる。
「すみません、やります」
自分が出来ることをやるべきだ。過去に親友に言われたことを、ジャンはしっかり実践しようとしていた。
「」
「?」
喧嘩が収まって、部屋に戻ろうとしたをミカサが呼び止める。
明日、ミカサとアルミン、それからエレンとは別行動になる。三人は作戦の要であるから当然ではあったが、は第四班に配属されることになった。基本的に物資の運搬で、予備の武器や立体機動装置の確保を担う。もしも第一次作戦が失敗して二班と三班が女型と交戦になった際には第三次作戦に合流し待機。作戦を聞く限りでは、直接的に女型と戦う可能性は低く、比較的危険の少ない役割であった。直感的にミカサとアルミンが強く希望してくれたのだろうが、やはり守られているという思いが拭えない。
「私は、負けない」
ミカサはそう一言、口にする。それはに対してというより、自分に言い聞かせているようだった。ミカサが部屋に戻った後、他の兵士たちも散り散りになっていく室内でミコトは叫びたい衝動に駆られる。どうして、何も教えてくれないのだと。それでも震える唇を強く結んで気丈に堪えるのは、きっと彼女も認めたくはないのだ。
自分が、大切な人たちの重しにしかならないことを。
「……」
知っているんだね、ミカサ。明日誰と戦うのか、エレンを狙っている敵が誰なのか。
……きっとアルミンも。
私やジャン、他の同期には言えない何かが、そこにはあるんだ。
だけど、でも、
ミカサがエレン絡みでそういう顔をした相手を、私は過去に一人しか知らない。