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     煙弾での指示を受けて、新兵たちは馬を走らせて巨大樹の森と呼ばれる場所へと辿り着く。既に先頭であるエルヴィン団長や荷馬車護衛班らの姿はなく、伝達の先輩兵士より樹上待機を命ぜられる。説明が不足しているその状況で、新兵たちの緊張と疲労は限界を超えていた。

    「……」

     下にいる巨人の呻き声が木から振動で伝わってくる。巨人の侵入を食い止めろとの命ではあったが、交戦しろとは言われていない。即ち、この場に留まってエサとなればいいだけのことなのだ。誰一人微動だにしないのを見て、確かには安堵していた。

    (一体、何が……わからない。ううん、でも)

     森の中で何が起こっているのか理解出来ないままだったが、エルヴィン団長やリヴァイ兵士長がこのまま終わるわけがない、きっと何か考えがあるのだ、大丈夫だ。そうやって信じているなどと体の良い言葉を並べながら、実のところ自分で考えることを放棄して丸投げしてしまっているに過ぎない。それでも、そうでなくては戦う意味なんてなくて、自分自身の力を振り絞って巨人に立ち向かえるわけも無くて。
     そっと、時折聞こえる爆音に眼を閉じた。どうかこのまま、無事に終わりますようにと祈りにも似た気持ちを抱きながら。
     だけど、どうやらこの世界に居ない神には祈りなど届かないようだ。

    「………………………ッ!!!!!!」

     言い表せられない、この世のものとは思えないほどの絶叫。悲鳴。断末魔。戦慄する。全身が、粟立つ。その瞬間、これまで自分たちに張り付いていた多くの巨人たちが一斉に森の中心部へ向って走り出したのだ。
     この巨人達は全て奇行種だったのだろうか? いや、そんなこと今はどうでもいい。とにかく、命令は「巨人を通すな」。このままではいけない、剣を抜いて全兵士が戦闘体勢をとる。けれど、

    「……――」
    「!!」

     あ、

     唇から空気が零れる。木から足を踏み外して、体勢を立て直す間も無く浮く体。落ちる、そう思ったときには思考回路すらも波に呑まれていた。



     これは走馬灯というもの、だろうか。
     懐かしい景色が目の前に広がっている。幼い、同じ顔した二人の少女。

    「、もうお手伝いはいいって、家に入ってなさいってお父さんが」
    「うん、わかった。だけどもう少し……ここにいたいな」
    「?」
    「ねえミカサ、みて」

     まだ私達に帰る家があって、平和だった頃。私が声の出し方を知っていた頃。
     野菜の収穫を手伝っていた私が屈んだまま動かないのを見て訝しげに首を傾げたミカサが近寄ってきて、同じようにしゃがむ。そして私が指差す場所を見つめた。

    「これ、蝶々のさなぎ」
    「……本当だ」
    「羽化したら、どんな蝶々になるんだろう?」
    「さあ。興味はないかな」
    「あはは、ミカサらしいけど……私は気になるよ」

     この絶望にまみれた世界の中でも、さなぎは蝶へと羽化する。美しい翅を広げて、この空を飛んでゆくのだ。そう思うだけで、白黒の世界が鮮やかに色づいていく。


    「ほら見て、」

     また声が聞こえる。気がつけばミカサはもう消えていて、振り向いた先に居たのは、幼い頃のアルミンだった。
     本を広げて、楽しそうに声を弾ませる。まだ、シガンシナが平和だった頃の、夢に溢れていた私達。

    「外の世界には、景色だけじゃなく、見たこともない生き物だっているはずなんだ」
    「……生き物?」

     現実ではありえなかった声が出る。ああこれは、私の妄想だ。貴方とこんな風に、会話をしてみたかったという、私の。

    「そう。だから、見て見たいだろ? だって」
    「うん……そうだね」

     でもねアルミン、私は、本当はね、

    『私、どこだっていいの。アルミンがいるところなら……』

     最後の言葉は伝えられずに、再び私の視界は闇に沈んだ。



    「!! 大丈夫!?」
    「……!」

     大好きな人の声に呼ばれて現実に引き戻される。どうやら自分はまだ死んではいなかったらしい。ゆっくりと顔を上げれば、自分の体を抱えているのは

    「くそ、さっさと自分の立体機動を使え! 重てぇんだよ!」

     悪態を吐くジャンだった。
     自分達が何をしようが、目的が変わったらしい巨人達は刃を抜く兵士達には目もくれず真っ直ぐに突き進んでいく。おかげで食われずに済んだらしい。

    「もうだいぶ森ん中に行っちまったが……大丈夫なのか!?」
    「わからない……でも、出来ることをするしかないよ!」

     ジャンに支えられながら体勢を直して、も巨人の討伐を試みた。こちらを気にもしない巨人のうなじを削ぐのは容易だったが、複数の巨人を一度に討つことは出来ない。きっと、リヴァイ兵長やミカサであってもこの数は無理だ。ジャンの言うとおり、一体倒す間に何体もの巨人が目的地を目指して走るのだ。
     キリのない数に兵士達が狼狽する中、やがて一人の兵士がその命令を持ってやってきた。

    「撤退命令が出た! 女型の巨人捕獲に失敗したらしい!! 総員、直ちにカラネス区へ帰還せよ!」
    「!? やっぱり、失敗か……!」
    「チッ、ほら急ぐぞ!」

     先輩兵の伝令に、待っていましたと言わんばかりに馬に乗った兵達は各自で街を目指す。
     帰れることに安堵しながら、それでもやり切れない思いに、次第に遠くなる巨大樹の森を振り返る。ああ、これではまるで、

    「無駄死に、かよ……」
    「……っ」

     ジャンの呟きに、冷静だったアルミンも顔を歪める。多くの兵士が犠牲になって、それでも女型を捕らえられずに失意のままに帰還する。
     いつになれば私達の翅は生えてくるのだろうか。

    to be continued...





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