煙弾を用意しながら、僅かな木々の揺れにさえ敏感に反応してしまう。いつ、どこから巨人が現れるかわからない。いつ、誰が食われるかもわからないのだ。
「おい、お前そんなんで大丈夫か」と、出発前に同じ班のユミルに声をかけられたが、は青白い顔で小さく頷くのがやっとだった。その後で彼女は、何故愛しのクリスタは一緒の班ではないのだと嘆いていたものの、作戦開始の合図には誰よりも早く気持ちを切り替えていた。普段は飄々としているユミルも、壁外を甘く見ているわけではないのである。
長距離索敵陣形の一人ひとりの配置は、最低でも隣の班員と数メートルは離れている。それは被害を出来る限り最小限に留める為であり、班長や上の団員が新入団員のフォローに入ることができるという利点もあるが、その分、人と離れた空間に自分独りのように感じて、恐ろしさだけが増長していく。小さな風の音や木々の揺れですら、恐怖心を煽っていく。
「アッカーマン!」
「……ッ!!」
班長が自分の名前を呼んだ最中、の視線は眼前の巨人に釘付けになっていた。建物の影に待機していた巨体が、大口開けて襲い掛かってくる。
馬の手綱を掴んで、思い切り引き寄せた。しっかり訓練された調査兵の馬は、余程のことでなければ動じたりはしない。
死にたくない。巨人の口が迫ってきた瞬間に、は強く強く、そう思った。
まだ、私は告げていない。大切な人に、大切な言葉を。
私を助けて命を失くした、その人が言っていたように。死んで、後悔だけはしないように。
(まだ……死ねないッ)
はっきりとそう願った瞬間。抜き放った剣を巨人の双眸に突き刺す。呻き声すら発さず、その場で蹲る五メートル級の巨人を横目で見ながら、静かに離れてゆく。後から来た先輩兵士が、そのうなじを削ぎ落とすのが見えた。
奇行種はそうそういるもんじゃない。今のは偶々で、きっともう、会わないだろう。大丈夫だ。そう自分に言い聞かせて心を落ち着かせたが、それはただの願望に過ぎないのだと思い知らされる。事実、悪夢はそれだけでは終わらなかったのだ。
(黒い、煙弾……?)
黒の煙弾は奇行種を知らせるもの。右翼後方からそれが上がったのを確認して、先輩達は「あっちにも奇行種が……」と呟いたが、不穏な空気はそこだけに留まらない。
「右翼索敵が、一部壊滅した!!」
伝達に馬を走らせやってきた一人の兵士がそう叫ぶのを聞いて、血の気が引いていくのを感じた。
幸い最前列に、百四期は配置されていない。確かエレンの名前がそこにあったような気もしたけれど、彼のような重要人物がそのような場所に置かれるはずがないので偽りだろう。ただ、索敵が機能しなくなったことによって、今後作戦の遂行は不可能であるということだ。しかし、一向に団長からの撤退の命令は出ておらず、兵士達はこのまま進むしか出来ないと言うわけだ。
(ミカサは……アルミンは、大丈夫かな)
ミカサは多少のことでは動じないし、彼女ほど強ければ問題ないだろう。心配なのはアルミンだ。自分が生きているのだから彼も生きていると思いたいが、もしも自分だけが生き延びて彼がこの世にいなくなってしまったら。そう考えると心臓が締め付けられるように痛かった。
そう思った瞬間、彼のいるであろう方角から、緊急を知らせる煙弾が上がったのだった。
(緊急事態……一体、あの場所で何が起こってるの?)
いてもたってもいられなくなったは、すぐさま馬を走らせた。後ろで班長の声が聞こえたが、そんなものどうでも良くなるくらい、不安だった。
「!?」
煙弾の方向へ向うと、そこにはアルミン、ライナー、ジャン、そしてクリスタがいた。
戦った後なのだろう。ジャンの大量の冷や汗とアルミンの額の包帯を見て、はそう理解すると同時に馬から飛び降りてアルミンに駆け寄った。
(アルミン大丈夫? そのケガは? 一体何があったの!?)
「えっと……うん、大丈夫だよ」
物凄い気迫で詰め寄ったに対し、何となく言いたいことを理解したアルミンは彼女を落ち着かせるためにそれだけを伝えた。
「。お前も煙弾を見て来たのか? ……やっぱお前、ミカサの妹だな」
ミカサがエレンを盲目的に慕っているように、のアルミンに対する執着心にジャンが呆れたように呟いた。
「女型の巨人が、大量の巨人を引き連れてやってきたんだ。それで右翼側が壊滅して……」
「はやく、急いで陣形に戻らないと!」
「……そうだ、撤退の指令が出るはずだ」
大まかな説明を受けて、その危険性も然程理解はできないまま、は自分の馬に跨った。
「しかし、壁を出て一時間足らずでとんぼ返りとは……見通しは想像以上に暗いぞ」
誰もが撤退すると信じて疑わなかった。その状況で、放たれた煙弾は――緑。
「緑の煙弾、だと!?」
「陣形の進路だけを変えて、作戦続行するみたいだね……」
「そんな……撤退命令じゃないの!?」
これだけの損害を出しておいて、何の成果も出さずに帰るわけにはいかないという考えか、それとも何かこの状況を打開する策があるのか。現時点での情報量では何もわからないが、この状況で自分達のやることは決まっている。
「従おう」
アルミンが、同じく緑の煙弾を空へと放った。