壁外での生存率を上げるために考案された長距離索敵陣形という作戦を聞いて、安堵する。その方法であれば、巨人に食われる可能性もずっと低くなるはずだ。弱い自分でも、生き残る確立がずっと上がるのだ。
与えられた一ヶ月という期間ですべきは、実践よりもまず、例の陣形と作戦を頭に叩き込むことだった。
「俺、ちゃんとできっかなー」
「大丈夫だよ、多分。作戦自体はそんなに難しくない」
自他共に記憶力が低いと認めるコニーが頭を抱えていて、アルミンがフォローする。それでも、アルミンは頭がいいから大丈夫だろうけど、とコニーは少し卑屈に彼のことを見た。そんな二人のやり取りをぼんやり見つめながら、は先ほどの講義で板書したノートの字に視線を落とした。わからない、のは、何もコニーだけではない。
「どうしたの?」
「!」
いつの間にか近くに来ていたアルミンが、の顔を覗き込んだ。少々驚きはしたが、はすぐにノートの陣形をトンと指で叩いた。
「も不安なんだ」
小さく頷く。アルミンは論理的に、ミカサは本能的に作戦を理解し、実行しようとするだろう。どちらも欠けている自分には、それがとても難しいことのように思えてしまうのだ。
アルミンは、コニーに告げたのと同じように「大丈夫だよ」と微笑んだ。
「まだ、時間はあるんだから」
一ヶ月というのは思いのほか早いもので。陣形の動き方や縁弾の出し方、馬術など様々な講義、訓練を受けた。最初は不安だったコニーも、講義を重ねる毎に自信をつけたらしい。もう怖いものなしだと豪語する彼の姿に、付きっ切りで彼に作戦内容を紐解いて教えていたアルミンは少し疲れた表情を見せながらも良かったねと心から喜んでいた。
いよいよ明日は、作戦決行――つまり今日は、作戦前夜だった。
講義が終わり、自分たちの宿舎へと戻る途中で、背後からよく知った声に呼び止められる。
「アルミン、、ミカサ!」
「! エレン!」
「暫くぶりに会った気がするぞ!」
アルミンは嬉しそうに、そしてミカサはまるでエレンの母親のように心配そうな表情を浮かべて、苦痛を与えられたりはしていないかと尋ねた。
「ねぇよ、そんなこと」
「……あのチビは調子に乗りすぎた。いつか私が然るべき報いを……」
「まさか、リヴァイ兵長のこと言ってんのか?」
まだ根に持っているのか。は少々呆れつつ、ミカサの袖を引っ張った。
エレンの声を聞いて、他の同期たちが集まってきた。久しぶり、そう声をかけあって、再会に喜ぶと同時にエレンは気まずそうに口を開く。
「ここにいるってことは、お前ら調査兵になったのか……?」
「それ以外にここにいる理由あるか?」
「じゃあ、憲兵団に行ったのは……ジャンと、アニと、マルコだけ……」
マルコ。その名前を久方ぶりに聞いて、の肩がぴくりと震えた。誰にも気づかれることなく、一人で。
「マルコは死んだ」
そう答えたのは、エレンが憲兵団へ行ったと思っていたジャンで。彼が調査兵団に入ったことに驚愕したエレンは、その後に、ジャンが発した事実に眩暈を覚えた。
「って、え? 今、何て……マルコが死んだって……言ったのか?」
「誰しもが劇的に死ねるわけじゃないらしい。どんな最後だったかもわからねぇよ」
言いながら、ジャンが自分を見たような気がして。は視線を反らした。
声も出ないくらいに驚いて、エレンが事実の重さに耐えていると、新兵を呼ぶ声が響く。調査兵団の制服が支給されて、深緑のマントを羽織る。その同期生の姿に、同じく調査兵団となったマルコの姿がぼんやりと浮かんだ。
薄暗い倉庫の中で、同期から近況を聞いたエレンは目を瞬く。全員が、今度の作戦に参加する。生存率は三割程度だと最初から聞かされていたその作戦に、不安が過ぎる。
「……なあエレン。お前は巨人になったとき、ミカサを殺そうとしたらしいな?」
「っ!!」
そりゃ一体どういうことだ。ジャンに尋ねられて、エレンは言葉に詰まる。ハエを叩こうとして……なんて言い訳するミカサに、お前には聞いていないと睨みつけるジャンは、いつもと様子が違っていた。
ミカサの頬の傷について尋ねれば、ミカサはそれを咄嗟に隠す。その様子に、エレンは事実を認めざるを得なかった。
「……本当らしい。巨人になった俺は、ミカサを殺そうとした」
「らしいってのは、記憶にねぇってことだな。つまりお前は、巨人の力の存在を今まで知らなかったし、それを掌握する術も持ち合わせていないと」
「……ああ、そうだ」
重々しい溜息をひとつ。それから話をただ聞いていた同期たちを振り返り、ジャンは声を大にして叫んだ。
「お前ら聞いたかよ。これが現状らしいぞ。俺たちと人類の未来がこいつに掛かってる」
俺たちはマルコのように、エレンが知らないうちに死ぬんだろうな。
ジャンの言葉に、ミカサが食って掛かる。確かに彼女から見れば、今此処でエレンを追い詰めても仕方ないという思いがあるのだろうが、それは幼馴染と言う立場からのミカサの観点でしかない。ジャンを筆頭に、エレンに対してそこまでの思い入れはないだろう。だからこそ、知っておかねばならないのだ。
「知っておくべきだ。俺たちは、何のために命をつかうのかを。……でないと、いざという時に迷っちまうよ」
ジャンの言葉は、全てが正しく思えた。これまでの彼ならば口にしないようなことも、調査兵団に入るなんて言い出したこともそうだ。ジャンの考えを変えたのは、生前のマルコの言葉と、友の死という現実なのだろう。
「俺たちはエレンに、見返りを求めている。……きっちり値踏みさせてくれよ。自分の命に、見合うのかをな」
息を呑む音が、やけにはっきりと耳に届く。
再度エレンを振り返ったジャンが、彼の肩に両手を置いて、低く震える声で言った。
「だから、エレン! お前……本当に、頼むぞ……!?」
「……あ、ああ」
明日、死んでしまうかもしれない。それが兵士を選んだ自分たちの役目。
だけど、それでも、彼らは生きていたいのだ。
「身体冷えるよ」
「……」
エレンと別れて、宿舎に戻ってきたけれど、すんなりと眠れるはずがなかった。部屋で刃の手入れを入念にしているミカサを一人にして、また、自分も一人で考えたいと、は夜風に当たるために上着も羽織らずに外に出た。
一刻が過ぎた頃、二人分のマントを持ってやってきたアルミンはそう言っての肩に調査兵の証であるマントをそっとかけた。
「さっき部屋に行ったら、は外に行ったってミカサが言うからさ」とアルミン。
「今日のうちに、話がしたかったんだ。明日は班が違うから」
きゅっと、膝の上に置かれた拳に力がこもる。
明日は、アルミンともミカサとも別々の班だ。二人がいない場所で、どれだけのことをやれるかわからない。それでも、自分のすべきことを精一杯やるしかないのだ。
怖い、としか言いようがない。
「いろんなことが、あったね」
「……」
「僕には、本当にこの選択が正しかったのかわからないんだけど」
それは、自分自身の選択か、それともが調査兵を選んだことに対することにか、明確に告げないままアルミンは話を続ける。
「選んだからには、やらなきゃいけないことだって思うよ。自分に何ができるかなんてわからないし、何も無いのかもしれないけど」
『……うん』
「だからも、絶対に諦めないで。また生きて、会おう」
が何かに怯えているのは明白で、彼女の生に対する執着が薄いのもわかっていた。だからこそアルミンはに会いに来たし、彼女の生存率を少しでも上げたくて、
「体調崩したら元も子もないから、そろそろ戻ろう。ミカサもきっと心配してる」
困ったように言って、宿舎に向かおうと立ち上がるアルミンのマントを、が掴んで引き止める。
『アルミン』
「え?」
声に出したわけではない。でも、何も聞かないアルミンに対して、が多大な感謝を抱いたことは言うまでもない。
『ありがとう』
彼女の唇の短い動きを何とか読み取って、アルミンは微笑んだ。
「どういたしまして。でも、まだ早い……かな?」
壁外から帰ってきたら、もう一度言ってくれる?
珍しくおどけたアルミンに、は小さく頷いた。そして「それじゃ戻ろうか」と前を向いたアルミンの背後で彼女は、もう一度唇を動かした。
『……好き』
何度でも言おう、戻ってこれたら。