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     小気味いい、というものでもない。とにかく鈍い音が、静まりかえった審議所内に響く。

    「……ッ!!」

     中心にいるのは、三人の幼馴染と人類最強の男だった。



     一、憲兵団はエレンを徹底的に調べ上げた後に解剖処分することを唱えた。
     二、ウォール教の教祖は今すぐにでも殺してしまえと叫んだ。
     三、調査兵団エルヴィン団長はエレンを正式な団員として迎え入れ、失った領土の奪還を提示した。

     全ての意見を並べて見ると、はっきりとわかる。エレンの生きる道は、ひとつしかないのだと。そして何より彼自身は幼い頃から、調査兵団への入団を希望していた。
     それらを踏まえ、総統はエレンに「これまで通り巨人の力を行使できるのか」と問うた。彼は力強く頷いたが、資料を見やった総統がこう続けた。

    「今回の奪還作戦の報告書にはこう書いてある。巨人化の直後、ミカサ・アッカーマン目掛けて三度拳を振りぬいたと……」
    「!?」

     エレンとが同時にミカサを見た。先ほど見た頬の傷はこれか、とは納得する。相手の巨人がエレンであるなら、ミカサの反応が遅れるのも無理はない。しかし、エレンのほうはそれを覚えていない様子も見受けられる。ミカサは隣の駐屯兵を睨んだが、彼女は呆れ半分に「誤魔化しは人類のためにならない」と言った。その直後、総統よりその話の真偽を確認されるミカサに先輩兵が今度は「エレンのためにならないぞ」と告げる。その様子を見て、はミカサのことをよくわかっているなと感心していた。
     ミカサが事実を認めると同時に、エレンに救われたことがあることも考慮して欲しいと主張した。しかし、それは逆効果のようにも感じられた。憲兵団トップのナイルという男は、資料を見ながらエレンとミカサの経歴についてこう言った。人間性を疑う、と。

    (でも、あれがなかったら……エレンもミカサも、ここにはいない)

     確かに子どもが大人の男を刺殺するなんてどうかしている。けれど、生きていくために必要なことなら、それでもいいと。そう信じて疑わずに生きてきた自分もまた、人間ではないというのだろうか。
     ざわつく場内。その中で一人の男が、ミカサを指して叫んだ。

    「あいつもだ! 人間かどうか疑わしいぞ」
    「!!」

     混乱し、ついにはミカサへと向けられた矛先。解剖でもした方がなどと狂気染みた発言にエレンが言い返したのは、今正に裁きを受けようとしている人間の発言ではなかった。

     自分に都合の良い憶測で話を進めたところで、現実から離れるばかりで何の解決にもならない。
     大体、あなた方は巨人を見たこともないくせに何がそんなに怖いんですか。
     力を持っている者が戦わずしてどうするんですか。
     生きるために戦うのが怖いというのなら、力を貸してくださいよ。
     この腰抜け共め、

    「……いいから黙って、全部俺に投資しろ!!」

     先ほどとは対象に静まり返った場内で、エレンの顔から血の気が引いた。アルミンもミカサも、ですら、「やってしまった」という思いで一杯だった。
     怒りに震える憲兵団が銃器を構えた、その直後。エレンの身体が宙に浮いた。鎖で拘束されているので吹き飛びはしないものの、力いっぱい蹴り飛ばされて、その身体はまるでゴムのように跳ね返る。

     そうして冒頭に至る。
     一体何度、彼は硬い地面に顔面を打ち付けられただろう。
     咄嗟に動き出したミカサを止めたのは、それまで傍観を決め込んでいたアルミンだった。
     エレンを正式な団員として受け入れると提示したエルヴィン団長も微動だにしないことから、恐らくこれも作戦のうちなのだろう。
     そうが考えを巡らせて間も無く、彼の調査兵団への正式な入団が決まった。



    「くそ……なんで止めたの、アルミン」
    「だって、あれも必要なことだよ。そりゃ、若干やりすぎというか、こっちまで痛くなるような音だったけど」
    「……」

     エレンに害為すものは全て敵と認識しているミカサにとって、先ほどのリヴァイ兵士長のエレンに対する暴力行為は間違いなく大敵である。
     悔しそうに爪を噛みながら審議所を後にするミカサとアルミンの後ろをは数歩引いて歩いていたが、不意にその足を止める。

    「……」

     二人は気づいていない。エレンが調査兵団へ行くことが決定した今、自分達の進路のことで頭がいっぱいなのだろう。
     は静かに、元来た道を引き返した。
     審議所の入り口からは、関係者が続々と出てきている。
     はあ、と小さく嘆息すると、彼女はその中へと足を踏み入れた。

    「……なんだ、お前は」
    「!」

     背後からした声に勢いよく振り返る。を視界におさめた男は眉間に皺を寄せたままもう一度「何だお前」と呟いた。審議が終わった今、この場所に用のある人間はいないはずだろうという考えから出た言葉であった。

    「じゃないか! やあ、数日振りだね!」

     男の背後からひょっこりと現れた人物のテンションに、は少しだけ身を引いた。
     ハンジ・ゾエ。を事情聴取に呼びつけた張本人であった。

    「何だ、ハンジ。てめぇの知り合いか」
    「んー、っていうか、言ったでしょ。エレンを知る人物の一人で、喋れない訓練兵の女の子」

     ハンジの説明に、リヴァイはああと短く言った。それからどうでもいいことのように「知り合いならお前が何とかしろ」と言い捨てて踵を返そうとするが、

    「……っ」
    「……あ?」

     リヴァイの制服の裾を掴んだのは、だった。

    「もしかして、リヴァイに用事?」

     ハンジの言葉に小さく頷くと、リヴァイは一度信じられないというように大きく目を見開いて、それからすぐに面倒臭そうに盛大に溜息を吐いた。それを楽しそうに笑いながらそうかとハンジ。

    「じゃあ、邪魔しちゃ悪いね。リヴァイ、可愛い後輩の女の子に手を出しちゃダメだよ?」
    「さっさと散れ、馬鹿が」

     ぎろりとリヴァイに睨まれたハンジが笑いながら去っていく。残されたリヴァイは、喋らぬ少女を見下ろして浅い溜息を吐いた。で、俺にどうしろと? そんなニュアンスを感じ取って、は小さなメモ帳を取り出した。それは生前マルコが使っていたもので、一度返したのだが、後日「やっぱり使ってくれ」と渡してきたのだ。座学のノートよりも小さく携帯用には便利なそれは、今こうやっての手の中にある。
     は小さな文字で列を作り、リヴァイに差し出す。が、文字列を目で追うリヴァイの表情が険しく不可解なものになっていく。

    『死なないために、生きたいんです』
    「……?」
    『死なないためには、少しでも長く生きるには、どうしたらいいのですか』

     それは人類の誰もが願う言葉だ。
     最も人間らしく愚鈍な質問だと感じると共に、先の巨人化少年の馴染みにしては随分と後ろ向きな性格だと、溜息と共に吐き捨てる。

    「駐屯兵にでもなりゃいいだろうが。俺達よりは、巨人に遭遇する確率は低い」

     それも一度は考えはした。しかし、ミコトの視野にその選択肢は最初から無かった。エレンもミカサもアルミンもいないその場所に、自分の居場所はないのだ。
     アルミンが調査兵団で自分の活路を見出すというのなら、自分もそうするしかない。けれど、自分に兵士としての存在意義はあるか? 否、巨人のエサにしかなり得ない。

    「……で、それを俺に尋ねたところでお前が望む答えが返ってくるとは限らないが」

     リヴァイは少女が、人類最強の男に生き抜くためのコツを乞うためにわざわざやってきたのだと解釈した。だからこそ突き放す言い方をしたのだが、しかし、ミコトはそれでも構わないと強く頷いた。

    『囮でもいいと、思ったのに』

     同期には話せない。ただ先ほど審議所での容赦ないリヴァイを見て、この人なら、しっかりとした答えをくれそうだと思ったのだ。突き刺すような言葉でもかまわない。誰かに聞いて欲しかっただけの、自己満足なのかもしれないけれど。

    『今は、生きるために、強くなりたい』
    「……なら、強くなりゃいい。最も、今のお前に兵士としての素質があるかは別問題だがな」

     ミコトは真っ直ぐにリヴァイを見た。
     彼の言う素質が何を指すのかわからないが、ただただ必死だったのだ。

    「……その目は、悪くない」
    「!」
    「だがお前は、巨人が憎いのか?」

     真剣なの目を見て、リヴァイが呟く。強くなりたい、その気持ちに偽りはないのだろう。だが、その瞳に巨人への憎悪や怒りの感情は宿ってはいない。
     全て見透かされたようで、はゆっくりと俯いた。やはり、彼ほどの人なら洞察力も優れている。

    (私は巨人が恐ろしい……けれど、憎いか、殺したいかと聞かれたら、その答えは出せない。両親を殺した誘拐犯の男にだって、それほどの感情は抱かなかった)

     同期生たちが食われるのを見ながら、いつだって「次は自分か」などとぼんやり考えるだけで、その巨人を倒すことなど考えたことがない。

    「多くの兵士は、巨人への怒りを原動力に動いている。アイツ――エレンもそうだろう」

     確かに彼は典型的な例である。彼の傍にいて、ミカサはエレンを救うために巨人を殺している。アルミンも、夢と人類のため、自身の頭を使い貢献していくだろう。
     は改めて、自分に彼らと同じような感情がないことを知った。

    「本当に大切な人間を食われでもすりゃ、変わるんじゃねぇのか」
    「……ッ!」

     何気なく告げられたリヴァイの言葉に、は息を呑むと共に青褪めた顔を弾かれたように上げた。彼女の頭に浮かんだ"大切な人"の死を想像して、怖くなったのだ。

    「その先は自分で考えろ。今のままなら、お前は巨人と遭遇したらすぐに食われるぜ」

     俺はもう行く、と言ってリヴァイはを残して立ち去った。
     それから数十分後、が居ないことに気がついたアルミンとミカサが迎えに来るまで、彼女はその場に呆然と立ち尽くしていた。

     憎しみは、強さの源? ならば、今の自分は絶対に強くはなれない。
     ならばマルコが生かしてくれた命を無駄にしないよう、大切な誰かを守るために使おう。

    「どうしたの、?」
    『……何でもない』

     私を守って命を落としたマルコのように。
     私はきっと、あなたを守って死ぬんでしょう。アルミン。

    to be continued...





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