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     壁内に閉じ込められた巨人の掃討戦の間、はただ安全な壁の上でじっとうずくまっていた。
     エレンが作戦を成功させて、調査兵団による聴取を終えたミカサとアルミンが大急ぎで、置き去りにしてきた家族、幼馴染を発見したとき。既には作戦の成功を喜ぶ暇もないほど、失ったものの大きさに打ちひしがれていた。
     ジャンには言えない。彼は自分を助けて死んだなどと、マルコの一番の友人であった彼に、何と伝えれば良いのだろうと。考えるほどに解らなくなって、は心配そうなアルミンの声も聞こうとはしなかった。

    「、どうしたのかな……」
    「わからない……あんなに元気がないのは、はじめて……」

     両親を失いエレンの家に引きとられたときでさえ、暴漢に浚われて傷心であろう姉を思って気丈に振舞っていたの沈んだ顔に、ミカサは動揺を隠せなかった。何があったのと、そう尋ねたところで、ミカサと同様に作戦開始から間もなくしてエレンの元へ向かっていたアルミンにも解るはずがなく、黙った二人にジャンが口を挟む。

    「無理もねぇ。あんなに、巨人に襲われたんじゃな」
    「! ジャン……」
    「あんなにって、そんなに、たくさん?」
    「ありゃ俺やマルコが行かなけりゃ、食われてたよ」

     そのせいだろうと、ジャンは言った。彼もには危ないところを救われたが、ミカサやエレンがいない中であの窮地を潜り抜けるのは、彼女にとってどれだけ勇気の要ることだっただろう。あれは奇跡だ、とジャンは溜息を吐いた。

    「お前を追って、巨人に襲われたんだ」
    「え!?」

     ジャンから聞かされた事実に、アルミンは言葉を失った。作戦の失敗を恐れるあまり、彼女のことを省みることすらしなかった自分を嘆く。しかし、そんなアルミンの隣で、ミカサはでも、と呟いた。

    「それだけでは、ないような気がする……」
    「え……」
    「じゃあ、他に何があるってんだよ?」

     わからないけど、でも、今までにだって危険な場面はあったけれど、こんなにもが自分たちを拒んだことはなかった。何があっても、決して周りに心配かけまいとして、彼女は笑っていたから。

    「今は、そっとしておくしか……ないのかも」
    「……うん、そうだね……」

     ミカサとアルミンは互いに頷いて、それ以上に踏み込むようなことはしなかった。彼女にとってそれは、この上なく有難い事であった。
     それから程なくして、掃討作戦とほぼ同時に、兵士達の遺体回収作業が行われた。
     は自ら、担当区域がローゼの壁に最も近い第一斑を志願した。自分を庇って目の前で犠牲となってしまった同期生の遺体を目にしたくないというのが本音で彼女の全てであったが、その作業を行う以上、意識せずにはいられないのだ。ひとり、またひとりと死人を見つけ、上官の持つリストと照らし合わせていく度に心が締め付けられる。
     自分の心に、あんなに優しい想いと深い傷痕を残した彼が、忘れられなくて。

    「マルコが……死んだ?」

     火葬場で、読み上げられた死者リストに百四期生は皆青褪めていた。中にも聞き覚えのある名前は幾つかあったが、最も衝撃があったのはマルコ・ボットという名であった。上位十名に入るような腕利きで、指揮役に向いていると同期からも評判のあった彼が、死んだという事実は誰もが受け入れがたいものだった。そして、そのマルコの遺体を発見した人物が彼の親友であるジャンだと知った瞬間に、の身体に戦慄が走る。
     ごめんなさいと、音にならない声で言ったところでどうにもならない。ジャンだけは、彼の最期を知らないままでいてほしかった。そうやって涙を堪えて震えるに気づいたのは、あろう事かジャン本人だった。

    「?」
    「……!?」

     作戦の後から、が何かに怯えているのは気づいていたジャンは、アルミンとミカサには「巨人に幾度も襲われたのだから当たり前」と言ったが、何もそれだけではないように感じていた。何かを隠しているような、忘れたがっているような。そういった思いを抱きながらこの場に立っていたジャンは、"マルコ"の名を聞いた瞬間のの反応を見て、理解してしまったのだ。
     彼女が、マルコの死に関係あることが。

    「お前、マルコの最期を……見たのか」
    「……っ」

     否定とも肯定とも取れない、涙を流すわけでもない。ただただ悲しみにくしゃりと歪んだ顔に、ジャンはそれ以上踏み込むことは許されなかった。

    「……何でもねぇ。気に、するな」

     そう言っての顔から視線を反らすジャンに気づかれないように、は流れた一筋の涙を拭った。



     壁内に閉じ込められた巨人の掃討作戦と遺体の回収が終わりを迎え、誰とも視線を合わせず無気力に過ごしていたの元へやってきたのは、調査兵団分隊長の一人として名高いハンジ・ゾエという人物だった。
     アルミンとミカサ、エレンと共にいた二人には最初に話を聞いたが、も幼馴染であることを聞いたハンジは、最前衛で戦う発声障害のある少女へと興味を示し、話を聞くべく声をかけたのであった。

    「知っていることはそれだけ?」

     設けられた席で向かい合わせに座るハンジと。口話の出来ない彼女のためにと卓上には筆記用具が用意されている。
     こくりと、が頷いた。会話の中で新たに得られた情報はなく、エレンの巨人化についてが知っていることは、アルミンやミカサと同程度かそれ以下でしかないだろう。
     役には立てそうにない。静かに頭を下げて席を立とうとしただったが、そんな彼女の腕を引っつかみ、ハンジは笑った。

    「君にも審議に同席してほしいんだけど、いいかな?」
    「……?」

     これから数日後に内地で行われる兵法会議で、エレン・イェーガーの動向、処遇の決定が下されるのだという。
     目の前のハンジを含む調査兵団の上官はエレンを正式な団員として迎え入れる方針であるのだが、憲兵団の連中はどういった手でくるかわからない。彼の処遇を決する場面に、また証人として立ち会って欲しいとの話があったが、はすぐには承諾できなかった。

    『私は 彼が巨人化した場面には 立ちあっていません』

     手元の用紙に、そう書き記したに、ハンジは大丈夫と言った。

    「ミカサと、アルミンだっけ? あの二人が、どうしても君も一緒にって言うんだよ」
    「……」

     心配されているということはわかる。アルミンではなく主にミカサが、駄々をこねているんだろうな、とも思った。
     エレンを最優先にしていた彼女は、ふと我に返ると思い出すのだろう。その次に優先すべき片割れの存在を。全くミカサらしいな、と思いながら、渋々とはそれを承諾した。
     数日後、審議所の前に案内されたに二つの影が近づいた。

    「!」
    「ああ、……! 良かった、怪我はない?」

     かなり久方ぶりに会った気がして、自分の身体を目視で確かめるミカサに安堵の息が漏れる。しかし、数日の静養でようやく平静を取り戻しつつあったの目に映ったのは、黙っていれば美人と評される片割れの顔にある深い切り傷だった。

    「!? ……!?」

     両手でミカサの頬を掴んで自分の方へ引き寄せる。頬の傷をなぞって、同じ顔が悲しげに歪む。一瞬何事かと驚いたミカサは、頬の傷に気がついて「ああ」と溜息を吐いた。

    「作戦のときに、少ししくじっただけ。……大したことでは、ない」

     まさか、一度目に放たれた赤の煙弾――作戦失敗、もしくは深刻な問題を知らせる色の信号弾を確認した際に、彼女の身に事が起きた証だろうか。
     出血自体は止まっているし、ミカサ本人が大丈夫と言っている以上は詮索する必要はない。わかったという意味合いを込めて小さく頷いて、上級兵に案内されるがままに審議所の廊下を進む。
     扉を開けて中へと入れば、既に重要人物たちは揃っていた。憲兵団、駐屯兵団、調査兵団の各トップに、続々と入室するのはウォール教の教祖に貴族の連中だ。
     少しの時間が過ぎて、静かになった審議所に、エレンが入ってくる。隣に平静を装って立っているミカサがぴくりと明らかな動揺の色を浮かべたのに気づいて、暴走しないようには姉の服を掴んだ。

    「さあ……始めようか」

     三兵団のトップであるダリス・ザックレー総統が席について、静かにそう宣言した。
     多くの人間の視線が一点に集中する。その重たい空気に軽い眩暈を起こしながら、少女もそれに倣い静かに呼吸を繰り返した。
     彼の生死が、今一度ここで改まる。その瞬間を、目に焼き付けるために。

    to be continued...





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