訓練兵は、三人一組になって巨人を誘き寄せるエサになる。不測の事態が起きた際には自己判断と自己責任で動くしかないと最初からわかりきっていたことだが、しかしどこか楽観視していたのだろうか。それまでに、エレンが何とかしてくれると。ミカサもアルミンもいるのだから、きっと、大丈夫だと。そんなこと、誰にも解りはしないのに。
「逃げるんだ、!!」
マルコの言葉に、は立体機動をフル稼働させた。
はじめは順調だった。マルコの的確な合図、指示によるものだとは理解していたし、彼と同じ班でいたことに安堵もしていた。しかしそれも、必ずしも上手くいくわけではないのだ。巨人を誘い込んで離散したその先に、もう一体の巨人がいたことに気づけなかったのは、他の巨人よりも体格の小さな三メートル級が、丁度良く崩れた民家の瓦礫の影に隠れていたからであった。
運良く、三人で一丸となって目の前の一体は倒すことが出来たものの、仲間だった兵士はの背後にいる巨人に捕食されてしまっている。これ以上の戦闘は無理だと判断したマルコは、討伐よりも逃げることを優先させた。無理に戦う必要はない。もとよりそういう作戦だったではないか。
「ッ!!」
トリガーを引いて、マルコが叫ぶ方へと立体機動装置を発進させる。焦りで力みすぎて、急に身体が引き寄せられて苦しかったが、それどころではない。
「大丈夫か、!?」
「……」
こくりと小さく頷いたのを確認したマルコは、ホッと安堵の息を吐いた。を追っていた七……いや、八メートル級の巨人は、民家の屋根に逃げたマルコとを視界におさめたが、それ以上追ってくることはなく、踵を返した。その方向が大岩――エレンがいる方角であることに、このときはまだ、二人は気づいてはいなかった。
「今のうちに、他の班に合流しよう。僕ら二人だけじゃ、巨人には勝てないだろう」
マルコの冷静な判断に、は従った。マルコは頭がいい。座学はアルミンほどではないが、十番内に入るほどだ。
彼の言葉は温かく、力強く、勇気をくれる。
窮地を脱したわけではないのに何故だか安心感を得たは、マルコから目を離すことなく彼の後ろを飛んだ。今度は決して、見失わないように。
「いた……コニーとアニだ!」
マルコの嬉しそうな声に顔を上げれば、そこには確かに二人の姿が見えて、も一瞬安堵したが、すぐにそれは疑問へと変わった。
(ジャンは……どこ?)
ジャン、コニー、アニで一組だったはずだ。リーダーであるはずのジャンがいないことに疑問を感じた二人は、急いでコニーのところへと向かう。
「どうした!?」
マルコがそう声をかける。アニはマルコを一瞥しただけで、すぐに反らした。否、反らしたのではなく、言葉にするよりも見た方が早いという判断だったのだろう。彼女が向けた視線の先には、ジャンの姿があったから。
「!?」
立体機動装置が故障して、彼は壁を上れないのだ。
傍にある死体から何とか装置を回収して取り替えようと試みているようだが、焦りからか上手くいっていない様子。仲間の窮地に、今一歩踏み出せないでいるコニーの脇を通り抜け、マルコは迷うことなく飛んでみせた。
「ジャン、落ち着け!!」
「マルコ!?」
巨人の目の前で地面へと降り立ったマルコに、ジャンが何をやっているんだと叫んだ。彼にしてみれば、自分のせいで誰かを殺してしまうのはもう嫌だと、そういう思いがあったのだろう。しかし、こちらとて同じなのだ。仲間が死ぬのを黙って見ていることなど、誰が出来るだろうか。
(それに、さっき、助けてもらったもの……)
今度は自分が返す番だと、もコニーやアニらと同じようにマルコの後に続いた。
立体機動装置を着け替え、馴染まないその機動に悪戦苦闘しているジャンへ迫る影。コニーがその巨人の頭へぶつかっていったが、それだけでは歩みは止められない。は体制を低く保ちながらアンカーを向かいの民家の壁に突き刺すと、巨人の両足の腱を削ぎ落とした。それだけで、暫くの間は動きを止められる。
「おい、コニー、!? ……何やってんだよ!!」
「どっちがだよ!! 早く飛べ!!」
コニーの叫び声に、ジャンは壁を登ろうとトリガーを引いたが、そんな彼の目の前に別の巨人が大口開けて飛んできた。それを静かに、とても静かに打ち倒したのは、アニだった。
仲間達の援助を受けてようやく巨人から逃げ延びたジャンは、荒い息を繰り返しながら「無茶しやがって」と言ったが、それはこちらの台詞である。
「無茶はお前だろ!!」
「生きた心地がしなかったぜ……」
珍しく怒鳴るマルコの声を聞いて、は"生きている"ことを実感し、大きく息を吐いた。
「お前も……無茶すんなよ」
「……」
お前に何かあったら、エレンとミカサに怨まれる。そう言ったジャンに、は袖で汗を拭いながら力なく笑った。
「……? なんだよ」
「はきっと、恩返しをしたつもりなんだよ」
ジャンはきっと、恩だなどとは思っていないだろうけれど、しかし助けられたのは事実だ。マルコの言葉にこっくりと頷いたに、ジャンは今度は小さく「ありがとよ」と礼を言った。
「……! あれを見て」
助かったと安堵するのも束の間、アニの声に顔を上げた全員が息を呑んだ。
『エレン……っ!!』
ズシン、ズシン。大岩を運び、一歩一歩壁の方へと歩いていく巨大化エレンを視界に納めたは、震えがとまらなかった。
先ほど赤い煙弾を見てアルミンが動いた。深刻な問題とは何かはわからないが、恐らく、アルミンかミカサが、もしくはその両名が、上手く援護したのだろう。
そこに自分の姿がないことには胸を痛めたが、そんな彼女の心情など考えていないジャンが叫ぶ。
「邪魔をさせるな!! エレンを援護するんだ!!」
顔を見合わせ、それぞれが巨人のエサとなるべく動き出す。エレンを、彼を守る。
(……わたしが死んでも、ぜったい、に)
先ほど巨人を攻撃した際に生じた衝撃で、の刃は既に毀れて鈍ら同然になっていた。これではもう戦えないということを、彼女は理解していた。その上で、この作戦を成功することに自らの命を捨てようと決意した。
巨人となったエレンの前を、多くの兵士達が立体機動を使わずに駆けていた。最も巨人に近いのは精鋭班の連中で、恐らくミカサやアルミンもエレンの近くに居るのだろう。を含むその他の兵士にできるのは、壁際に引き付けていた他の巨人が、エレンの元へ行かないように食い止めることだった。
(刃がもうない以上、逃げるしか出来ない……エレン、がんばって――)
結局最後はひとりなのだ。一体一体倒すには兵力と時間が足りない。固まって動けば狙い撃ちにされるのだから、それぞれが囮になって当初の役割を果たすほかないのだ。
「……っ!」
まずい。巨人から逃げた先に、もう一体の巨人がを待ち構えていた。即座に踵を返して走ったが、巨人の長く大きな手が、の足をがっしりと掴んだ。もがいても、強い力に抗えない。
(ああ、これまでか)
諦めたのではない。悟ったのだ。大口を開ける巨人に、全てを受け入れようと眼を閉じたとき、
「!!」
を掴んでいた巨人の腕を、誰かが切り落とした。
『……マルコ』
また、助けられた。
動けずにいるの腕を掴んで引き寄せ、庇うように巨人の前にマルコが立った。
「刃、もうないんだろ」
「!」
の方を見ないまま、張り詰めた空気にマルコはふうっと息を吐いた。やっぱりね、と。
「もうすぐエレンが作戦を成功させる。そうすれば、残りの巨人は固定砲で一掃出来る。……そういう作戦だったはずだ」
いつになく早口で喋るマルコに、何が言いたいのか理解ができない。そりゃ、作戦はそうだったかも知れない。しかし今は? こんな状況で、当初の作戦など意味はないのだ。
「キミは、逃げるんだ。絶対に此処から生きて……帰るんだ。エレンたちのもとへ」
「……ッ!!」
はようやく気づく。マルコは、自分を囮になどさせず、生かそうとしていることに。
この作戦に身を委ねる兵士の中に「死にたくない」なんて言う者はない。それだけ、今回の作戦に希望をかけているからだ。
それはも、マルコも同様だ。そのはずなのに、
(……なんで、)
開いた唇からは、乾いた空気が細く漏れた。どうして、と、理由を尋ねたかっただけなのに。それすらも、かなわない。
しかしマルコは、予測していたかのように、その問いに対する答えを口にした。
「キミには生きていて欲しいんだ。単なる我侭、だけど」
「……」
「あと、ジャンに会ったら伝えてくれないか。"自分が何をすべきか考えろ"って」
――あと、それから……
マルコは一度だけ、を振り返った。そして静かに、微笑んだ。
「僕も本当は……キミの声を、聞いてみたかった」
「……、……!!」
それだけ、だった。たったそれだけを口にして、マルコは巨人へ向かって走り出してしまったのだ。
最初で最後の、初めて告げられた"想い"。がアルミンへ、ジャンがミカサへ、伝えようか否かと迷っていたその思いを、マルコは悔いの残らないように伝えることを選んだのだ。それはきっと、これからも自分の居ない場所で生きていく彼女に、彼らに、自分の存在を忘れないでいて欲しいと願っているから。
『マルコ……っ!!』
叫んだ声は伝わることなく、茜の空に消えていった。