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     助かった、と深く息を吐く。それよりも考えるべきことはいくらでもあるだろうが、今が思うのはそればかりだった。
     何より、誰よりも臆病なはずの少年が命を賭して自分達を守った。その行動の全てにおいて、感動するとともに息を呑んでただ見守っていたは、突如現れた救世主――司令塔であるピクシスに強い感謝を抱いた。緊張がとけて、ぼろぼろと涙を零しながら崩れたアルミンの身体をミカサとともに両側から支える。しかしアルミンはすぐに「大丈夫だよ」と言って自分の力で立ち上がった。助かった。が、すべきことはまだ他にある。巨人化のせいで体力を消耗しすぎたエレンのもとへ向かったアルミンは、今度は自分が彼の支えになるべく、手を伸ばす。元々体力も力もないアルミンだが、今のエレンよりは大分マシだった。自分の足で歩くこともままならないエレンは、大人しくアルミンの手助けを受け入れる。彼の肩を借りて、司令の指示通りに壁の上へと向かう。

    「そうか、その地下室へ行けばすべてがわかると……」

     エレンはピクシスへと、自分の知る限りの情報を全て話した。本人も確証を得られない以上、全てを鵜呑みにすることは出来ないが、心に留めておいてくれるとピクシスは言った。全く信用されず殺されかけた四人にとっては、彼の回答はそれだけで十分すぎるほどだった。
     命の保障はする。そう言ったピクシスは、アルミンを振り返ると先ほど駐屯兵団に告げた言葉の意味を尋ねた。そして彼、アルミンもまた、エレンと同様に偽りなく、思いの全てをピクシスへと打ち明ける。エレンの巨人の力を以ってすれば、奪われたトロスト区の奪還も可能だと。しかしそれは、苦し紛れで突発的に思いついたことを言っただけで、エレンの地下室論と同様で確かな勝算はない。しかしそれを知って尚、ピクシスはエレンへと問いかける。それを行うことができるのか。否、やる意志があるのか。
     本当に自分に出来るのか。少し思い悩んだエレンは、必ずやり遂げてみせると言い切った。自信があるわけでもない。が、彼がやらねば今以上に被害が拡大するだけなのだということを、エレンは誰に言われるでもなく理解していたのだ。

    「よし、参謀を呼ぼう。作戦を立てようぞ!!」
    「え……!?」

     エレンとピクシスのやり取りに驚き、焦りを隠せないのは作戦を考えたアルミンだ。

    「そ、そんな。皮算用ですらない思いつきなのに……いきなり実用するなんて……」
    「俺もそう思ったが、多分作戦を実行する以前に根本的な問題があるんだ。ピクシス司令は、その現状を正しく認識してる」

     荒い息を繰り返すエレンは、壁から見渡せる街の惨状と巨人たちを忌々しげに見ながら言った。

    「敵は巨人だけじゃない」



     参謀を呼んで戻ってきたピクシスの命令どおり、アルミンとミカサ、の三人はピクシス直属の部下と共に作戦会議を行っていた。エレンは司令と共に全兵士の前で演説の真っ最中である。

    「巨人と戦う必要がない?」
    「す、すいません。一介の訓練兵が口を挟んで……」
    「構わん。話を続けたまえ」

     アルミンの考えは、巨人の大勢の人間に寄ってくるという本来であれば厄介な性質を逆に利用し、壁際におびき寄せることが出来ればという、言わば囮作戦であった。その作戦が成功すれば、大部分はエレンから巨人を遠ざけることが出来る。問題があるとすれば、大岩を運ぶ際に無防備となるエレンを守るため、少数精鋭の班を結成し、彼を守る必要がある。
     そこまで言って、アルミンは一度口を閉ざした。そして喋り続けて渇いた口内を唾で湿らして、「ただ、」といつもの不安げな顔をみせた。

    「この作戦は、エレンが確実に岩を運んで穴を塞ぐことが前提です」

     確証が乏しいまま作戦を決行することに疑問を感じると言ったアルミンに、上司である駐屯兵は淡々とした表情のまま言った。
     何も感じないわけではない。が、ピクシス司令の考えも理解できる。一つは今も巨人が街へ入り込んでいるという、時間の問題。

    「そしてもう一つ。人が恐怖を原動力にして進むには、限界がある……」

     実際、その通りだと思った。
     先の攻防戦で、目の前でエレンが巨人に食われるところを目の当たりにしたアルミン。
     エレンの死に絶望し、巨人の前に身を投げ出したミカサ。
     ガス補充作戦で、本部に入り込んだ巨人と対峙したや他の訓練兵たち。
     そのほか大勢の兵士の心には、既に巨人に対する恐怖や不安が積もっていて、それは他人にどうこう言われておさまるものでもない。案の定この作戦には乗れない、という兵士達で溢れかえる壁下を眺めながら、ピクシスが叫ぶ。巨人の恐怖に屈した者は、すぐに此処から去れと。そして、

    「自分と同じ思いを、親や兄弟、愛するものにも味わわせたい者も!! 此処から去るがいい!!」

     ぴたりと、兵士達の嘆き、喚き声が止んだ。そして去ろうとしていた全ての者が、最初と同じ配列で並ぶ。その姿を眺め見下ろしながら、ピクシスは四年前の話をした。
     四年前に行われたウォール・マリア奪還作戦について――それを聴いた瞬間、アルミンの目が見開かれる。唯一の彼の肉親で、五年前のシガンシナ脱出のときもアルミンとミカサの手を引いて歩いてくれた彼の祖父が、それに投入されたのを鮮明に覚えている。奪還作戦と体のいい言い方をしてはいるが、要は政府が抱えきれない失業者達の口減らしであった。しかしそのお陰で、残った達の食糧難が改善したことを皆が理解していたからこそ、誰も口にはしなかったのだ。
     ウォール・マリアの住人が少数派であったことで争いは表面化しなかった。しかし、今度ばかりはそうはいかない。このローゼの壁を破られれば次は人口の二割程度では済まず、最後のウォール・シーナの中だけでは残された人類の半分も養えない。人類が滅ぶのなら、巨人に食い尽くされるのが原因ではない。人間同士の争いによって滅ぶだろう。だから――

    「我々はこれより奥の壁で死んではならん!! どうかここで――ここで死んでくれ!!」

     ピクシスの演説に、震えながら涙ぐんでいる多くの兵士が、覚悟を決めたのだった。



     アルミン、ミカサ、は囮部隊に配属されたが、どうにも腑に落ちないミカサは目を悲しげに伏せた。一緒に行きたい。そう申し出たものの、何よりも作戦外の行動を拒んだのはエレン本人だからだ。
     またやる気を失くされては面倒なことになりそうだとは思ったが、どうやらその心配は無さそうだ。精鋭班のリーダーであるイアン班長が、ミカサに直々に精鋭班に入れと命令を下したことで、彼女の瞳は一瞬でどん底から光を取り戻した。

    「ミカサ、エレンを頼んだよ」
    「任せて。……アルミン、、気をつけて」

     ミカサの言葉に、は小さく頷いた。それから、他の囮部隊の連中と合流すべく走り出したアルミンの後ろを追いかける。部隊は幾つかの班にわかれ、それぞれ巨人を引きつける役割を担う。多くの巨人は手をかける必要はないだろうが、奇行種には注意すべきだろうか。気を抜いた瞬間、巨人の胃の中という事態だけは避けたい。

    「」

     アルミンとは班が別れる。自分の部隊の手前で立ち止まったに、アルミンが振り向き様に声をかける。

    「絶対に、もう諦めないから」
    「……」
    「君も、死なないで」

     死んだ方がいいなんて、もう思わないから。
     そういった意味合いを込めて言ったアルミンへ、は口元に笑みを浮かべた。
     エレンもミカサもアルミンもいない。だが、大丈夫、とは気丈に笑ってみせる。彼女が指差すその先には、マルコの姿があった。

    『マルコがいるから、大丈夫』

     自分に対するとアルミンの視線を受けたマルコは、照れくさそうに笑った。
     みんなと離れたって平気だ。今の自分たちには、頼もしい仲間がたくさんいるのだから。

    to be continued...





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