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     マルコの合図で全員が散弾を撃ち鳴らし、天井に待機していた七人がそれぞれの巨人目掛けて刃を振り抜いた。五人が討伐に成功したものの、サシャとコニーの踏み込みが甘く、致命傷にはならなかったようだ。

    「急げ援護を!!」

     ジャンが叫ぶと同時に動いていた二つの影をは視界の端で捉える。アニとミカサが、即座に二回目の刃を振り下ろし、何とか巨人の討伐は終えることができた。

    「全体仕留めたぞ! 補給作業に移行してくれ」

     ミカサがしくじるとは思っていなかったが、さすがに姉の身を案じていたは、ジャンのその言葉に脱力した。緊張の糸が切れたマルコも同様で、アルミンと他の同期生に支えられた二人は顔を見合わせて力なく笑った。みんな無事で、本当に良かった。いや、 "みんな"というのは語弊があるだろう。ここまで辿りつく為に、既に十余人が犠牲になっているのだ。ボンベにガスを補給しながら、は今更ながらに先ほどの恐怖を思い出していた。

    (生きてる……わたしはまだ、死んじゃいない)

     ボンベを両腿で固定して左手でガスの補給を続けながら、右手を見つめる。握って開いて、手も足も動くことを確認する。それだけで、生きていることを実感できる。
     一人で淡々と作業を続けていると、追加のガスを運んできたアルミンが背後からへ声をかけ、隣に座った。

    「……生きてる、んだね」
    「!」
    「僕、死んだほうがいいって……思ったんだ」

     エレンが自分の身代わりになって、こんな役立たずな自分は生きていても意味がないと思った。そう話すアルミンに、は息を呑む。もしもアルミンまでもが死んでしまったら、今度こそ自分達姉妹は、生きていく意味がなくなってしまう。

    『ダメだよ!』

     使い物にならない喉からは音は変わらずでないけれど、そう気持ちで叫んでアルミンに詰め寄る。ついガスボンベの蓋から手を離してしまい、シューとガスが漏れる音に慌てて手を戻した。声をかけれないことが悔しくて表情をゆがめたに、アルミンは困ったように笑う。

    「……」
    「はは……大丈夫だよ。もう、思っていないから」

     それはそうだ。皆が生き残ることができたのは、誰が何と言ったってアルミンの作戦のおかげなのだから。彼が役立たずであるとか、そんなことを言う人は絶対にいないはずだ。

    「正直、まだ信じられない……エレ、ンが」

     その後は、言葉にはならなかった。エレンが死んだということが信じられないというのは、ミカサやも同じ思いなのだから。

    「……行こうか」

     ガスを補給し終えたアルミンが立ち上がり背を向ける。しかし、歩き出そうとしたアルミンのジャケットをの控えめな指が掴んだ。慌ただしく撤退準備に駆け回る他の訓練兵たちを横目に、アルミンは「どうしたの?」と、そう問う。アルミンを見上げるの瞳が揺れている。彼女のガスの補給も既に終わっているはずだ。もう行かなくては、直に巨人達が入ってくるだろう。急がなくては、今度こそ喰われて終わりだ。返事のないに、アルミンは屈んで視線を合わせた。

    「不安?」
    「……」

     何に、とか、そういうことはないのだ。ただ、自分が此処にいることに対することへの不安、恐怖が今更ながらに積もりだす。五年前に決心したあのときは、ただ皆と離れたくないだけだった。こんな風になるなんて、思いもしなかったから。

    『アルミン』
    「ん?」

     彼女の声を聞いたわけではない。頭の良いアルミンはの唇の動きを読み取って、自分の名を呼ばれたことをすぐに理解した。そして、彼女が自分に何か訴えたいことがあるのだということも。

    「……」

     は無言のまま、胸ポケットから一枚の紙切れを取り出した。四つ折りにされたそれは、彼女がいつも抱えている座学のノートの一ページだ。作戦決行時に、邪魔になるからと部屋にノートを置いて一枚だけ忍ばせておいたのだ。
     ゆっくりと紙を開いて、アルミンは眼の前に晒されたそれを視線でなぞってゆく。決して多くはない次数。ただ一行、小さな彼女の文字でこう書かれていた。

    『いつか声が戻ったら。ちゃんと、自分の気持ちを伝える』

     それまでは死なない、という彼女の決意がその文字から見て取れて、アルミンは一瞬呼吸を忘れた。これは彼女の自戒なのだと。そして、は胸ポケットから更にペンを取り出し、時間がない中急いで文字を書き足した。

    『だから、待ってて』

     走り書きのそれを、アルミンは泣きそうな顔で読んだ。
     死にたくない。絶対に自分は死なない。だから死なないで、アルミンも、ミカサも、絶対に生きていて。

    「……もう、諦めないよ。絶対、最後まで希望は捨てないって約束するから……」

     死んでもいいやとか、死んでおくべきだったなんて、もうそんなことを二度と思ったりするものかと、アルミンは心に誓った。せめて彼女の、本当の声を聴くまでは。



     早くここから脱出しなければ。
     アルミンに手を引かれて外へ出たは、屋根の上で一人呆然と佇んでいるミカサを見つけて指を差した。それに気づいたアルミンはとともにミカサの元へ急いだ。早く逃げないと、と告げた彼に、ミカサは例の奇行種を見つめた。

    「あの巨人……」
    「うっ!?」

     もう限界なのだろう。身体の再生も出来ず、周りの巨人が群がって捕食していた。あの巨人の謎を解明できれば、この絶望的な状況を打開するきっかけとなるかもしれないのに、と呟いたミカサの言葉に同意したのは、以外にも彼らを追って屋根に上ってきたライナーだった。後ろにはベルトルトとアニ、それからジャンもやってきた。

    「とりあえずはあの巨人を延命させよう」
    「!? 正気かライナー!!」

     ライナー、ベルトルト、アニはミカサと同じ考えでいるらしいが、ジャンは信じられないと目を見張った。もしもあの巨人が見方になるなら、これ以上ない武器と言えよう。しかしそれは、本当に可能なことなのだろうか。

    「あ、あいつは……!」

     ジャンが喚く中、アルミンが一体の巨人を見つけて声を上げた。トーマスを食った奇行種だ、と。悔しそうに歯を食いしばる彼の横顔を、はただ見ているしかできなかった。声をかけようにも声が出ないのだから。しかし、そんなことを憂う暇もなく、驚くべき光景を目の当たりにする。

    「ガアアアアアアッ!!」

     自分に喰らいつく巨人たちになど目もくれず、振り払うように走り出したその巨人は、トーマスを喰ったという奇行種目掛けて突っ込んだ。再生できない腕はそのままで、相手の巨人のうなじに噛みついて殺した。何と言っていいかわからないほど、その巨人は強かった。回りの巨人を一掃し、倒れてしまうほどに戦い続けた。

    「さすがに、力尽きたみてぇだな。……もういいだろ、ずらかるぞ!」

     ジャンは吐き捨てるように言い、屋根を降りようとした。が、そこに見える景色に誰も動けずにいた。信じられない。隣でミカサが息を呑む音が、はっきりとの耳に届いた。

    「え……?」

     倒れて力尽きた巨人のうなじに、何か見えた。蠢きながら、必死に起き上がろうとしていたそれは、ヒトの形をしていた。そしてそのヒトガタは、自分たちの知る人物によく似ていたのだ。

    (え……れん?)

     誰もが声を出せず固まる中、ミカサがトンッと屋根を蹴って飛び降りた。巨人の元へ向かう。やがてその中から出てきたエレンらしきヒトガタを抱えて屋根に上ってくると、それを抱えてミカサは大声で泣いた。どうして、とアルミンも涙を浮かべながらエレンへと近づく。切断された手足がある。そう呟いて。

    (本当に? 死んだって、なんで……)

     いまだ混乱する頭を必死に振り払って、とにかく目の前の現実を受け入れようとした。エレンは、生きてる。鼓動もミカサが確認したし、息もしている。今は眠っているだけなのだ。泣き喚くミカサと、静かに涙を流しエレンの手をとるアルミン。その脇で、は声を出さずに涙を流した。

    「これをエレンが、やったってことなのか……?」

     屋根の下に転がる巨人の死体を見つめて、やっとそれだけを、ジャンが呟いた。

    to be continued...





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