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     二時間後、住人の避難は完了したと、撤退合図の鐘が鳴った。本来ならばそこで本部より補給班がガス補給のため合流するはずなのだが、その作業が行われることはなかった。本部に群がる巨人に恐れ、彼らは戦意喪失して任務を放棄してしまったのだ。コニーやサシャが必死に前進を訴えるが、それでも絶望に暮れた兵士達を動かすことはできなかった。同班であるクリスタやユミルらは残量のガスで壁を登ることができたのが幸いだ。もしかすると、救助を要請してくれるかもしれないと、淡い期待を抱く。まあ、誰もが救助が来ることを本当に期待しているわけではない。

    「! ねぇ、一緒に……」
    「……」

     誰に言っても同じことだと、どうしてわからないのだろう。
     声をかけてくるサシャに、は真っ直ぐに見つめ返した。誰もが絶望する中、普段から一口に馬鹿と言われるサシャとコニーは、懸命に仲間に訴える。あまり深く考えることをしないからなのか、元々持つ楽天的な思考ゆえか。とにかく羨ましいと思えるのだが、には皆を扇動するなどということはできない。ミカサがいれば別だが、彼女は今ここにはいない。それ以上には、死人のような目をしているアルミンに近づくことすら出来ないでいる。もしもミカサが此処へやってきて、エレンの行方を聞いたら……。そう考えるとぞっとする。いや、もしかしたら自分がそう解釈してしまっているだけで、アルミンからは違う返答がかえってくるかもしれない……なんて、有り得ない現実逃避に身を焦がす。だって、周りにはあんなにも巨人がいるのだ。

    (こんなにも近くにいるのに、なんで……)

     左胸がぎゅっと痛みを訴える。

    「くそ……こんなことなら、いっそ言っておけば……」
    「!」

     座り込んで頭を抱えたジャンの独り言を聞いた。それは、昨日までの自分の心境と酷似している。言ってどうなるの? そう尋ねたかったけれど、この絶望的な状況下ではあまりにも残酷なので止めておいた。

    (言ってどうにかなるなら、私だってとっくに言っている……現に、すぐ近くにいるのだから)

     きっと絶望に打ちひしがれている彼には、かける言葉なんてない。そもそも発声器官を失っている自分がかけられる言葉は何もないのだけれど、とはあえてアルミンから離れた場所にいた。
     不意に、周りがざわつく。

    「ミカサ!? お前、後衛のはずじゃ……!?」
    「っ!」

     後衛の任についたはずのミカサがこちらへと向かって歩いてくるのが見えた。返事をする代わりにはミカサの顔をじっと見つめる。ミカサなら大丈夫だと信じてはいたが、無事で良かった。そう安堵する。

    「どこにも怪我はない? ……そう。安心した」

     の全身を目視で確認したミカサは、こちらも安堵の息を吐いて、それから「エレンは?」そう聞いた。びくりと、肩が震えるのを必死にこらえて、は小さく首を振った。自分にはそれが精一杯の真実だった。

    「そう……アニは、エレンの班を見なかった?」

     大体の事情は察しているが。私情を挟んで申し訳ないと前置きして、ミカサはアニを呼び止めた。アニは知らないと言ったが、その背後でライナーが「向こうで同じ班のアルミンを見た」と言った。余計なことを、とは少し恨めしげな顔でライナーを見上げたが、恐らく伝わってはいないだろう。
     礼を言ってアルミンの元へ向かおうとしたミカサの服を咄嗟に引っ張る。一瞬目を丸くしたミカサだったが、は引き止める方法が思いつかず、ただ一緒についていくしか出来なかった。

    「アルミン! 怪我は無い? 大丈夫なの……?」

     ミカサはまずアルミンの怪我の心配をする。一番はエレンだと解っているが、もアルミンのことも、ミカサにとっては大切な存在だ。だからこそきっと、苦しかったんだ。居た堪れなくなったんだ。

    「……ッ!!」

     エレンは? そう尋ねられたアルミンが、まるでこの世の終わりのように絶望的な顔を向けたから。ミカサはそこで、察した

    「僕達……三四班――」

     アルミンが紡ぐ、同期生の名前。その最後に、エレンの名前も入った。

    「――以上五名は、自分の使命を全うし、壮絶な戦死を遂げました……!!」

     そんな、とか、三四班は全滅か、と憐れみとも恐怖ともとれる呟きがそこかしこから聞こえた。は予想通りの結果に固くきつく拳を握り締めた。ごめん、なんて。一番苦しいのはアルミンのほうに違いないのに。

    「……アルミン、落ち着いて。今は、感傷的になっている場合ではない」
    「!?」

     アルミンの手をとって立ち上がる。しかしミカサの目は、言動に反して光を失っていて。同じ血を通わせたにはそれがすぐにわかった。明らかに、動揺していると。

    (このままじゃ、ダメな気がする……エレン。どうして、ミカサを置いていったりするの)

     ミカサは剣を抜き、本部に群がる巨人どもを一人でも蹴散らしてみせると同期生の前で宣言した。周りが無理だと言うのも聞き入れず、彼女は一人先陣を突っ切る。続いてジャンが、ライナーが、ベルトルト、アニ、サシャ、上位の者が次々と巨人に向かっていくのを見て、それまでうずくまっていた百四期生たちは雄叫びを上げて立体機動を動かした。
     はアルミンやコニーと並行していたが、その視線はミカサしか見ていなかった。我を失っている彼女は、どこか危うい。声をかけようにも届かない自分の思いに、はもどかしさを感じずにはいられなかった。

    「しかしすっげぇな、ミカサは……どうやったらあんなに早く動けるんだ?」
    「……いや、」

     アルミンが小さく呟いた。コニーは気づいていないようだったが、の目から見てもミカサがガスを吹かしすぎているのは一目瞭然であった。

    (あ……!?)

     ぷつり。行動を見守るアルミンとミカサの目の前で、ミカサはガスを切らして転落した。

    「……っ!」
    「ミカサ!! ……!?」

     躊躇うことなくミカサの元へ向かうに少し遅れて、アルミンとコニーが続く。

    (今のミカサを一人にしておくのは、ダメだ……ぜったい、だめ!!)

     あまり得意ではない立体機動を駆使して、はミカサが転落した場所へと向かう。



     ミカサを発見したは、ガスが切れて地面に座り込んで目を瞑る半身に、背筋がぞっと凍りついた。

    (……私を、一人にするつもり?)

     エレンが全ての彼女にとって、エレンの死は衝撃的なものであったに違いない。しかし、彼女は自分のことも忘れてしまっているのだろうかと、は苦しさに唇を噛み締めた。

    (死なせは、しない)

     巨人がミカサめがけて拳を振りぬく。間に合わない、とが目を見開いた瞬間。ミカサは自身の反射神経のみでその攻撃をかわした。本人すらも、意図しない行動であったようだ。

    (やっぱり。望んでなんか、いないんだ。エレンが、いつも言っていたもの)

     勝てば生きる。戦わなければ、勝てない。死んでしまったら、大切な人を思い出すこともできないのだから。

    「……ッ!!」

     ミカサは目の前の巨人に刃を構えたが、背後からそれよりも大きな巨人が迫っていた。は躊躇せずに地面に降り、ミカサの手を取って向かい側の屋根に飛び移った。

    「!?」
    「!」

     ミカサが驚きを口にする。間一髪。そう思ったのだが、振り返った二人は目の前の光景に愕然とした。

    「ガアアアアアアアッ!!!」

     ミカサの背後にいた黒い髪の巨人は、人間であるやミカサに食いつくこともなく、ミカサを襲おうとしていた巨人を殴り、踏み殺したのだ。

    「な、んで……」

     そう呟いたミカサの一言に、はハッとして、姉の両頬を手で挟んだ。パンと音を立てて、少し痛みを覚えたミカサは、目の前の同じ顔の少女に目を見開く。

    「……」
    「、……!!」

     何を訴えているのか、声のない少女はそれを伝える術はない。しかし、ミカサには彼女の伝えたい言葉が何となくわかって、頭を下げた。

    『まだ私が、アルミンがいるのに! 一人で勝手に行動して、戦わずに死ぬなんて許さない!!』
    「……ごめん、あなたを置いていこうとして……でも、もう、諦めないから」

     少女二人が抱き合って互いの無事を確かめ合う中、アルミンとコニーが合流する。

    「ミカサ!! ガス切らして落っこちたろ? 怪我はない!?」
    「! まずい、十五メートル級が二体!」
    「いや、あの巨人は……」

     ミカサが呟いて、アルミンは消し炭と化したもう一体の巨人を発見したようだ。殴り合い、殺し合う巨人を見て、アルミンもコニーも困惑を隠せずにいた。

    「止めを刺した……弱点を理解して殺したのか!?」
    「格闘術の概念があるようにも思えた……あれは一体」
    「奇行種って言うしかねぇだろ! わからないことのほうが多いんだからよ……」

     とにかく此処を早く去ろうと言うコニーに、アルミンがミカサのガスの残量がないことを告げる。どうするんだとわめくコニーに、アルミンは迷うことなく自分のガスとミカサのものを交換した。

    「アルミン!?」
    「これしかない!!」

     ガスの交換を終え、刃も全て足したアルミンは、震える声で言った。

    「ただ、これだけはここに置いていってくれ……」

     生きたまま喰われるのだけは避けたい。自分が残って、死ぬのを前提に喋るアルミンに、もミカサも納得をするはずなかった。

    「……」

     が無言でアルミンの刃を捨てる。そんな、と絶望するアルミンに、ミカサは彼の手をとって力強く言った。先ほどの彼女からは想像できないほど、光の宿った眼差しで。

    「ここに置いていったりはしない」
    「え……」

     自分が生き残る想像を全くしていなかったらしいアルミンの手を、ミカサの手ごとが包み込む。みんなで絶対に、生きるのだと。

    to be continued...





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