ミカサは特別に精鋭部隊への配属を命ぜられたらしい。アルミンと別れて、エレンたちとは別の班になって。合流したコニーが「ミカサは精鋭班に大抜擢だってよー」と羨ましそうに、暢気にも話していたことで知ったのだが、一応は良かったと喜ぶべきだろうか。ミカサは何の心配も要らないだろうが、とりあえず後衛部隊ならば巨人に出会う確立も少ないので、生存率は格段に上がるだろう。と、は刀身ボックスから刃を抜きながら考えた。作戦なので仕方のないことだが、本来ならばか弱いアルミンこそ、下がっていて欲しいところだ――とも、は思っていた。
とアルミンの成績はのほうがやや体術の面において上。座学ではアルミンはずば抜けているものの、巨人と相対した際に優先されるのは身のこなしであることから、総合的に見てアルミンはよりも下の成績だった。それにしても団栗の背比べのように、どっこいどっこいではあるのだけれど。それ以上にアルミンは、優しくて臆病だ。どんなに追い詰められた佳境にあっても、非情になりきれないのではと思う。自分やミカサは、親しいもの以外はどうでもいいというような考えを正直持っているから。誰が食われていようと、自分は生き延びようと、そう思えるから。絶対に生きて、もう一度あの温もりを手に入れるのだと。の胸中にあるのはそればかりだった。
(大丈夫、かな……アルミン。大丈夫よね、エレンと一緒なんだもの)
そんなエレンは巨人を見ると見境なくなってしまう気がするが、直情型のエレンと頭のいいアルミンは、客観的に見てもバランスがいいコンビではないだろうか。慎重に行けば、巨人と戦うこともできるかもしれない、と前向きに考えることで、は自分の任務に集中することができた。
大丈夫、きっとまた、四人で。みんなで一緒に、外の世界を――そう、約束したのだから。
「おい、見ろよ」
「!?」
前進の指示を受けて、立体起動を駆使して屋根の上を走る班員たちだったが、ユミルの呟きにぴたりと足を止めた。隣のクリスタが、小さな体を震わせて目の前の巨体を見た。
「もう、巨人があんなに……!?」
「くっそ……やるかやられるか、じゃねーよな……やるしかないぜ!」
覚悟を決めた、と言わんばかりにコニーが目の前の三メートル級巨人を睨みつける。怖い、とは思う。けれど、ここで尻込みしていては勝てるはずがない。勝ちたい。そして生きたいと、は強く強くそう願っていた。
「うりゃああああッ!!」
コニーが振り抜いた刃が、巨人のうなじを切り裂いた。周囲の人間がごくりと唾を飲み込む音がやけにリアルに響く。巨人はぐらりと傾いたが、致命傷にまでは至っていないようで、ゆらりと立ち上がった。
「……ッ!!」
「おい、あいつ……まだ生きてるぞ」
「コニー!!」
ユミルの呟きとクリスタの叫びはほぼ同時で、が動き出したのはそれらと寸分違わなかった。自分の刃を最小限の動きで抜き、懇親の力で塞ぎかけている巨人のうなじを再度削ぎ落としていく。肉を裂く音が生々しくて、ぞくりと背筋が震える。気持ち悪い。倒れて動かなくなった肉塊を見て、あのときのようだ、と心の奥底で思った。
(似てる……父さんや母さんが死んだときと同じ。これはただの生ごみ……生きていない)
「あ、ありがとな……」
肉片と化したそれらを冷たく見下ろしながら立っているへコニーが礼を告げるとともに体勢を立て直す。は小さく唇だけを動かして「別に」と言った後、他の班がいるであろう方角を見た。ビュウ、と冷たい風が吹く中に、小さな悲鳴がそこかしこから聞こえてくる。耳を塞ぎたい衝動に駆られた。
「しっかしすげぇな、俺なんか一瞬ビビッて躊躇しちまったよ……。さすがミカサの妹って感じだな!」
「……」
何が凄いものか。無表情で切り裂いた肉の感触も、動かなくなっても笑顔を貼り付けたままの巨人も、見下ろすたびに吐き気が込み上げる。今も尚、刃を握る手が震える。怖い。誰だってそう思うのが当然だ。
(伝わらない、ものなんだな。他人から見て私は、そうなのか……)
ミカサと同じだと、思われているのだろうか。もしかして、彼らも――
(エレンもアルミンも、私をそんな風に思っているのかな。ミカサと同じように、私も大丈夫って、……けど、大丈夫だ。大丈夫に、しなくては)
言葉が話せないからこそ、伝わらないからこそ、都合の良いことも悪いことも存在する。今は少しだけ都合がいい。彼らが自分を大丈夫だと、頼もしいと思ってくれているのなら。それを現実にするために、多少の見栄を張って、果敢にも挑んでいこうと思えるのだから。そして、そうなればこそ、逆に生存率は上がるのだ。
(みんなは……無事かな)
一体何人が食われて、何人が生き残ることができただろうか。こわい、こわい、こわい。それがもし、自分のよく知る彼らであったなら。考えて、一瞬思考が停止する。
(……アルミン!)
何か予感がしていたわけではない。ただただ、怖くなって、任務中であるとかそんなこと関係なしに、会いたかった。会いに行きたくなったのだ。
「おい、!?」
「……チッ、単独行動は禁止だ。お前ら、あいつを追うぞ」
「う、うん!」
ユミルの言葉を合図に、班員たちがの後を追う。近くに巨人の気配はないのが幸いして、四一班の面々は以降巨人と戦わずしてウォール・ローゼの内門付近へと辿り着くことができた。
(アルミンは……どこ!?)
立ち止まり、辺りを見回すの後方からユミル、コニー、クリスタらが到着する。
「おい、自分勝手に行動するな。お前の私情を任務に挟まれたらこっちはたまんねぇよ」
「ちょっと、ユミル……」
「!」
ユミルからの注意を受け、は深々と頭を下げて謝罪した。それで彼女の気が治まったかは定かではないのだが、それを確認するよりも前に、コニーが場違いな声をあげた。
「おっ、あそこにいるのは、アルミンじゃねぇか!?」
「!!」
同期生がいたことが嬉しかったのか、真っ先にアルミンの元へと向かうコニー。やユミルもその後を追うが、なんだかアルミンの様子がおかしかった。屋根の上に呆然と座り込み、コニーの呼びかけにも応えない。他の班員はどうしたんだ、というコニーの問いかけに、アルミンはのた打ち回った。まるで、思い出すことを拒絶しているかのように。
「ど、どうしたんだよアルミン……!」
「もういいだろ、コニー。全滅したんだよ。こいつ以外は」
「! アルミンはまだ何も言ってないだろ!」
見りゃわかんだろ、とユミル。確かに、こんな巨人だらけの場所にアルミンだけというのは腑に落ちない。あのエレンが、アルミン一人を置いて進むとは考えられないからだ。
けれど、とういうことは、しかし。
(エレン……が……? まさか、でもそんなはず――)
コニー、ユミルやアルミンのやり取りを呆然と立ち尽くして眺めていたは、それでも信じられないとかぶりを振った。だが、その気配に気づいたアルミンが、やがてゆっくりと顔を上げ――少女を怯える目で見た。
「ッ!!」
まるで拒絶だ。アルミンは息を呑んですぐにから視線を外し、大丈夫かと手を差し伸べたコニーの手をとることもなくゆらりと立ち上がる。それから消え入りそうな声で呟いた。
「迷惑、かけた……後衛と合流する」
「……っ、」
すれ違う際にも、アルミンはを見ようとはしなかった。立体起動で去り行くアルミンの背中を視線だけで追いながら、は縋る思いで投げかける。
(どうして……ねえ、何故?)
――約束したじゃない。必ず今日を生き延びて、またみんなで一緒に……一緒にって。
「俺たちは前進の命令だ。行くぞ!」
仲間の一人が号令をかけ、四一班は再び前進する。悲しみに浸る余裕など、今は誰も与えてはくれない。悲しみに暮れるのは、まずは自分が生き残ってからだ。我らは人類のために命を捧げると誓った、兵士なのだから。