「俺は絶対、調査兵団なんてご免だ!」
「ジャン……そんな大声で言わなくても」
固定砲の整備を行うために分けられた小さな班。一年毎に班変えはあれど三年間やってきたこの作業も今日で終わりかと思うと何だか寂しい気もしてくる。マルコとジャンの会話を聞きながら、、ライナー、クリスタの三人は苦笑を浮かべていた。
「けど、実際のところはエレンの演説はかなり効いただろうな」
「?」
「うん、調査兵団に入ろうっていう人が、かなり増えたみたいだよ」
あの後、食堂の外へ出て行った四人は知らないが、ちょっとした騒ぎになっていたらしいことをクリスタとライナーから聞いたは、さすがエレンだと感心しつつも呆れていた。大々的にあんな宣言をして、相変わらず馬鹿だ。それと同時に、だからジャンが荒れているのか、と納得する。
「も、調査兵団に入るの?」
クリスタの問いに、正直に頷いてみせる。躊躇いなく答えたにライナーは「そうか」とややトーンダウンし、クリスタは「は強いね」と自嘲気味に笑った。二人の行動の意味が解らず、はただ訝しげに眉を寄せるだけで、とりあえず教官に見つかっては嫌なので整備の手だけは動かす。
(だって、私にはそれしかないから……)
たとえば自分が上位で、憲兵団を選ぶ権利を得たとして。現時点では安全といわれる内地へ移動したところで果たしてそれは安全だと言えるだろうか。不安ばかりが押し寄せて、きっと一人で生きていくなんて考えられないのだ。ミカサやエレン、アルミンと離れて暮らすなんてことは、今の自分にはありえない選択なのである。
「私も……調査兵団に入るわ」
「!」
「クリスタ!? マジかよ、お前まで……」
言い辛そうに決心を口にするクリスタに、マルコと話をしていたジャンが大きく反応した。小柄で少し臆病なクリスタは、憲兵団へ行くと誰もが疑わなかった。誰よりも優しい心を持つ彼女は、きっと憲兵団を正しく導いてくれるだろうな、とも思っていたからだ。
「私は、自分の安全より、誰かの役に立ちたい……だから」
「……クリスタ」
震えるクリスタに、ライナーが力強く「大丈夫だ」と言った。聞けば彼も調査兵団を志望するそうだ。屈強な体格で、彼こそ憲兵ではなく駐屯兵や調査兵として人類を導いてくれる人種だとは思った。それと同時に、昨日のエレンの演説が、こんなにも同期の心を動かした事実。数年前までは、調査兵団に期待など誰もしていなかったというのに。
(戦える……これなら、きっと勝てる)
そう思わせる不思議な力が、エレンの言葉にはあった。強く強く、皆がそう望んでいたのだ。しかしその瞬間、全てが否定されるかのように事は起きた。
「……ッ!?」
「何だ!?」
白い蒸気と熱風。そして鼓膜をつんざく轟音に、の脳裏には五年前の出来事がフラッシュバックした。
(同じだ……あの時と。この音は、壁が破壊された音。この蒸気は……)
大きな音に顔をしかめながら、必死に状況を分析する。
音のする方向から、事が起きたのは此処より更に南、ウォール・ローゼ南端の突出区画トロスト区の方向と推察。そこは、エレンを含む固定砲整備四班の担当区である。
「あっ、あれ!!」
南の城壁を見たクリスタが叫んだ。そこから顔を覗かせたのは、五年前の悲劇を起こした超大型巨人。人類の憎き敵。目を凝らせば微かに人影が見える。
(また、エレンが……)
すぐにでも駆けつけたい気持ちはあったが、この風圧では立体機動のアンカーを壁に刺すこともできない。耐えることが精一杯なのである。
風がおさまると、駐屯兵の一人がすぐさまやってきた。
「超大型巨人出現時の作戦は既に始まっている! 百四期生は直ちに本部へ戻るように」
「……はっ!!」
本部へ戻ると、すぐに三人の姿を探した。ミカサの姿はすぐに見つかって、ミカサはの無事を安堵した。
「!」
「……!」
エレンとアルミンは? 尋ねられて、わからないと首を振りつつも、恐らくはガスの補給を行っているはずだと指で示す。
「大丈夫か、アルミン!?」
「!」
ミカサと二人でエレンたちの方へ向かうと、聞きなれた声が飛び込んできた。エレンの心配そうな声に、アルミンは震える声で応えた。
「だ、大丈夫だ! こんなの、すぐにおさまる……しかしまずいぞ……」
現状では、縦八メートルもの大穴を塞ぐ術はない。穴を塞げない時点でこの街は放棄される――アルミンの見解に、背筋がぞっと凍った。ウォール・ローゼが放棄されたら、五年前と同じになったら、五年前の惨劇どころではなくなってしまうのだ。失うのは、人口の二割程度では済まないだろう。
「そもそも、やつらはその気になれば人類なんていつでも滅ぼすことができるんだ!」
「アルミン!!」
「っ!?」
「落ち着け……あの時とは違う。人類はもう、巨人なんかには負けない!!」
絶望に打ちひしがれるアルミンを我に返したのは、エレンの力強い言葉だった。何の根拠も無いのに、エレンは「負けない」とか「絶対勝つ」とか言うから、呆れつつも本当にそうなってしまうのではないかと錯覚してしまいそうになる。
(私だって、怖いんだけどな……)
ちらりと、隣のミカサを見る。真っ直ぐにエレンとアルミンを見たまま、微動だにしない彼女は一体何を考えているだろう。
「ごめん……大丈夫」
ぼんやりと二人の姿を眺めながら、は昨日アルミンと交わした話を思い出していた。今日を生き抜くことが出来れば、また一日の猶予ができる。夜になれば巨人は活動停止すると言われているからだ。それを諦めてしまえば、そこで全てが終わってしまうけれど。
(生き抜くんだ……ぜったいに)
今作戦では第四一班に所属。第一班のミカサや第三四班のエレン、アルミンとは離れてしまったが、同班には成績上位のコニーやクリスタ、それに戦闘技術の高いユミルもおり、少なからず心強いと感じていた。
訓練兵は全班中衛部を受け持つ。前衛を駐屯兵が担い、後衛には精鋭部隊が位置する。尚、先遣隊は全滅したとのキッツ隊長の言葉に訓練兵たちはざわついた。トロスト区奪還作戦とは言いつつも、奪還などという大層な使命は果たせそうにも無い。我々兵士がすべき任務は、住民の避難が完了するまで、このウォール・ローゼを死守することである。
「……」
解散し、すぐに動き出す者もいれば、目の前の敵に絶望する者、吐き出す者さえいる。そんな同期たちの心境をあえて知らないふりをして、は自分の所属する班を探して歩いていた。
「……!」
遠くからアルミンが走ってくるのが見えて、は足を止めた。先ほどはミカサがエレンを探している様子が見えたし、やはり皆、不安なのだろう。近しい友の傍に居たいと願うのだろう。それは自分にも言えることだけれど。
「ああ、良かった。作戦に入る前に会えて……」
「?」
何か用事があるのだろうかと思い次の言葉を待ったけれど、アルミンは「いや……」と言葉を濁して俯いた。特別何か用事があったわけではないようだ。
「これが最後かも、知れないから……」
「っ!」
アルミンの弱気はいつものことだったが、昨日の今日でそんな台詞は聞きたくないと思った。はアルミンの肩を力いっぱい掴んで、半ば睨みつけるように見つめた。真っ直ぐに見つめられたアルミンはたじろぎつつ、少女が何か言いたげなのは明白であったために反らすことなくそれに応えた。やや暫く見つめあった末に、はアルミンの手を取り、その掌に指先を滑らせた。
「……つっ」
そのくすぐったさに表情を顰めたアルミンだったが、頭の良い彼は直ぐ様の言おうとしている言葉を理解した。掌に少女が一つ一つ書いた文字を、心の中で読み上げる。
『わたしは あきらめない』
アルミンがそう言ったから。今日を生き抜こうと、そう誓ったから。だからは、自分も諦めないで戦おうと思ったのだ。
「……」
『一緒には戦えない。でも、信じてる』
今度は唇だけを動かしたの言葉を、全て読み取ることは出来なかったが、ニュアンスは伝わった。昨日とは立場が逆転して激励を受けたアルミンは、諦めかけていたその眼差しを、強いものへと変えていった。
「……大丈夫、だよね。エレンもミカサも……僕たち、生き残れるよね……」
当然、とは頷いた。絶対に生きてやる、負けたりはしないのだと。相変わらず少女のように繊細で、涙ぐむ少年に声の無い少女は笑いかける。頭を優しく撫でてやりながら、再び唇を震わせた。
『あなたも信じて』