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     今更ながら、そういえばどうして私に発声がないのだろう。巨人ですら、言語を有してはいないものの発声器官が存在するというのに。やはり私には巨人のエサとしての価値しかないから。だから、神様が人と通じ合うための手段を私から奪ったのかもしれない。

    「……はぁ」

     唇の端から空気が漏れる。珍しく私が発した"音"を聞いて、ミカサが振り返る。

    「どうしたの? 溜息なんて珍しい」
    『なんでもない』

     そっけない態度でそう返した私を咎めることなく、ミカサは「そう」と呟いてドアへと視線を送った。
     今日は人と会うことが億劫だと言った私に付き合って、ミカサは食事も摂らずに部屋にいる。申し訳ないから先に食べてきてくれとも言ったのだけれど、ミカサは頑なにそれを拒んだ。が行かないなら私も行かない……そうはっきりと意思を示した彼女に、泣きたくなるのを必死にこらえた。別に気分が悪いとか、誰それが嫌で同じ空間で食事をしたくないとか、エレンのように子ども染みた理由ではないのだけれど。いや、ただ気分的な問題でそんな行動をとる私はそれ以上に子供っぽいのかもしれない。

    「エレンたちは……もう食べたかな」

     ミカサが呟く。さあ、わからない。心の中で呟いたけれど、それが伝わったか否かはわからないまま、ミカサとの間には沈黙が流れる。数秒、数十秒、数分が経過した。互いに無言のまま、けれどそれが気まずくなる事はなく、ただ物思いに耽った。やがて、女子訓練兵の数名がぽつりぽつりと帰寮してくる。その中で、心優しい美少女として有名なクリスタが、私とミカサの姿を見て心配そうな顔を向ける。

    「二人とも……ご飯食べてないけど、大丈夫? どこか具合、悪いの?」
    「いや、大丈夫」

     ミカサが答えて、私は頷く。大丈夫だからと伝えれば、クリスタもそれ以上詮索することはなく「そう……」と引き下がった。そしてその背後から現れたユミルが、続いて口を開く。

    「そういや、外でエレンとアルミンが待ってたぜ。お前ら呼んで来いってうるせぇんだ。なんとかしろよ」
    「……エレンとアルミンが?」
    「!」

     右手親指を立ててドアの向こうを指し示す。何とかしろだなんて迷惑そうな口ぶりだが、その表情は心なしか楽しそうでもある。私たちは一度だけ顔を見合わせて、二段ベッドを降りた。



    「ミカサ! !」
    「エレン、アルミン……どうしたの?」
    「どうした、じゃないよ! 食事の時間になっても全然来ないし……」
    「何かあったのか?」

     まるでクリスタと同じような表情を浮かべるアルミンに、エレンもいつも以上に心配そうに情けない顔を浮かべていた。いつも怖い顔をしているが、彼もミカサと同じで、実は家族を失うことを恐れていることを、私は知っている。
     エレンの発言に、ミカサは私の方に視線を流しながら呟く。

    「私はなんでもないけど……が、誰にも会いたくないって」
    「……が?」
    「……、」

     エレンとアルミンの視線を向けられて言葉が詰まる。どう言い訳して良いか解らずに視線を足元に落とすと、二人は黙った。無論ミカサも黙ったままで、こんなとき、彼女が何を思っているかは全くわからない。少しの沈黙の後、アルミンが二歩だけ私の方へと歩み寄った。

    「……うん、そういうときも、あるよね」
    「っ!」
    「これ、こっそり持って来たんだ。……ごめん、一人分しか持ち出せなかったけど」
    「サシャが二人分食いやがったしな」

     まあ、そうだろう。時間通り食堂に来ない方が悪いのだ。そこは全く以ってサシャらしいと思う。しかし、決まりごとを破ってまでパンを持ってきたアルミンに、実際食べるつもりはなかったが、その気持ちが嬉しくて素直に頭を下げてからパンを受け取った。一人二つと決められたパンを、ミカサと分けてひとつずつ手にする。しかし何より嬉しかったのは、その理由を彼が詮索しなかったこと。今はそっとして置いて欲しいと思っていることを、アルミンは知っているようだった。

    「さて、用はそれだけだから。じゃあエレン、行こうか」
    「! ……」

     本当にそれだけだからと、アルミンはエレンと供に男子兵の寄宿舎へと戻って行った。エレンは、「本当に何ともないんだな!?」と、かなり疑っていたけれど。外傷はどこにもないこと、再度伝えれば、渋々ながらも彼は戻って行った。

    「、戻ろう。外は冷える」

     じっと彼らの背を見続ける私に、ミカサが声をかける。踵を返して寄宿舎内に戻る途中で私は考えた。きっとアルミンは知っていたんだろう。人には言うようなことではなくても、大したことない理由でも、当人にとっては大きな問題となることを。経験したことのある彼だからこそ、その人の望むものがわかるんだろう。

    (今は誰も、私に話しかけないで……)

     そう思っていたこと、伝わっていたのだろうか。ミカサでさえ明確な理由が不明だと言っているのに。
     ……不意に思ったのだ。食事の時間に、情報交換や雑談で賑わう食堂で、一人無音でスープをすする時間。居た堪れなくて、非常に遣る瀬無くて、食堂に行きたくなかった。今日だけだ。何もずっとじゃない。そんな私の思いに、ミカサはきっと微塵も気がつかない。双子とはいえ、彼女と私は似て非なるものだから。



    「……」

     深夜、こっそりと部屋を抜け出す。敷地内からの脱走は無論駄目だが、別に夜間寄宿舎を抜けるのを禁止されているわけではない。ただ、ミカサに見つかると面倒だからだ。ミカサと居るのは苦ではないけれど、今は、一人でいたい気分だったから。

    「……」

     ふーっと息を吐く。細く吐いた息が、白くなって空へと上ってゆく。

    「……?」
    「!?」

     そんな折、背後からかけられた声に一瞬びくりと肩を跳ね上がらせる。恐る恐る振り向けば、そこにはアルミンが立っていた。

    「驚いたよ。眠れなくて風に当たりに来たら、がいるから」
    「……」

     誰とも会わないと思っていたから筆記用具も持たずに黙り込んだ私の傍まで来ると、アルミンは夕方の出来事を思い返して口を開いた。

    「無理に喋る必要もないよ。誰にも会いたくないとか、話したくないって気持ち、僕にも少しわかるし」

     アルミンはそう優しく微笑んで、「そういえば」と続ける。

    「は、覚えてる?」
    「?」
    「僕の、夢」

     ああ、と空を仰ぐ。それから私は五年前の何気ない日常を思い返した。分厚い祖父の本を広げ、外の世界への思いを馳せた幼少期。少年達は広がる夢に目を輝かせ、少女達は夢の前に立ち塞がる現実を真っ直ぐに受け止めた。知らない世界を見てみたいという思いは同じなのに、私達は諦めた。

    「ミカサには止められたけどさ……やっぱり、僕は見てみたいんだ。外の世界」

     知ってるよ。小さく唇を動かしたけれど、アルミンはこっちを見ずに空を眺めていた。夜風は少し冷たくて、ぶるると身震いをする。

    「そうすれば、感動しての声も戻るかもね?」
    「!」

     少しの間の後、アルミンは笑って言った。時折私が無性に、自分の抱える障害について悔しくなることを気づいているみたいだ。

    「……なんて、そんな上手くいくはずないけどさ」
    「……っ」

     巨人と戦うということがどういうことか、誰よりも理解しているアルミンは、それでも私に情けない姿を見せないように、精一杯笑うんだ。昔から、ずっとそうだった。情けなくて、少し頼りない男の子。でも、ミカサがエレンを妄信するように、私の神様は間違いなく、アルミンだった。

    (早く、声が戻ればいいのに……そうすれば)

     この思いを、伝えられるのに。

    (せめて、どちらかが巨人に喰われてしまうまえに……)

     私は彼に、伝えたい言葉がたくさんあった。アルミンだけでなく、ミカサに、エレンに、自分自身に。そして今の仲間達に、たくさんの気持ちを伝えたかった。

    「だから、いつか一緒に……見に行こう」

     叶うはずのない約束だと思った。そんな都合のいい話、あるはずないって。だけど、月明かりに照らされたアルミンの笑顔が眩しくて。少しだけ、信じてみたくなった。

    (一緒に……私だって、一緒に見たいよ)

     五年前も、そんな話をしたね。私も見たい、みんなで一緒に見よう。いつか外の世界に――それでも、日常は無慈悲にも音を立てて崩れた。悪いほうへ悪いほうへ、進んでいく現実に絶望した。私はもう、どこへも行けないんじゃないかと思った。だけど、それでも。エレンもミカサもアルミンも、荷物でしかない私のことを、見捨てないでいてくれるから。それに甘えて、ずるずるこんな場所まで追ってきたどうしようもない子供のような私。

    「さてと、もどろうか」

     そう言ってアルミンが手を差し出すから。嫌悪して嫌悪して、もう止めようって何度も誓ったのに。いとも簡単に崩されるんだ。

    『……うん』

     そっと重ねた手からは、久しぶりの温度を感じた。

    to be continued...





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