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    「おかしいとは思わねぇのか? 巨人から離れるために、巨人殺しの技術を磨くっていう仕組みをよ」

     エレンが言う。憲兵団を志望するが故に必死に訓練に取り組むジャンに向けての発言だったが、ピクリとの手が一瞬動きを止めた。
     今日は、対人格闘術の訓練があった。二人一組となり、ならず者と兵士を決め、得物を手に襲い掛かってくるならず者から武術を駆使して剣を取り上げるという訓練だ。こんなものに意味があるのかと考えていたのは何もエレンだけではない。しかし体力面で劣っているにとって、この訓練は必要なものであったし、不要な訓練があるとも思えなかった。しかし、憲兵団を目指す賢い者たちは、この訓練を上手く切り抜けていた。真剣さは到底見られないが、この訓練は評価されないのでそれでいいのだろう。その中で、エレンがアニと何を話したのかはわからない。が遠目に見たのは、アニの格闘術によってエレンの身体が宙を舞う瞬間だった。

    (確かに、その通りだ……でも、それが人の本質なのだから、仕方の無いことかもしれない……)

     臆病で、浅ましくて、自分のことしか考えていない人間を、人類を、兵士となって守る必要があるのか。そんなこと解らないしどうでもいいことのように思う。自分とて、もしもエレンやミカサ、アルミンが居なければ、彼らと同等の考えしか持たなかっただろうから。

    「今更何言ってんだ。俺のためにも、この愚策は維持されるべきだ!」

     エレンはジャンを睨みつける。

    「ッ、このクズ野郎が!!」
    「うるせぇ、これが現実だ!!」
    「エレン、止めなよ!」

     エレンとジャンが立ち上がり、互いの胸倉を掴んで睨み合う。一触即発の二人に、エレンの隣に座っていたアルミンが慌てて立ち上がる。

    「止めなさい」

     続いてエレンの向かいに座っていたミカサが、その隣のも立ち上がる。幼馴染たちに止められて、母親に咎められたときのように申し訳なさそうに俯いたエレンを見て、ジャンが爆発する。

    「ふざけんなよてめぇ!!!」
    「離せよ破けちゃうだろうが!!」
    「服なんかどうでもいいだろうが羨ましい!」
    「はあ!? 何言ってんだ……」

     ミカサが止めに入ったことでミカサに恋しているジャンがキレたのだが、ミカサを見れば、もう好きにしたらいいとでも言うように、既に席についてスープをすすっていた。その切り替えの早さに呆れつつ、それに倣って座るべきか迷っていたはただ二人の様子を見守るしかできなかった。暫く睨み合っていた二人だったが、やがてエレンが動いた。ジャンの腕を掴み、足を払って転倒させる。

    「ってぇ……今何しやがった!?」
    「お前がちんたらやってる間に痛い目に遭って学んだ格闘術だ」
    「……っ」

     見下ろすエレンと、見上げるジャン。それだけでもう勝敗はついている。

    「楽して感情任せに生きるのが現実だって? ……お前それでも兵士かよ」

     タイミングを失って立ち尽くしていたの服の裾をミカサが小さく二度引っ張り、仕方なしにも席に着く。そのすぐ後だった。ガチャリとドアが開き、恐ろしい顔で有名なキース教官が顔を覗かせる。

    「今し方大きな音が聞こえたが……誰か説明してもらおうか」

     エレンとジャンが、そそくさと自分の席に戻る。誰も説明出来ずに黙り込んでいると、ミカサが手を小さく上げて発言する。

    「サシャが放屁した音です」
    「えぇ!?」

     またお前か、と呆れ顔の教官はそれ以上怒ることなく、「少しは慎みを覚えろ」と言い残して出て行った。咎められることのなかったエレンとジャンは内心ホッとしており、クスクスとそこら中から身に覚えの無いことで笑われるサシャはミカサの手を掴んで腑に落ちない様子で叫んだ。

    「何でいつも私のせいにするんですか!? ねぇミカサ、どうしていつも私ばっかり!!」
    「事無きを得たのだから問題ない……パン半分あげるから水に流してほしい」
    「ミカサ、それの……」
    「!?」

     平然と人のパンをサシャの口へ突っ込むミカサに、アルミンは呆れ、自分の食事が勝手に減らされたは愕然としたが、サシャの幸せそうな顔を見て、まあいいやと諦めた。



    「くっそぉ、エレンのやつ……」
    「お互い様だと思うよ、ジャン」

     それぞれ食事を終え宿舎へと戻る中、打ち付けられて痛む頭をさすりながらジャンがぼやいた。それに対してマルコの言葉も正論で、ジャンは俯いてそれ以上は何も言わないように口を閉ざす。

    「……それにしてもアレはねぇよ……ん?」

     頭を掻きながら、重い足取りで宿舎へと向かっていたジャンとマルコの足を止めさせたのは、二人の前に立っていたのは、困った表情を浮かべただった。

    「ミカサ、じゃなくて……ええと」
    「」

     どうにもミカサが頭から離れないジャンの代わりに、マルコがその名を呼んだ。戸惑いがちに二人の前まで来ると、は手に持ったメモとペンをマルコへと差し出す。借りてからだいぶ時間が経過していたが、マルコから急かすこともなく、またの方も機会がなく返せずにいたのだった。

    「え、ああ。忘れていたよ。別に使ってくれてもいいのに……」

     は首を振った。それからマルコに半ば強引にメモとペンを握らせて、彼が受け取るのを確認して、別のノートとペンを取り出した。それは、座学で訓練兵たちが使用するものと同じ物だ。

    「それは? もしかして、教官が?」

     今度は縦に首を振って肯定の意を示す。それからびっしりと文字が書き込まれたノートを開き、一番新しいページをめくった。それをマルコとジャンの方へと差し出す。自分には関係ないというように明後日の方向を見ていたジャンは、ちらりと紙面を覗き見て目を見開いた。

    『エレンのこと、嫌わないで』
    「!」
    『みんな、必死に生きてる。ジャンみたいな生への執着は、悪いことだと思わないけど。エレンも私たちも、大切なもののために戦っているから』
    「……」

     綴られた震えた文字に、ジャンは顔を歪める。そして申し訳なさそうにしながら、もう一言は書き加える。

    『エレンが突っかかって、ごめんね。痛くない?』
    「……ああ。何ともない」

     先ほどまで痛い痛いとぼやいていたジャンだったが、ミカサと同じ顔の少女に心配され、ほんのりを顔を赤らめながら大丈夫と言った。それを見ていたマルコは陰で笑いをこらえながら、「現金だな」と心の中で呟いた。それから、「良かった」と微笑んだは、

    「!」
    「は!? え、おい……!?」

     今書いたばかりの文章を――二人に見せたページを破り取って、半ば強引にジャンへと押し付ける。訳のわからないまま受け取ったジャンに背を向けて、は幼馴染の元へと戻っていく。

    「……おい、さっきジャンと何話してたんだ?」
    「……?」
    「しらばっくれるなよ。見てたんだからな!」
    「エレン、ダメだよ詮索したら……」

     食堂を出るなりジャンの元へ向かったの行動が面白くないエレンは、小声でに詰め寄った。慌ててアルミンが助け舟を出すものの、そんなのは関係ないとばかりに詮索を止めようとはしない。

    「ちょっと貸せ!」
    「あ、エレン!?」

     エレンはからノートを取り上げ、ページをめくる。目が痛くなりそうなほどに書き込まれたノートをパラパラとめくるが、どれもミカサや女子訓練兵とのガールズトークのようなもので、恥ずかしくなりそうな会話もあったがそれらは見てみない振りをした。最後のページまでめくったが、ジャンとの会話らしきものは見つからない。何も話していないのだろうか、誤解なのかと思いかけたエレンだったが、ページが破れた痕を見つけ、あっと声を上げる。

    「お前、破り捨てたのか……」
    「エレンの行動は読まれてる。の方が、一枚上……」
    「うるせぇ」

     ということは、自分に知られたらまずいことを話していたんだろうとか、そんなことをネチネチ言ってくるエレンには耳を塞いで聞こえないフリを続けた。そんな幼馴染たちのやり取りを見ながら、ジャンはこっそり、エレンに気づかれないようにから預かった紙を小さく四つ折りにしてポケットにしまいこんだ。

    『みんな、必死に生きてる』
    『エレンも私たちも、大切なもののために戦っているから』
    『嫌わないで』

     の綴った文章を部屋で読み返して、ベッドに寝転がりながら天井を見上げたジャンはふっと溜息にも近い息を吐いた。そんなこと、本当はわかっている。死に急ぎと言われているそいつの言葉が正論だということも、強い意志を持っているが故に弱い他人を許すことができないのだということも。しかし、だ。それでも自分は死ぬのが怖い。少しでも安全な場所で暮らしたいと思うのが普通なのであって、自分は決して卑怯なんかじゃない。そうじゃなきゃ――

    「……くそっ」

     そう思わなくては、心が罪悪感で押し潰されそうになってしまうから。

    to be continued...





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