07




     船で逃げてきた者たちは全員元食料庫であった避難場所へと集められ、一日に一個――それも全員分はない、少ないパンを受け取る。未だ眠っているエレンを起こさないよう、ミカサにエレンを託したアルミンはを連れて配給を受け取りに向かう。

    「やっぱり、人が多いね……」
    「……」
    「ああ、だが、食われた人を思うと、少ないほうじゃ……」

     自分の呟きに反応した声に顔を上げたアルミンは、祖父の姿に安堵した。両親の亡き彼にとっては、家族と呼べるのは祖父だけだったから。母を亡くしたエレンのことを思うと大声で喜ぶことはできないものの、それでも嬉しいのだ。

    「ほれ、お前たちの分だよ」

     祖父が、パンをアルミンとに二つずつ手渡した。待機しているミカサとエレンの分を含めて四人分。子供の分だと、先に貰っておいてくれたのである。

    「え、でも……おじいちゃんのは?」
    「わしは後で貰うとしよう。お前たちは早く持って行ってやりなさい」

     優しい祖父の声に促され、アルミンは右手にパンを抱えて左手での手を引いた。

    「良かった……もらえて。エレンは起きたかな?」
    「……」

     わからない。かなり消耗していたようだったから、とは無言ながらに考えていた。どれだけ憎しみを抱いていても、自分たちは子供なのだ。身体は休息を必要としている。

    「あ、いた。エレンも起きてるみたいだ」
    「!」

     元の場所へ戻ってきたアルミンは、こちらへと歩いて向かってきているエレンとミカサを見つけて叫んだ。

    「エレン、ミカサー!」
    「……アルミン」

     避難民の多いこの情景に、目を丸くして立ち尽くしているエレンが呟いた。

    「ほら、間に合ったよ。おじいちゃんが『子供の分だから』って貰っておいてくれたんだ」

     アルミンがミカサに渡し、エレンはからパンを受け取った。パンを持った四人の子供の後ろで、憲兵団の男が舌打ちをして去って行った。

    「なんだ、あいつ」
    「……仕方ないよ。この配給、たぶん人数分無いんだ」

     この小さなパンひとつで一日。それは、子供にとっても少ない。大の男の食事量としては、無いも同然だった。元々の食糧不足に次いで、避難民の多さ。壁の外側に住む人間は、巨人のエサとしての役割があるから、あまり大事にされていない。そんなのあんまりだとは思うが、力の無い子供にそのような主張が出来るはずもない。何より、自分たちは未だ国に生かしてもらっているのだ。何を言われても、這い蹲って生きるしかない。今は、だけれど。

    「ったく、何で他所者のために俺たちの食料を……」

     食料をめぐって争う避難民を眺めながら、先ほどの憲兵の男は回りに聞こえるようにわざと大きな声で、あってはならない言葉を口にした。

    「どうせ巨人が壁を越えたなら、もっと食って減らしてくれりゃ良かったんだ」
    「!?」

     何て、酷い。思ったけれど、その場に居た人たちは何も言わなかった。相手が憲兵ということもあっただろう。しかし、エレンだけは別だった。

    「これじゃ食糧不足が酷くなる一方だぜ……痛ッ!?」

     まだつらつらと悪態を吐く兵士の脛を、エレンが蹴り上げる。自分より大きな相手にも屈せず睨みつけるエレンだったが、集まっている憲兵二、三人に殴られて地に倒れてしまう。

    「何すんだこのガキ!!」
    「ッ!! 知らない、くせに……お前らなんか、見たこともないくせに!!」

     巨人が、どうやって人を食うのか。あんなにもおぞましいものは、他にない。エレンの言葉に、憲兵は少々たじろいだものの、すぐに黙らせようと手を振り上げた。が、アルミンが飛び出したことでその手が降ろされることはなかった。

    「ごめんなさい!! お腹がすいてイライラしてたから……だから、大人の人にこんな失礼なことを……本当にごめんなさい!」

     その騒ぎに、周りの大人たちの視線がざわざわと集まる。さすがの憲兵も居心地が悪くなったのか、「お前たちが生きていられるのは俺たちのおかげなんだから、敬え」と言い残して立ち去った。何もしない兵士が、自分たちのおかげなどとよく言ったものだ。

    「くっそ……誰が、あんなヤツらの世話になるか!」

     恨めしそうにエレンが呟く。場所を変えて、エレンの殴られた頬に濡らしたボロ布を当てる。水も少ないから、気休め程度にしか冷やせない。心配そうに見つめる三人の幼馴染になど目もくれず、エレンは「ウォール・マリアに戻る」と言い出す。本気なのか、とアルミンが表情を変える。その場に居た誰も、エレンの考えには賛同できなかったからだ。

    「本気だ! 俺は、壁の中で強がっているだけのあいつらとは違う……こんなもん、要らない!」
    「わっ!?」

     先ほど受け取ったパンを投げつけるエレン。何とかアルミンが落とすことなく手にとったが、エレンの表情は憎しみに溢れていた。じっとエレンとアルミンの様子を見ているミカサに反して、はミカサの後ろにそっと隠れる。

    「エレン、飢え死にしちゃうよ!?」
    「お前、悔しくないのかよ! そんなもん恵んでもらってるから巨人に勝てないんだ!」
    「無茶だよ!! 人類は壁の中で生きるしかないんだ! 無茶をすれば死ぬ……僕の父さん母さんみたいに!」
    「だからあいつらにペコペコするのか!? 恥ずかしくないのかよ!?」
    「今は、今はしょうがないよ!」
    「しょうがないなんて言い訳だ! だったらいつまでもそうやって、家畜みたいに生きろ! この――」
    「……!!」

     エレンとアルミンの口論が段々とエスカレートしていく。これ以上はまずい、と思い、ミカサの後ろに隠れていたがエレンの腕を掴んだ。

    「な、んだよ、」
    「……?」

     言い合っていても仕方ないとか、アルミンを責めても何も変わらないとか。そんなことを言いたかったのだけれど、開いた唇からは乾いた空気しか漏れなかった。必死に首を振って訴えるに、エレンのイライラはピークに達した。

    「何、だよ」
    「……、……!!」
    「何言ってんのか、わかんねぇよ! 喋れないんだから、お前は引っ込んでろよ!」
    「……ッ!」

     イライラしていたとはいえ、口を滑らせたエレンは、一番言ってはいけない言葉をに浴びせた。

    「……ふっ!」

     ミカサの鉄拳が、エレンの頬に炸裂した。

    「!!」
    「あ、!?」

     ショックで呆然としていたは、我に返ったようにハッとし、三人に背を向けて走り去った。痛みで冷静になってきたエレンは上体を起こし、冷たい視線を送るアルミンとミカサを見た。

    「いくらなんでも、言いすぎだ……僕は、良くても、は関係ない」
    「……俺の気持ちなんか、お前にもあいつにも、わからないだろ」
    「じゃあ、エレンは」

     アルミンは悲しそうに目を伏せて、口を開く。確かにエレンの気持ちはわからない。目の前で家族を巨人に食われる恐怖を、自分とは体験していないから。巨人の恐ろしさを、目の当たりにはしていないから。

    「エレンはの気持ち、わかっているの?」
    「!!」

     エレンが息を呑む。自分の気持ちばかり優先させて、彼女の不安など、微塵も考えていなかったからだ。

    「喋れないのは、のせいじゃない。エレンもわかっているでしょ? 言葉を伝える手段が無くて一番不安なのは、なんだよ」
    「……」
    「エレンは冷静じゃなかっただけ。お腹も空いてる……だから尚更、食べなきゃダメ」

     それまで黙っていたミカサはアルミンからパンをひとつ引ったくり、エレンの口に無理やり押し込んだ。

    「私たちは、街から逃げるのも食料を手に入れるのも、何一つ自分の力でやっていない。大事なのはまず、生き延びること……」

     エレンを飢え死になんかさせない。そう真剣な口調で言ったミカサに、エレンは涙を流す。家族であるに酷いことを言ってしまったと、後悔の涙とともに。

    「俺、を探してくる」
    「僕も行くよ。やっぱりが心配だ」
    「……さっきはごめんな、アルミン」

     パンを食べ終えたエレンが、の分のパンを手に立ち上がる。彼女も空腹のはずだ。どこかで倒れてやしないかと、心配になってくるエレンにアルミンも共に行くと立ち上がり、先ほどは言えなかった謝罪を口にする。

    「い、いいよ。それよりもを探してあげないと。今のは、何かあっても助けを求めることができないから」

     そう言って仲直りした二人を後ろで見ながら、ミカサも立ち上がる。歩き出した二人とは別方向を指で示し、

    「あっち」

     そう言った。
     エレンとアルミンは顔を見合わせてたずねる。どうして、わかるのかと。

    「そんな気が、するだけ。私とは、つながっているから」



    「!」
    「……!」

     ミカサの言ったとおりの場所には一人で座っていた。エレンはの分のパンを差し出して、素直に頭を下げた。

    「ごめん! 俺、苛立って……ほんとに、酷いこと言っちまった。ごめん、な」

     本心ではないのだと、心から謝罪するエレン。しかし、は困ったように笑って首を振るだけだった。そんなこと、思っていないのだと。

    「エレン、はそんな風に怒ったりしない」
    「え……?」

     ミカサの言葉に顔を上げたエレンは、丸い目で見上げてくるに、何と声をかけていいのか迷ってしまう。が、動き出したのはの方だった。エレンの手をゆっくりとり、その手のひらに人差し指をペンのように滑らせる。くすぐったさに耐えながら、エレンは一文字一文字心の中で読み上げる。

    『いっしょに つよくなろう』

     エレンは一人じゃないよ。ミカサもアルミンも、自分だっているのだと、伝えたくて。だけれど、言えないことが何よりももどかしくて、自分自身に腹が立ったのだ。居た堪れなくて、その場から逃げてしまうほどに。

    「……ああ、一緒に、生きような」

     強く、優しく笑ったエレンに、は元のエレンに戻ってよかったと安堵し、微笑んだ。
     人の気持ちはその人本人にしかわからないけれど。分かり合おうと努力することが大事なのだと、改めて知った日。

    to be continued...





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