04




     昨日、調査兵団の面々が勇んで壁の外へと向かって行った。壁の中で生きるしかないと諦めている大人たちから見れば彼らはただ飯食らいの役立たずでしかないが、夢や希望を捨てていない子供から見れば、彼らは勇者なのである。彼らのように強く、自由で在りたいと思うのだ。

    「そう、エレンが言っていたの?」
    「……」

     アルミンの言葉に頷く。エレンとミカサは、今日も牧拾いに出ていていない。アルミンは家に遊びに来ていて、外で洗濯物を干しているカルラおばさんには聞こえないように話をする。大人に夢の話がばれたら、咎められることはわかっているから。だけど私は、それすらも一種の戦いだと思う。大人の正論受け止めて、それでも尚自らの主張を通す。夢をかなえるために必要な、子供である私たちの戦いなのだ。エレンはまだ、気づいていないけれど。

    「人類はいずれ、外の世界に出るべきだ。……僕は弱いから何もできないけど、でも、いつかは……」
    『いつかって言いながら、百年たった』
    「そ、れは……」

     そうなんだけど。
     私の言葉にアルミンは肩を落とす。違う、別に彼の言葉を否定したいわけじゃない。ただ気になっただけ。アルミンの言う"いつか"とは、いつだろう。百年のときを経て培われてきた"いま"という時間。それを壊すには、きっかけとなる出来事が必要になるわけで。そのきっかけというやつが、どうにも最悪な事態にしか繋がらないような気がするのだ。頭が良いわけではないから、私には、よくわからないけれど。

    『ミカサが前に言っていた』
    「?」

     ――大切な"今"を失いたくないから、人はみな逃避する。私も、そう。

    『なら、守るための力をつけるしかないのにね』
    「!? 、何言っているの……?」

     この幸せな百年間の歴史を守るために、大人たちは外の世界へ出ることを禁じ、暗黙の了解とした。エレンは調査兵団に入って壁の外へ出たいという夢を実現させたいと思っている。アルミンは希望は捨ててはいないけれど夢を夢のまま終わらせようとしている。自分では何もしようとしていないから。ミカサはそんな夢を持つ二人の身を案じるあまり、頭ごなしに夢を否定した。この中で最も能力が高いのに、大人たちと同じ考えを彼女は持っている。でも私は、違う。上手くは言えないけれど、決してどれが正しいとかではない。ただどちらにせよ、生き残るためには、力が要るのだ。

    『わたしは、ミカサより弱い。でも、生きるためなら、何でもできる』

     ミカサとエレンが人攫いの男たちを殺せたように。あの時からミカサはとても強くなった。私はイェーガー先生に保護されて変わらずに生きてきたけれど、きっとできる。生きるためなら、ミカサをエレンをアルミンを、守るためなら。臆病に、人にへりくだって生きるのもいささか飽きた。私はもっと、強く在りたいと。本当はずっと前から、それを望んでいたのに。

    『でも、わたしはみんなと一緒にいたいから。今はこのままで、いい』
    「……」

     私の笑顔を見て、アルミンがどう思ったかはわからない。
     カンカンカン。ひとつ、ふたつ、みっつ……中央の鐘がけたたましく鳴った。まだ昼には少し早い。私もアルミンもおばさんも、それが何を指しているのかすぐに理解した。

    「……調査兵団が、帰ってきたんだ」

     アルミンの言葉に、私は静かに頷く。庭に立ち尽くしたままぼうっと空を仰いだカルラおばさんは、少し険しい顔をしていた。もしもエレンが調査兵になりたいなんて知ったら、おばさんはどんな顔をするのだろう。

    「……さて、と。そろそろお昼の仕度をしましょうかね。」

     カルラおばさんが洗濯を終えて、昼食の準備のために私を呼ぶ。もうすぐエレンたちが戻ってくるから、それまでに準備を済ませておかなくてはならない。私は立ち上がってアルミンを見た。アルミンは私の言いたいことを察したのか、力なく笑って口を開く。

    「僕は、今日は帰るよ。お邪魔しました」
    「……」

     頭を下げて、アルミンは家を出て行く。誘われる前に退散、といった様子だ。引き止める権利は私にはないから、私は『またね』と綴ったノートを右手に持って、左手を振った。それから台所へ向かって、カルラおばさんと食事の支度をする。おばさんの指示通りにてきぱき動きながら、私はぼんやり考える。調査兵団とは、何のためにあるのかと。彼らはどうして、人々のために命を落とせるのか。戦う彼らを「税の無駄遣い」と嘲るような、自分のことしか考えていない人々を守ることに、何の価値があるというのだろう。

    「……いい匂いだな」
    「!」

     考え事をしていると、穏やかな笑みを浮かべたおじさんが部屋から出てきた。シャツにネクタイをしめている。手伝おうかと声をかけてくれたけれど、私は首を振る。これは自分の役割だから。

    「エレンとミカサはまだ帰っていないのか」
    「ええ。またどこかで道草しているのだと思うわ。ミカサが一緒だから、大丈夫でしょうけど」
    「はは、そうだな」

     おばさんとおじさんのやり取りを見て、少しだけ気持ちが和らぐ。まだ、急ぐ必要はないのだと言ってくれているようで安心した。

    「先に食事にします? エレンたちはきっとまだ戻らないでしょうし」
    「ああ、では、そうしようか」

     言って、私はおじさんの食器を取り出しておばさんに渡す。細く長い指で受け取って、おばさんはスープをよそう。も一緒に食べるかと聞かれたが、エレンとミカサが戻ってから食べるからと断った。診療へ向かうおじさんが少し早めに食べ始めて、終えたところで、エレンとミカサは戻ってきた。

    「ただいま」
    「おかえりなさい」
    「遅かったのね、二人とも」
    「まあ、いろいろあって……」

     エレンが言葉を濁す。きっと調査兵団の凱旋を聞いて見に行ったんだろう。そのことについては特に突っ込むこともなく、おばさんはいつもより多く牧を拾ってきたエレンを褒める。肯定するエレンに、嘘、とおばさんは笑った。またミカサに手伝ってもらったのでしょうと。二人が戻ったことでようやく食事にできる、とおばさんは笑って、子供三人分のパンとスープを用意した。エレンはスープをがっつきながら、隣で身支度しているおじさんを視界に入れて首を傾げた。

    「あれ? 父さん出かけるの?」
    「ああ、内地へ診療だ。二、三日かかるかな」
    「……ふーん」

     おじさんは医者だから。数日帰らないのも何も特別なことではない。エレンは別段気にした様子もなくスープをまたスプーンですくって口へと運ぶ。無言でパンをちぎったミカサが、初めて口を開いた。

    「……エレンが、調査兵団に入りたいって」
    「……ッ!?」

     その発言には、場の空気が凍った。そんなの私は知っていたけど、今、ここで、まさかおばさんに言うなんて思わなかったから。

    「み、ミカサ!? 言うなって!!」
    「エレン!!」

     洗い物をしていたおばさんが、怖い顔でエレンに詰め寄った。

    「何を考えているの!? 壁の外に出た人類が、どれだけ死んだかわかっているの!?」

     おばさんは悲痛な声を上げる。確かに、調査兵団になるということは命を投げ出すということになる。今現在、それに見合う情報も得られないまま、人々はいたずらに命を落としているから。その現実を知る大人たちは、怖くて仕方がないのだ。だけど、エレンはあの時から変わらずに真っ直ぐなまま。

    「……わかってるよ!!」
    「だったら!!」
    「エレン」

     おばさんの言葉をさえぎって、おじさんが口を開く。どうして、外に出たいのかと尋ねられて、エレンはそれも正直に答えた。

    「知りたいんだ。外の世界が、どうなっているのか! 何も知らずに、壁の中で過ごすなんてイヤだ!!」

     それに、ここで誰も続く人がいなかったら。今までに死んだ人たちの命が無駄になる。

    「……そうか」

     エレンの言葉に、おじさんは浅い溜息を吐いて、椅子から立ち上がった。

    「船の時間だ。そろそろ行くよ」
    「ちょっとあなた! エレンを説得して!」
    「カルラ。人間の探究心とは、誰かに言われて抑えられるものではないよ」

     扉を開けて、家を出る前。おじさんはエレンに向き直って、首に下げた鍵を取り出した。

    「エレン。帰ったら、今まで秘密にしていた地下室を見せてやろう」
    「!! 本当に!?」

     先ほどまで怒った顔をしていたのに、急に笑顔になって外まで父親を見送るエレン。おじさんが見えなくなってから、おばさんが再び真摯な口調で言う。調査兵団なんて馬鹿な真似はダメだと。

    「馬鹿だって!? 俺には、家畜でも平気でいられる人間のほうがよっぽど間抜けに見えるねっ!」

     そう言うなり飛び出して行ったエレン。無言のままエレンの後を追おうとしたミカサと、何も言えずに立ち尽くしている私の肩を抱き寄せて、おばさんは言った。

    「ミカサ、。……あの子はだいぶ危なっかしいから、何かあったらみんなで助け合うんだよ」
    「……うん」
    「……」

     私とミカサは大きく頷いた。ミカサはすぐにエレンの後を追って、私も追いかけようとしたけれど、少し躊躇っておばさんを見た。

    「? ……どうしたんだい、」
    『何でも ない 行ってきます』

     このとき感じた違和感を、私は口にすることは出来なかった。なぜだろう。ただ、エレンとミカサに続いて、徐々に加速しだした私の背中を見つめていたおばさんの気持ちなど、子供の私には全くわかる由も無いのだけれど。

    to be continued...





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