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     夜になると、あの頃のことをよく思い出す。弱かった自分が守れなかったものを、悔しさと絶望と、葛藤を繰り広げる。今も強くなったとは到底言えないけれど、それでも彼女に、誇れる自分でありたいと思い続けた。
     幼馴染のエレンやミカサと共に訓練兵に志願したアルミンは、やはり先の二人と比べると体力も無く、一日の訓練を終えると動けないほど疲れてしまう自分を情けなく思っていた。夕食後、ベッドに放り投げた身体から力が抜けて、ぼんやりと天井を眺める。思うように身体が動かないって、そういえば彼女も言っていたっけ。自分が見捨ててしまったもう一人の友人を想い、眼を閉じる。
     好きだったのだ。弱い自分でも、守らないといけないと思わせてくれる彼女のことが、とても。同じ夢を見て、望んで、応援してくれた。笑わないで聞いてくれた、彼女のことが。しかし、弱い自分はエレンのように動くことは出来なかった。引き止めた大人のせいにして、心のどこかで死なずにホッとしていた自分に気づいて愕然とする。最低だ、と思う。本当は彼女のことを思い出す資格すら有りはしないのだ。
     制服の胸ポケットから木彫りのお守りを取り出して、強く握り締める。必ず、調査兵団になってみせる。それが、彼女への唯一の償いになると信じて。

    「……」

     ――なあに? アルミン。

     幻聴が聞こえる。溢れそうになる涙を堪えながら、両腕で顔を隠して上ずった声で呟くように懺悔する。別に、涙したところで誰に見られるわけでもないのに。

    「ごめん、僕、本当に……、君が、好きだったんだ……」

     ――……うん、わたしも、好きだよ。

     再び幻聴が聞こえる。しかも、随分と自分に都合のいい幻聴だ。まさかもう半分くらい、夢を見ているのかもしれないな、とぼんやり思う。

     ――あれ、アルミン?

    『寝ちゃったの?』
    「!?」

     しかし、今度ははっきりと耳元で聞こえて、アルミンは勢いよくベッドから身体を起こした。そして目を開いて、袖で涙で濡れた目を擦る。歪んだ視界が段々ハッキリしてくると、そこには確かに彼女がいたのだ。

    「……?」
    『うん』
    「なんだ、これ。やっぱり僕は、夢を見ているのか……?」

     本当に都合がいい。幻聴でも妄想でも夢でも、に合わせる顔などどこにもないのに。
     気まずそうなアルミンに気付いてか、は柔らかく微笑んだ。アルミンが大好きだった、いつもの彼女の笑顔で。

    『やっとこっちを見てくれたね、アルミン』
    「え……?」
    『いつも傍に居たのに、全然気付いてくれないんだもん。わたし寂しかった』

     その時アルミンは、の身体が、透けていることに気付いた。窓から差し込む月の光が彼女を照らして光っている。

    「ゆ、幽霊……?」
    『そうみたい。実感はないんだけど、巨人に食べられてからこうなったから、たぶんそう』
    「巨人、に……そっか、そうだよね……」

     やはり彼女は、巨人に食べられていたのだ。それを聞いて再び険しい顔をするアルミンだったが、反しての声は明るい。

    『でも、ね、この身体になったら、苦しいの無くなったよ。熱も出ないし』
    「……」
    『あ、だけどごめんね、アルミンの宝物の本、返せなくて――』
    「!」

     苦しい。今とても苦しいのは、アルミンの方だった。

    「……あの時僕は、君を見捨てたんだ。行かなくちゃって思った。だけど、身体が動かなくて……今更、君にかける言葉が見つからない」
    『アルミン……?』
    「なんで、僕の前に現れたんだ……責めて、るの?」

     アルミンは恐れていたのだ。あの日見捨てたは、自分のことを恨んでいるのではないかと。一緒に行こうと都合のいい夢を押し付けて、無理やり希望を持たせて、そのくせ最終的に裏切った。最低な自分のことを。

    『……アルミン、わたしが前に言ったこと、覚えてる?』
    「え? 何の、こと……?」
    『透明人間になれたら、いいのにね』

     ――透明人間になったら、きっと壁なんかスーッと通り抜けちゃえるわ。それに、巨人に食べられる心配もないじゃない。

     アルミンはそれを非現実と言った。けれど、心の奥ではしっかり思っていたのだ。そうなればいいな、と。
     彼女との一番楽しかった記憶を掘り起こしたアルミンは、未だ理解が追いついていない思考のままを見た。彼女は笑顔だったが、どことなく寂しそうでもあった。

    『せっかく透明人間になったのに、壁を越えることはできなかったよ』
    「!」

     彼女の発言に、アルミンは息を呑む。

    『アルミンの傍を離れたら、真っ暗なの。結局わたしは、ひとりじゃどこへも行けない……』
    「……」
    『海、見たいって思ったんだけど。一人じゃ、ね。越えられなかった……』

     泣きそうなのことを、死んだときのまま幼い姿の彼女のことを、頭を撫でて慰めてあげたいと思った。しかし、伸ばした手は彼女に触れることはなく、アルミンは彼女の死という現実を叩きつけられた。
     それでも、涙が出そうなのを必死で堪えて、にかける言葉を探していたアルミンは、考える前に自然と口を開いていた。

    「だ、大丈夫! 僕が、いつか必ず……連れて行ってあげるよ」
    『アルミン?』
    「僕は調査兵団に入る。そして絶対に、外の世界に行く方法を見つけてみせる。……そのときは、一緒に行こう、」

     だから、許されるなら。願わくば、一緒に。

    「こんな弱い僕だけど……傍に、いてくれる?」

     これは破壊されたマリアが与えてくれたチャンスだ。挽回する機会を逃したくは無いと、アルミンはただそう思った。
     一緒に行こう。きっと、海も空も、見たことのない動物も、全部見せてあげる。あの本が無くたって、夢はいつだって自分の心にあるのだから。

    『嬉しい。わたしも、ずっとアルミンの傍に居たい』

     大好きと、半透明の彼女が笑った。

    End





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