

初めから恋だった

※ これの続き。
野球選手になるのが夢だって言ってたね。中学校でも頑張って練習を続けていたよね。私、今もずっと応援してるの。
高校では寮に入ったと聞いたけど、周りの子とは上手くやっているのかな? 中学と高校だと、やっぱり練習はきついの? バイクの免許はとれた? 連休だね、会いに行ってもいい?
二年前の途切れたままのメールボックスを見ながら溜息を吐く。嘘吐き。バイク乗れるようになったら会いに来てくれるって言ったのに。教習所に通っているところまでは聞いたけど、それきり連絡がこなくなってしまった。こちらのメールは届いているようなのでアドレス変更とかじゃないとは思うのだけど、連絡がこないまま二年が経った。彼は私のことなんて忘れてしまったのだろうか。
野球に全てを賭けていて、誰よりも一生懸命だった。そんな彼を私は応援していて、だけど途中で転校することになって、当然高校だって違う。いま通っている学校には彼ほど応援したいと思える人はいないので、私は今も忘れられないでいる。他のことに夢中になれたら忘れられるのだろうか。いや、きっと変わらない。彼に出会ってしまったからこそ私は、今もこうして気持ちを持て余しているのだ。
「……」
あの人はどんな顔をするだろうか。急に訪ねて来た私を、どんな目で見るだろうか。
もっと早く、会いに来れば良かった。だけど中々踏ん切りがつかなくて、だけど今年の夏が最後のチャンスだと思って私は、お小遣いを貯めて電車に乗った。箱根学園。荒北靖友くんに会うために。学校は、初めて仮病を使って早退した。
箱根学園――通称箱学の校門に立ち、辺りを見回す。敷地が広いから、適当にうろついていたら迷ってしまいそうだ。誰か、道を教えてくれるような優しそうな人はいないだろうか。そう思って辺りを見回せば、向こうの方に一人の生徒を見つけた。ぴょこんと跳ねた癖っ毛で愛嬌のある顔立ちをした男の子。
「あの、君、ちょっといい?」
「……はい?」
短い言葉で呼び止めて、彼の視界に映る。自分にかけられた声に一瞬驚きつつも、私の姿を認識した少年はにこりと微笑んだ。
「わ、お姉さん他校の人ですか? もしかして自転車部の応援? 誰かの知り合いとか」
「自転車部? いえ……私は野球部に行きたいの。場所を教えてもらえます?」
尋ねると、彼は「そっかぁ」と残念そうな声を出しつつも然して気に留めた様子はなく、しかし困ったように笑顔のまま眉尻を下げた。
「すみません、俺、他の部活はよく覚えてなくって」
他の人に聞いてみますね。そう言って彼は、先ほどの私のように周囲を見て、あっと小さく声を上げた。
「すみませーん、野球部の部室ってどこでしたっけぇ?」
彼が声をかけたのは、黒い髪で背の高い人。同じ方向へ足を向けていたので、どうやら同じ部活に属しているようだ。自分に話しかけられているとは思っていないその人は、反応することなく真っ直ぐに歩いて行こうとする。再度、私の隣にいた男の子が声を発しながらその人の元へと走り寄って行く。
「あらきたさーん」
「……え?」
その名前に、私は呆けた。更に、
「あァ!? ウッセーヨ、野球部なんざ知るか。大体何で――」
そう言って振り返ったその人もまた、私を見て絶句していた。
「野球部……知らないって、関係ないって、靖友くん何で……」
「……、」
私が会いに来た荒北靖友くんは、野球部じゃなくて自転車部の部員になっていた。辛そうな顔で「なんで来たんだヨ」って言う靖友くんに、私はいつも通り「応援したくて」って言った。それからもう一度、どうしてって聞くと、靖友くんはぶっきらぼうながらも教えてくれた。練習のし過ぎで肩を壊して、野球部を辞めたこと。それからやさぐれて無気力だった自分に活を入れてくれた人物が、現在の主将さんだってこと。あとは、野球部である彼を応援していた私に対しての後ろめたさから、一切の連絡を絶ってしまったことも。
「……ごめんね」
「何でチャンが謝んのォ」
私、きっと最初から間違っていたんだ。靖友くんが悩んで傷ついていたことも知らずに、野球部頑張ってなんて脳天気なメールを送りつけて、連絡がないことに苛立って。靖友くんのこと、全然考えていなかった。
「もうイイヨ。俺だってチャンが悪いなんて思ってないカラ」
「靖友くん……」
「だから、もう来んな」
「え?」
靖友くんが告げた言葉に、私は息を呑む。
「野球部の俺はもう居ねぇんだから、俺に会いに来る理由はもうないデショ」
その言葉に、私はやや逡巡する。そうなの? 本当に私は、それだけだった?
……違うよって、脳の奥で過去の私が笑った。
「私、靖友くんが会いに来てくれるって言ってくれて、とっても嬉しかった」
「……野球部の俺が、ネ」
「ううん、違うよ。もちろん野球をしていた靖友くんはとっても格好良かったけど、きっとそれだけじゃないの」
私は人が何かに打ち込む姿がとても好きで。靖友くんの真剣な表情に惹かれて、ずっと応援していて。靖友くんが野球部じゃなくなったって聞いて少し残念に思ったのは事実だけれど、それでも私の目には靖友くんが格好良く映るのだ。
「私が好きなのは、野球部の靖友くんじゃなくて、靖友くんが頑張っていたから野球が好きだったんだと思う」
「……ン?」
「今ね、すごい、自転車競技が見てみたいなって思うの。私、靖友くんが好きだから!」
きっと初めから、そうだったんだと思う。私が口早に言うと、靖友くんは目を見張り、真っ赤な顔でキョロキョロして、隣の後輩の男の子と目が合って「良かったですねぇ」とニヤニヤされていた。あ、そういえば私は彼に道案内を頼もうと思っていたのだった。すっかり忘れてた。
「荒北さん、返事してあげないんですか? きっと人生最初で最後のチャンスですよ」
「っせーな! 余計なお世話ダヨこの不思議チャンが!」
不思議チャン、と言って、彼の頭から飛び出た一房の髪を掴む靖友くん。後輩くんはあははと笑いながら、怒られたことも全く気にせず「それじゃお先に行ってますね」と退散した。二人残されて、靖友くんはゆっくりゆっくり私の方に向き直る。
「……ホントに?」
「うん」
「後から状態とか言わナァイ?」
言わないよ。なんでそんなに疑うの?
「私、そんなに嘘吐きに見える?」
心外だという風に笑えば、靖友くんは私の腕を掴んで引き寄せた。それから私の体を抱きしめて、耳元で囁くのだ。
「……やっぱりナシとか言われたら、俺死んじゃうカラ」
「言わないよ。靖友くん大好き」
長い長い夢が途切れて、新しい夢に出逢える。生きている限りそれは当たり前のことで、無知で幼稚な私はその当たり前を理解していなかったのだ。
夢の終わりは夢のはじまり。
私は今日、それが恋だったのだと知った。
End.

