Story

    お礼は君の愛でいいよ−中編−




    ※ これの続き。


     空腹感は全く感じないわけではなかったが、多少はマシだった。あんパンって割と腹に溜まる。以前にも一度だけ昼飯を食べ損ねて部活中に倒れかけたことがあってかなり辛かったから、正直本当に助かった。
     ほとんど喋ったことの無い女子だった。他のクラスメイトも、俺からも互いに進んで関わろうとはしていないのに、話しかけられるなんて思っていなくて驚いた。しかも、もっと早く起こせば良かったのに、と申し訳無さそうに言ってくる彼女に疑問を抱く。どうして、関係ないはずだろうに。
     インターハイ頑張って、なんて、まだ県予選にすら出ていないのに……まあ、負ける気は更々ないが。多分自転車になんて興味もなくて、ロードレースを見たことだって無いんだろう。それなのに、どうしてか彼女の言葉が脳で反響する。渡されたパンの袋とともに触れた指先が少しだけ熱くて、その熱が伝染したように何故だかとても気分が高揚した。いつもより気合が入りすぎて、純太から「トバしすぎだぞ」と注意を受けるほどに。

     放課後、彼女の方へと自然に視線を向けていると、、と友人に名前を呼ばれていた。ああ、確か、という名前だったか。あまり会話のない同級生の名前はあまり覚えていないし、パンをくれた手前「お前は誰だ」とは言えなくて。下の名前を聞いて、進級して最初のホームルームで自己紹介した時のことを思い出す。鳴子のように騒がしいわけでも俺みたいに無口なわけでもなく、小野田のように臆病でもなく。極々普通の、どこにでも居そうな女子。そこそこ友達がいて、ふざけることも真面目に授業を受ける姿もあった。後半は午後の授業中に気になって視線を送りながら、彼女に抱いた印象だ。

     何か礼をと思ったが、何とはなしにポケットをまさぐって手で掴んだのは前に鳴子から貰った小粒の飴玉で、さすがにこれはないなと思い、出さなかった。は大したことじゃないからいいなんて言っていたが、俺からしてみれば自分の失態で昼を食べ損ねるところだったのに起こしてもらった上、パンを恵んでもらった。それに応援までしてくれて、何だか至れり尽くせりだ。ただの親切心で社交辞令だったとしても、俺はとても嬉しかった。

    「純太、相談したいことがあるんだが」
    「ん、なんだ? 珍しいな、今度の練習メニューか?」

     部活終わり、後輩達が帰宅した後で部誌を書いていた純太に声を書ける。ペンを止めて振り向いた純太はそんなことを言ったが、首を振って、全く関係ない話で悪いがと前置きしてから口を開く。

    「女子が喜ぶものって何だ?」
    「うぇ!?」

     俺の発言に、純太は勢いよく振り向く。ペンを支えていた指が大きくぶれて、俺の視線の先では紙面でミミズが這っていたが、純太は全く気にしていないというより、それ以上に衝撃を受けていて気づいていないといった方が正しい。何か変なこと言ったか。俺が表情を変えずに言うと、純太は呼吸を落ち着けたのち、ペンを置いて俺に向き直った。

    「何だよ、いきなり。お前から女の子の話を聞くなんて初めてで俺はびっくりだ」
    「そうだな、俺も初めてだ」

     うん、と頷いて、純太の目を見る。俺は女心とか全然わからないし、純太の方が詳しそうだから何かアドバイスしてほしい。

    「なんでまた?」
    「助けてもらった。その、礼」

     少し大袈裟かもしれないが、俺にとってはそのくらい助かったのだ。だから俺は、に何か礼をしたい。

    「相手、誰? 仲いいのか?」
    「いや……今年初めて同じクラスになった」

     じゃあ多分俺もあんまり知らないな、と純太が零す。俺と純太は二年間同じクラスだったから、それもそうだ。そこまで仲は良くないけど助けてもらった礼がしたい。俺が必死にアドバイスを乞うので、純太は部室の天井を仰ぎながらも一生懸命考えてくれていた。部誌を書く手を止めたまま。

    「彼女とかならアクセサリーとか小物とかあるんだけどな。ただのクラスメイトには重いな。無難に食べ物とかじゃね? 飯奢るとかさ」
    「……食べ物か」

     食べ物のお礼はやはり食べ物か。まあそれが無難だろうな。あれこれ悩むより、本人に選んでもらった方が解りいいだろう。
     純太に礼を告げて、その日はいつもより少し遅くに部室を出た。



     翌日の昼休み、俺は自分の席を立っての席へ向かった。弁当を持ってきていたら学食や購買なんて不要だろうが、友人との会話を聞く限りでは買いに行くと言う流れになっていた。だから、彼女が購買に向かう前にと声をかけた。

    「」
    「あ、青八木君だ」
    「……昨日は、その、ありがとう。本当に助かった」
    「いいんだって、そんなこと。部活は大丈夫だった?」
    「ああ、おかげでな」

     そう、良かった。
     がそう微笑んで、周囲の友達から視線を向けられる。複数の、しかも女子からの視線を向けられることには慣れていないので、少し戸惑う。

    「それで、私に何か用だった?」
    「……昼、一緒に食べないか」
    「え」

     単刀直入にそう誘ったら、から返事を聞く前に友人達が声を上げる。

    「え、何、二人ってそういう関係だったの!?」
    「、いつの間に青八木君と!?」

     タイミングが悪かっただろうか。朝とか、休み時間の時にでも、一人でいるに話しかければ良かったと少しだけ後悔した。

    「や、違……違うってば! ねぇ、違うよねぇ!」

     明らかに動揺してが声を荒げるので、それに気圧されて俺は無言で首を縦に振った。それはもう、強く。

    「……き、昨日の礼に、今日は奢らせてくれ」
    「い、いいよそんな気遣わなくても!」

     それじゃ俺の気が済まない。無言のまま視線を送り続ければ、ではなく隣の友人たちが彼女の背中を押した。

    「ってば、いつも購買のパンじゃ栄養偏るって!」
    「そうそう、折角だからご馳走してもらいなよ!」
    「それじゃ青八木君、のことよろしくねー」

     そう言って、ぞろぞろと教室を出て行く彼女達は、の「ちょ、え、みんな待ってよ……!!」なんて慌てる声など聞こえないフリをしていた。残された教室で、俺はに行こうと声をかける。彼女も観念したのか、一度小さく頷いて俺の後について学食へと向かった。



    「なんでもいい。食べたいの、選べ」
    「えっと、そうは言われても……人から奢ってもらったこととか、ないし」

     そもそも家族以外とはご飯とかもあまり食べに行かないし、とはぶつぶつと言葉を漏らす。人前で食事を摂るのが嫌なのだろうか。しかし教室では毎日友人達と談笑しながら購買のパンを食べているしと考えながら、ふと隣のを見れば、必死にメニューを選ぶフリをしながら視線を泳がせていた。

    「俺と一緒に食事するのは嫌か?」
    「! そ、そうじゃなくって……」

     一度驚いて俺を見つめたは、再び視線をさまよわせると唇とぎゅっと結んで、それから少しの沈黙の後で、口を開いた。

    「箸、上手に持てないから嫌なの……」
    「は?」
    「だ、だから、箸の持ち方、正しくないの」

     だから恥ずかしいと、はそう言った。

    「私左利きで、右手の矯正されたんだけど……使えるには使えるけど、どうしてもちゃんと持てないの」
    「そうなのか」

     一緒に食べている人に、恥ずかしい思いはさせたくない、とは俯きがちな視線を更に下げた。今からでも購買に行こうと言い出したに、俺はそれでも首を振る。

    「鏑木は右利きだが、あいつは握り箸だったぞ」
    「かぶ、らぎ?」
    「自転車部の一年だ」

     多少変でも問題ないだろ。そう言って、自分の分の注文をする。視線で早く選べと促せば、はおずおずとメニュー表を覗き込んで、緑黄色野菜のパスタを選んでいた。なるほど、フォークへ逃げたか。そこまでして箸の持ち方を見られたくないのかと思うとなんだかおかしさが込み上げてきて、俺は自分でも知らずのうちに口角を上げていた。

    「……青八木君、今笑った?」
    「え……笑ってたか?」
    「うん。ばかだなあって、思った?」

     いや。そうじゃない。確かに考えすぎだとかは思うけれど、箸の持ち方なんて、周りが気になっていても間違っている当人は全く気にしていないということのほうがきっと多い。鏑木だって食べ方汚いし、前にそれで今泉にも怒られていたのだから。それなのに自分を恥ずかしいというは、何だか可愛らしい。

    「可愛いな」
    「……!?」

     が目を丸くして俺を見る。俺は一瞬自分が何を言ったのかわからなくて、口をついて言ってしまった言葉にとても慌ててしまった。

    「い、いや、悪い」

     全然そんなこと言うつもりなかったのに。無意識って恐ろしいな、と思う。何て言おうかと次の言葉を悩んでいる間にお盆に乗った料理が出てきたので、それを受け取って何もなかったかのように空いた席に向かった。金は払ったんだから食堂内のどこで食べてもいいのに、は律儀にも俺の後をついてくる。盆のバランスが取りづらいのか、真剣に料理と俺の足だけを見つめながら歩いていた。あひるの子みたいだ。

    「別でも、いいんだが」
    「え?」
    「食べるのは。俺と一緒が嫌なら、ほかで食べても構わない」

     俺はただ礼がしたかっただけだから。そう言ったのだが、俺の向かいの席に腰を落ち着けたはムッと唇を尖らせた。

    「みんな、いつも購買だもん。食堂に知り合いいないし、それに青八木君が言ったんだよ? 一緒に食べようって」

     それはそうだけど、嫌なんじゃないのか。俺と食べるのは。

    「さっきも言ったけど、嫌じゃないよ。でも、昨日までほとんど喋ったこともなかったのに突然で、正直戸惑ってる」

     小さく、いただきますとが俺に頭を下げる。それから遠慮がちにくるくるとフォークにパスタを巻きつけて、口元へ運ぶ。束ね損ねた髪が垂れてきて、料理に入らないようにと耳に髪をかける仕草に少し鼓動が早くなる。食べる姿をじっと見るなんて失礼極まりないから、俺も自分のメガ盛りのカツ丼に手を伸ばす。選んだ理由は、キャベツの千切りが乗ってるから。

    「いつも思うんだけど、すごい食べるよね、青八木君は」
    「……成長期、だから」

     え、との動きが止まる。俺はもう一度強調するように同じ言葉を繰り返す。成長期、まだ成長期だ。これからもっとでかくなるんだ、という、それは最早自己暗示に近い。

    「田所さんみたいになりたくて」
    「卒業した先輩?」
    「ああ」

     そうなんだ、とが呟いて、カチャカチャとフォークが皿の中で遊ぶ。パスタを絡めながら一向に口へ運ぼうとしないへと視線を移せば、彼女もゆっくりと顔を上げて、俺を見た。

    「私も昨日ね、青八木君のこと、かわいいなって思ったよ」

     すとん、と何かが落ちる音がした。

    End.





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